2009年6月22日

フネについて

宮崎で経営していた会社をよして、甑島で半端漁師になっちまった親戚があるのだが、30過ぎの頃にそこに遊びに行って以来、いずれ自分でもフネがほしいものだと考えるようになった。

「一年働いて、▲▲▲万円にしかならんような会社なら、アジでも釣ってた方がましじゃ」

といって、その親戚はさっさと島へ渡ってしまったのだが、そこで乗せてもらった40馬力くらいの船外機を積んだ和船が素晴らしかった。その翌年、今度はもう少し大きなエンジンを積んだプレジャーボートも買い、その白い船体もまた素晴らしかった。

当時憧れたフネは、日産のサンキャットという双胴船で、26ft艇は中古でもとても手が出るものではなく、少し小型の20ft艇に狙いを定めていた。それでも中古で150万だか、170万だかしていたっけ。

えい、と意を決してしまえば、その時に買えたのかというと、おそらく無理だったと思う。会社をやめて、わが身をいかにして立てていくかという時期でもあり、お金なんかほんとに徹底的になかった。今でもないのだが、その時はもっとなかった。というより、少し仕事やお金に執着がなさすぎたように思う。

今回、富美丸を買おうかという話になった時、やはりサンキャットも見に行った。フネの世界は、この10年で船外機の4サイクル化が進み、古い2サイクルエンジンを4サイクルに換装したものは、それだけでけっこうな値段がするのだが、それでも、とっくに生産をやめている型でもあり、サンキャット26ftは、なんとか手の届くところにあった。

ほかに比べるもののない横安定性と、中央部をウォークスルーできる構造。船首側も、丸々使える広い空間。サンキャットの魅力は、これにつきるわけで、それと引き換えに速度も燃費も芳しいものではない。それでも、ほしいと思った。あそこに家族を乗せるのが、小さな夢でもあったのだ。

サンキャットは、ずっと夢であり続けていたのだが、結局、あまり迷いもなく富美丸を買った。何しろこちとら免許もないのである。あららさんが、あれはヨイといい、持ち主も紹介してくれた。人には添うてみよという。まして、船には乗ってみよともいうではないか。

夢のサンキャットとはだいぶ形がちがう漁船型の富美丸に家族を乗せて、門川湾に出てみた。船長の流星号さんを含めて、最大搭載人員6人のところ、5人乗船だから、とにかく人員はうかつにうろうろしないで、フネの中心線上あたりにじっとしていなくてはならない。

もしも、片舷にわっと人が集まって、そこへちょっとした曳き波でもくれば、いかに波静かな内湾といえども、それだけで富美丸は転覆の危機に瀕することになる。プレジャーボートに比べて横幅が狭い漁船型は、横安定性は良くないのだ。

その代わり、上部構造物が少ないので重心は低い。だから波っ気がある時にアンカーを入れても、波を増幅するような揺れ方をしない。さらに、イスやクーラーなどではなく、デッキに救命浮環なり防水マットなりを敷いて、どっかりあぐらでもかいて座り込んでしまえば、意外なほどに揺れを感じない。デッキというデッキが、どこでも釣り座になり、そのどこもが快適だ。腰で揺れのバランスをとる負担が減るので、体も楽である。

流し釣りをすると、さらに漁船の利点が生きてくる。風にのせて流す時、フネがどういう姿勢になるかというのは、水面上の構造物に受ける風の具合と、水面下の船型が受ける潮の具合の、両方のバランスで決まると思うのだが、プレジャーボートの多くは、風を受けると船尾側が風に向かって流れていくらしい。

富美丸は、舷側を風に向けて、風にほぼ直角の姿勢を維持したまま流れていく。だから、6人乗りの船で、6人全員が片舷から竿を出して流し釣りができる。流し釣りに良さそうだとは聞いていたが、ここまでとは。

