田崎真也さんのこと

こんな夜更けだけど、ふと田崎真也さんのことを思い出したので、書いておく。 東京港区愛宕一丁目、というより昔NHKがあった愛宕山に田崎さんのオフィスはある。頂上ふきんには愛宕神社があって、その境内へ向かう参道の途中の左手。1階はチーズ

横峯さくらさんのこと

横峯さくらさんにお会いしたのは、2005年の春。宮崎市内のホテルで、父良郎さんと二人でインタビューを受けていただいた。この時、まだ19歳。前年にプロデビューして、小柄な体から繰り出すあのもの凄いオーバースイングと、父と二人でキャンピ

原辰徳さんのこと

プロの選手が主体になって以来、監督の名をつけて呼ばれないことになった初めての野球全日本チームが、WBCで優勝した。世界ランキング不動の1位であるキューバを2度完封し、デレク・ジーター主将とデーブ・ジョンソン監督が率いるアメリカにも勝

松下新平君のこと

昨日の参院本会議で、改革クラブの代表質問に立った松下新平議員に、野党から激しいヤジが飛び、それを麻生総理が「若手を伸ばそうとしない政党はだめだ」とたしなめた。という記事を読んだ。 なぜ改革クラブの議員に野党からヤジが飛ぶかというと、

remiちゃんのこと

ある秋の日に、 「これ書いたの、誰ですか」 といって、見知らぬ女の子が部室のドアの向こうに立っていた。細身の黒いパンツに、赤いダウンのジャケット。おれは大学生で、一応文芸系ではあるけれど文芸というよりはお酒を飲んだりみんなで山や海に

憂歌団(2)

1984年のある夜。ぼくは入ったばかりの広告代理店の社長に、久留米市通町の焼鳥屋「縄文」でサケをご馳走になっていた。広告代理店とはいえ、自社媒体を持っており、ぼくは編集希望で履歴書を出し、そのつもりで採用になったのだが、「お前は、世

憂歌団(1)

「あのさあ」とサワダが言った。 「こないだ、博多の憂歌団のライブに行ったわけよ」 「うん」 「ちょっと早く店に着いたと思ってたらさあ、もう店の前は長蛇の列なわけよ」 「うん」 「そいでさ。まあ、並ばなくても入れるかと思ったから、そこ

古田敦也捕手の引退に

昨年の秋、ぼくはヤクルトスワローズの秋期キャンプが行われている、松山の坊ちゃんスタジアムの三塁側ダグアウトに座っていた。今年、二度目の首位打者と最高出塁率の二冠を獲った、青木宣親選手のインタビューのために、そこで練習を見ながら時間待

石吾克也さんのこと

あら。石吾さん、ここ読んでたのね。なんか悪さを見つかったみたいで、気の利いた言い訳も思いつかなかったですわ。 さっき、渋谷で飲んでるという石吾さんから電話があって 「OOO-28のクラプトンシグネチャーを買ったんだってね」 「どどう

長渕剛さんのこと

はずみだから、長淵さんのことを書くが、特に知り合いというわけではなく、先輩として憧れていたわけでもない。当時の印象としては、「ギターがうまいなあ」ということと「いろんな人がいるなあ」といったくらいのものだった。 高校入学直後から疾風

白男川さんのこと

中学時代、適当に詩を書いたり喧嘩をしたりしながら、まずまず、普通の田舎の中学生をしていたぼくは、そのまま田舎の高校生となった。 進んだのは鹿児島県立鹿児島南高校というところで、教育県である鹿児島にあって、牧場にもたとえられるのほほん

河内健二という記憶

16歳の頃。ぼくにポール・サイモンを教えてくれたそいつは、ニコンではなかったけれど、オリンパスのカメラを持っていて、コダクロームではなくてエクタクロームで撮った花の写真などを、ハンディなスライドビュアでもって見せてくれたりした。 上

井上康生のこと

昨年の初夏、井上康生にインタビューする機会があった。 アテネ五輪直前ということで、当然、話はその方面になり、 「8月19日に、最高の状態で臨むこと。そして勝つこと」 と彼は言った。 実は事情が許せば、アテネへ行くつもりだった。 あの