燃費についてはディーゼルのでんでこ船であるので、一日釣って軽油を5リッターしか使わない。500円である。これはちょっと信じがたいというか、エコというなら、これほどのエコもあるまいと思う。

そんなこんなで小学生の娘二人とオクサン一人を乗せて、門川で釣り。キスは釣れすぎる気配があったので、自分ではなるべく釣れないようにキス鈎の13号を1本だけセット。岩ゴカイが当日のアタリ餌だったので、自分はオキアミ。目論見があたって子供が5尾釣る間に、1尾しか釣れない。

途中、トイレのために乙島という無人島に上陸。桟橋も何もないのだが、急深のゴロタ浜がフネを寄せるにはちょうどいい塩梅になっており、浜に向かってアンカーを投げて家族を降ろす。すぐ脇に泊めてあった船の爺さまが、よろよろと寄ってきて、カラス貝を採っていたという。これからゴカイを掘ってキス釣りでもやるのだという。いい生活をしているなあ。

釣り終えて、運転席前の指定席で、エンジンルームの壁にもたれてバウ風に吹かれていたら、今、この瞬間に、小さな夢がひとつかなっていることを知る。サンキャットでなくてもよい。サンキャットでなかった方が良かったのかもしれない。あのフネなら、今日のこの日はなかったのだから。

エンジンルームの壁にもたれて、バウ風に吹かれて。
フネを降りたら、子供たちとアイスでも食べようと考えていた。

2009年6月18日

タコを釣ること

投げ釣りのゴカイに、時々、タコが釣れるのを不思議に思っていたのだが、今回、何度か船釣りをやってみて、これはフロックでもなんでもなくて、相当に当たり前で、お約束の出来事であることがわかった。

ただし、季節と場所による。季節はちょうど今頃から真夏にかけて、場所はかなりピンポイントのようだ。そこは、門川で一番の大ギスのポイントでもある。つまり、まさに今、タコを釣るにふさわしい時と場所を得ているらしいので、これは一発狙ってみなくてはなんない、ということになった。

前回釣行時に、初参加のヤマガタ氏が、キス釣りの仕掛けそのままで、スナダコを大小5つも釣り、うれしそうにお持ち帰りになったのが発端である。私と流星号さんとあららさんは、タコの恩恵に浴すること甚だ寡なるものがあり、私など前々回からずっとタコはボーズであった。

キス釣りに行ってタコがボーズだからといってくやしいのかというと、これは相当にくやしい。釣り人としてくやしいというよりも、あれを食えないことが非常にくやしい。思いは三者とも同じであったらしく、立ち寄った釣具店で全員タコジグなるものを購入した。

こんなものである。

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このようなとぼけたものが、何かの役に立つのかと思われそうなのだが、そこらへんはまったくわれわれにも見当がつかない。釣具には、実用上さほど役に立たないけれど、妙に買いたくなるというものがあって、これもそのタイプの品物特有の匂いがしていた。大体、タコを釣るのに、タコの子供のミニチュアとはなんなのだ。あのたこ焼きの看板みたいな目に、何か意味があるのか。そもそもなんで寄り目なのだ。そこんとこ、どうなんだ。えー、どうなんだ。

と、店員に鋭く迫るつもりであったのだが、こちらも大人であり、向うは女性でもあったので「あの、湾内でボートからタコ釣りたいんですけど、この手の商品で売れ筋ってわかります?」などと、ごく謙虚な態度に出てみると、ベテランらしき店員が出てきて、「これですねえ」といって教えてくれたのが、右の白いやつである。このフジサンケイグループみたいなモノで、タコが釣れるというのが、どうもよくわからないのだが、とにかく買う。ついでに、寄り目ジグも買う。

そんなわけで流星号さんと沖に出てみた。二人とも、頭の中はタコでいっぱいである。船を流しながら、二人の考察と議論は深まっていく。

キス仕掛けにタコが釣れるというのは、あれは光るオモリにアタックしてきたやつが、鈎に掛かっているのではないかと考えたのは流星号さんである。彼は、その考察を具現化すべく、前回、キス天秤のオモリから短い鈎を二本出し、しかもそこにオキアミをつけるという冒険に出た。

いかにも筋の通った論であり、たまたま結果は出なかったものの、かなり有効な手段であると思われる。今回は、キス天秤にオモリの代わりにタコジグをつけ、キスを釣りながらタコもくればうれしいという、一粒で二度おいしい作戦を立てた。

ワタシの方はとにかく、あのとぼけたタコジグどもに不信と疑いの念を強く抱いており、小細工なし、タコジグ一個のみを流して、その有用性の検証を優先することにした。キス竿とは別に、エギングロッドにタコジグを結び、アクションもつけずにただ流す。小突きもなんにもしない。タイプは寄り目の蛍光タコをセレクトした。

で、まずキス仕掛けにけっこういいマダコが掛かる。その場面が、こちらである。

●キス仕掛けにきたマダコ

キス仕掛けのマダコのアタリは、なんというか、当然ながらキスとはちがうアタリなのである。よく根がかりのような...といわれたりするが、一応、生体反応のあるアタリをする。タコだと確信するのは、リールを巻き上げた時で、うにょーっと重くて、小さなタコだとクイクイクイと引いたりする。動画のサイズくらいになると、ご覧のようにグイグイグイ、となる。それほど重くはないんだけどリールが巻きにくい。そんな感じ。

で、次は寄り目タコジグにきたアタリ。

●タコをシメていたら、タコジグにアタリ(気の弱い方は見ないでください)

これはボートから流しっぱなしにしているので、アタリは、柔らかな根がかり→根がかりが自動的に外れる、を繰り返すようなパターンが多いような気がする。うにょーっ、すかっ。うにょーっ、すかっ。というアタリだと、たぶんタコは乗っている。

結論として、タコジグは有効である。ただし、掛かりはするが取れない。この日、一度ハリに乗って取り込めた確率は3割くらいだったか。釣り人としては、アワセを入れるか、入れないか。リールを速く巻くか、普通に巻くか、ゆっくり巻くか。くらいしか対処のしようがないのだが、とにかくよくハリから外れる。

カニなどの餌がついたテンヤなら、食い込ませるために一度糸をゆるめるのも有効な気もするのだが、タコジグだと、どうなのかよくわからない。

とにかく、かーっ。くやしい。という釣りなのである。タコへの道は、まだしばらく続く。


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2009年6月16日

サツマの流儀

海釣りは、鹿児島伝統の車竿で始めた。長さ八尺前後の二本継ぎの竹竿に、真鍮の針金で編んだ自転車のスポークみたいなリールがついている。スポークの外周部、リムにあたる部分も真鍮の針金を曲げて作られていて、そこに道糸が巻かれている。道糸はおおむね8号乃至10号。これに15号くらいのオモリを背負わせて、投げることができる。

ノーギア、ノードラグ。ギア比1対1。スポークの部分に人差し指を突っ込んで巻く。人差し指と中指、二本を突っ込んでもいい。その方が手首が楽に回って巻きやすい。これに魚が掛かると、どんなリールよりも敏感にその重みを伝え、魚のサイズと種類を伝えてくれた。

何しろ、糸と自分の間に介在するギアがないのだから、海の脈動を工業的に翻訳する必要がない。海から伝わるあらゆる情報が、そのまま人間のもっとも敏感な指に伝わるのだから、手釣りと同じくきわめて官能的な道具だった。

投げる時は、回転するスポークの内周部から突き出た、木製の小さな円筒状のドラムを親指で押さえて、リールの回転を塩梅する。これをサミングなどと小賢しい呼び方をし始めたのは、このリールの長い歴史からみると、ついおとといくらいのものなのだ。

何しろ、南宋時代に描かれた『寒江独釣図』には、このリールそのものずばりが描かれている。この絵では船釣りだから、仕掛けは下に降ろしているようにも見えるけれど、なかなかどうして、よく見ると糸は斜めに入っている。釣っているのは鯉かウグイの類かもしれない。そうすると、餌は何かの団子であったか、ミミズであったか、あるいはエビのようなものか。どうも、独釣を楽しむ男は、船からちょい投げをしているようにも見える。

加えて、より遠くを釣りたいという釣り人の必然として、この当時から糸巻きの横には、道糸の出を塩梅する小さなドラムがついていたものと、ワタシは確信するわけである。これがなくても、回転するリムそのものを親指で押さえて、道糸の出ていくのを加減することができないことはないけれど、その場合、親指はほぼ垂直に立つことになり、やりにくい。まったく加減をしないままにぶん投げてしまうと、壮大なバックラッシュが起こるのだ。

それがおそらく台湾に伝わり、台湾から鹿児島へ伝わって、この車竿の別名を台湾リールといった。昭和40年代、高度成長に湧く日本国の南の端の、少しよそとは異なる歴史と気風をもったサツマの国で、一人の少年が海釣りを覚えようと思えば、まずこの竿と向き合うことになる。そして真正面に見える桜島に向かって、いかにも南国らしい明るい碧ともいうべき水色をたたえていた錦江湾越しに、でやあと仕掛けを振り込むわけである。

今見ると、お話にならないような大作り、おおざっぱな竿であり、穂先が小指ほどもあって、いかにもサツマの剛毅と朴訥とを感じるのだが、当時のサツマにおいてはこれが海釣りの標準器であり、同時にほぼ唯一の釣り道具でもあり、その直後にグラスロッドが出回るまでは、ほかに比べるものもありはしなかった。

そして、そんな道具でも、いくらでもシロギスが釣れ(彼の地では、やはりキスと呼んだ)、ネズミゴチが釣れ(彼の地では、これをゴッババと呼んだ)、時にクロダイが(彼の地ではチンと呼んだ)釣れた。キスなど、ゴカイを掘るまでもなく、刺身の残りのイカを短冊に切って放り込んでおけば、あの剛竿を、がしんがしんと揺らす大当たりで、真白く輝く野太いのが釣れてきた。ゴッババも、よく肥えて野太いのがいた。

さらに、餌木もこれで投げることができた。もともと、餌木は船釣りの道具である。満月の夜に船を漕いで、ミズイカを釣る。それをリールで投げたら面白い。新しい釣りができた。エギングと名付けた。やがて陸っぱりがエギングの本流ということになって、これを船からやるのをボートエギングと名付けた。

笑止というべきであろう。あまりに、ものを知らないというべきでもあろう。陸っぱりでも、船釣りでも、餌木作りのひとつの拠点であるサツマでは、当然のようにやっていた。そのくらいのことは、少し人に尋ねればわかることだ。PEラインと専用のカーボンロッドがあって初めて、エギングが成立したなどというのは、さらにタチの悪い話なのだが、もはやどうでもよい。

キスも、ゴッババも、チンも、ミズイカも、人の暮しに近いところに棲む魚である。とりわけて、川が流れ込んでいるようなところは、魚が多く、釣り人も多い。そんなところで、やはり一目置かれた魚は、サツマにおいてもチンであった。これは、子供などがなかなか手を出せない立派な魚であり、そのチンを専門に狙う大人は、いかにも大人の釣り人らしい威厳と風格を備えているように見えた。中には、ステテコ姿で竿を出している人もいるのだけどね。

チンを狙うには、まず餌となるシャコを掘らなくてはならない。ゴカイと同じく河口の浅瀬が、干上がったようなところを掘るのだが、そのシャコの居場所からして、子供にはうかがい知ることのできない秘密の場所であった。それは、大人の釣り人の中でも、一部の人のみが知る場所であって、聞いても教えてくれないのだといわれていた。もちろん、釣具屋でも売っていない。

そうして掘ったシャコを餌に、車竿を二本、放り込む。竿尻にはパンツのゴムが結わえてあり、その先に針金を曲げた鉤状の金具がつけてある。これを、リールのリムの部分に引っかけると、ストッパーとして機能し、チンのような大きくて立派な魚が掛かっても、リールが逆転して道糸が際限なく出ていくのを防ぐ。

さらに決まって、チン釣り師の脇には、自転車が倒れていた。いや、倒して置いてあるのだが、竿尻から伸びた紐が、フレームなりハンドルなりに結わえてあった。これは、チヌのような大きくて立派な魚が急に引いても、竿を海に持っていかれないために、そうしているのだった。

その姿を見ているだけで、胸がときめいた。キス釣りのように、投げれば必ずアタリがあるというものではない。チャンスは一日に一度か、二度。その時を待って、悠々と海に向かってタバコをのんでいるチン釣り師の姿は、海釣りを始めたすべての子供の憧れであり、目標でもあり、自分もいずれ大きくなったら、あのような釣りをするのだと心に決めていたのだが、小学生のうちに海は埋め立てられ、海岸線は遠くなり、川には大きな堤防ができて、ステテコをはいた釣り人の姿も消えた。

海がまるごと、視界から消えるのと同時に、車竿が消え、サツマの釣りが消えたのだった。

あの碧かった海を悼む気持ちは、何十年たってもいやされることはない。蔑みと愛着が半ばする、巨大なゴッババや、オリーブ色の背をもつ三年ギス。夕陽に輝く水辺で、無心に竿を振っていた子供たち。その子供にサバやイカの短冊を持たせて、釣り場に送り込んでくれた母親たち。夕方、ちょっと出かけて肴を釣っては、いい気分で焼酎を飲んでいた男たち。

みんな消えてしまったのだった。

2009年6月12日

鮎師と船に乗る

5日に釣りフォーラムのメンバーと船を出したのだが、帰宅してみたら新しいパソコンが届いており、そいつがまた、頻繁にブルースクリーンを繰り返すので、三日ほど張りついていたら疲労コンパイしてしまって、ブログの更新どころではなかったのだった。結局、初期不良ということでメーカーに返送したのだが、おれの三日間をどうしてくれるのだ。

5日のキス釣りの話である。関東の鮎師にCHAPさんという方がいて、鮎仕掛けの逸品『アユツール』の開発者として、業界ではよく名を知られた方なのだが、釣りフォーラムの古手のメンバーでもあり、1992年の五ヶ瀬川OLMで初めて宮崎を訪れて以来、ほぼ毎年、宮崎にやってくる。

ここ10年ほどは、6月の鮎解禁と、11月の旧家村OLMの参加が、ほぼデフォルトになっているので、年に二回は宮崎のどこかで竿を出すわけである。

そのCHAPさんの、ここ数年の相棒がしげさんで、今回も10日間ほど休みをとって長駆群馬から二人で車に乗ってやってきた。解禁日は川辺川に入り、そこそこいい釣りができたそうだ。

近年の五ヶ瀬川の悲惨な状況に、胸を痛めている一人でもあるのだが、それでも、北方町の川なみドライブインのチャンポンを食べたいがために、また、ドライブインの階下にある、顔見知りの鮎師専用の和室で泊って、サケを飲みたいがために、ほぼそれだけのために、五ヶ瀬まで移動してきたわけだ。

最近の五ヶ瀬川の状況は、まったくひどいものであるらしく、オトリ屋が解禁から3日で店を閉めたなどという話も伝わっている。言いたくはないが、産卵期の鮎をブルドーザーで作った瀬に集め、片端からコロガシで取ってしまう瀬掛けと、川を下ってくるやはり産卵期の鮎を取るヤナを、大幅に縮小するか、あるいは数年間、禁漁にしないことには、五ヶ瀬川漁協は全国の川ファン、鮎ファンに対して申し開きができないのではないかと思う。

鮎が減ったら放流すればいいというものではない。ただ鮎の形をしているだけの人工鮎を釣るために、関東から来るバカはいないのだ。五ヶ瀬の自然に敬意と愛着があるからこそ、悪いと聞きながらも淡い期待をもって、ここまでやってくるのだから、地元は川への敬意と愛着を、もっと具体的な形にして表わさなくてはならないのではないか。

今、日本のナチュラリストの標準的な心情として、ここまで極端に鮎が減った川で、変わらずに瀬掛けやヤナを続けるというのは、論外であることを知るべきだろうと思う。

もっとも、漁協ばかりを責めるのは筋違いであって、五ヶ瀬川はこの10年ほどの間に、すっかり様変わりをしてしまっている。台風が来るたびに、石が流れ、瀬は土砂で埋まり、荒瀬は平瀬になり、その平瀬はまた数年でチャラ瀬になり、淵はなくなり、全体に砂だらけののっぺりした川になってきた。

杉を異常に植え過ぎたために土壌がもろくなって、すぐに山が崩れて川に流れ込む。温暖化の影響もあって、台風や雨が以前よりパワーを増しているために、「想定外の大雨」がしょっちゅう降る。上流にダムがあれば、石は流れるままに流れて、新しい石が供給されてこない。

もう川はズタズタになっていて、当然、川が魚を養う力も衰えている。だからこそ、川に向き合う人々の集まりであるはずの漁協は、知恵を発揮しないといけない。新しい川の基準の中で、どうやって長く、人と川が支え合うかということを考えなくてはいけない。川が置かれている状況が、明確に変化していることを知りながら、既得権を振り回すだけでは仕方ないではないか。という話である。

船釣りの話なのに、鮎の話が長くなってしまったが、富美丸に乗っかったCHAPさんとしげさんは、そういう複雑な心情の中で、毎年宮崎に来ているわけだ。本来、6月5日に、鮎師が5人も船でキスを釣るなんてのは、どう考えても異常なことなのだ。そして、どこか悲しいことでもある。

熊本の勝三郎さんは、もともと渓流のテンカラ師だったのが、天草OLMで初めて海釣りを目の当たりにして、投げ釣り、波止釣りに目覚め、3年ほど前から鮎釣りも始めた。人吉のあるぽさんは、釣りフォーラムのフライ会議室の議長をやっていた人であり、フライ師として筋金が通っているのだが、鳥取時代には盛んに海釣りをやり、この6月1日から鮎釣りを始めた。

15年前の五ヶ瀬の、あの素晴らしい川と鮎を知らない二人は、幸せであるのか、不幸せであるのか、とっくに鮎釣りをやめてしまっているワタシとしては、ちと複雑である。

船長の流星号さんは、鮎は突くものだと思っており、解禁日もそこそこの漁をしてきたそうである。渓流みたいな小場所を探せば、まだまだ宮崎にもいいところはあるのだが...。

まあ、そんなわけで、小雨の中で6人が日向に集まり、例によって、でんでこ、でんでこ、でんでこ、でんでこといって、沖へ出ていったわけである。

浅場のキス釣りというのは、この世に残された釣り人の最後の楽園になるのかもしれない。それが、宮崎でもとびきりの場所であるとなれば、雨で水温が下がり、ややウネリも入って、多少コンディションが悪かろうと、どうにか釣りらしい形にはなってくる。

コマセも撒かない、技術もいらない、道具も関係ない。ただ、ゴカイをつけて軽いオモリを放り込み、ワンカップ焼酎でも飲んでいれば、バチバチバチ、と竿先に閃光が走って、でかいキスが、あれよあれよと釣れてくる。

これでいいんじゃないかと思う。いつかまたこのメンバーで、できれば初夏の晴れた日に、海風に吹かれて、冷たい焼酎でも飲みたいと思う。

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2009年6月 3日

富美丸デビュー

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そんなわけで、畏れおおくもわがオクサンの名を冠した釣り船『富美丸』が、6月2日にデビューしたわけである。

本来、デビュー戦は、釣りフォーラムの友だちがやってくる6月5日(金)となっていたのだが、「それはいいですけど、ほんまにちゃんと動くんですか。人を乗せる前に、いろいろ、細かいチェックとか試運転をしといた方がいいのとちがいますか」という、流星号さんの賢い指摘があり、「それはそうだよね」ということで、とりあえず動かしてみることになったのだ。

急遽、休みをとって駆けつけてくれたあららさんと三人で、日向の港へ行く。着いたら、どんどん船に乗り込んで、気になっていた部分の掃除だの、ステッカー剥がしなどの作業をやる。黙々とやる。

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流星号さんは、「酒造ってるみたいや」といいながら、デッキブラシをぐりぐり回して、汚れがこびりついたイケスをきれいにしてくれ、あららさんは、古いステッカー類をスクレーバーと熱湯とアセトンと「強力ステッカー剥がし・風神」などを使いつつ、ごりごりごりごり、と削っていく。

やがて掃除も終ったので、船の隅々に焼酎をかけ、船の神様、海の神様に祈る。わが家に祀られる神々およびご先祖様にも祈る。ついでにヒポポタマスとヒョウタンツギにも祈りを捧げ、余った焼酎を三人でちびりと飲んで、『富美丸』の行く末の安からんことを願う。

そして、「ピーッ」というけたたましいブザー音とともに、ディーゼルエンジンが目覚め、でんでこ、でんでこ、でんでこ、でんでこといって、港を静かに滑り出していったのだった。

日向工業港は、実に殺風景な港である。その殺風景の主である大きな精錬所の前の、きわめて殺風景な水域を過ぎ、小さな岬を回ると、すぐに豊かな尾末湾の風景となる。ここが、われわれのメインとなるべき釣り場。船着き場から、超スロー航走で10分もかかからない距離だ。

すぐ前には乙島があり、少し遠くに枇榔島 の影が浮かぶ。門川漁港の防波堤や、五十鈴川の河口も見える。非常に小さなエリアに、磯あり、汽水あり、砂浜ありで、いろんな魚がいそうだ。

せっかくなので、キス釣りをやってみることにしたら、本調子とはいえないまでも、ぽつぽつと釣れる。ハリス6号、丸セイゴ16号、巨大アオイソメ一匹づけ、などというイタズラを試みると、間髪を入れず、26センチくらいのマダイの子が2匹も釣れる。

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流星号さんのキス竿が大きく曲がり、とてもとれそうにないというので、船を寄せていくとタコ(スナダコ?)であった。こいつはいただいて帰って、茹でて刺身で食べたら、しゃきしゃき、こりこりとして旨みが豊かで、思いがけずうまい。というか、ちょっと目をみはるほどうまかった。

キスも天草のに負けないくらい、こくがあっておいしい。マダイは、三年ものくらいで産卵に参加するには微妙なサイズなのだが、いわゆる麦わらダイの季節ということもあり、ぱさぱさしてて旨みがない。こいつは、釣れてもしばらくはリリースだなあ。魚を傷めないように、次からは細軸のハリを使おう。ちなみに下の写真は、塩をして冷蔵庫で一夜干しにしたもの。

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ちょい釣り、試し釣りのはずだったのが、思わず熱中してしまい、帰港した時には、あたりはすっかり暗くなっていた。こんなに夢中になって釣ったのは、いつ以来だったか。5日に合流するCHAPさん、しげさん、勝三郎さん、あるぽさんの鮎組の皆さんに、今日のような一日が賜らんことを。

2009年5月11日

船検じゃ

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そんなわけで、今日は早くも船検である。富美丸を係留している日向市は、別府市にある日本小型船舶検査機構大分支部の管轄で、月に2回、担当者が巡回する。本来、次回にまわるタイミングだったのだが、うまく滑り込ませてもらった。

今回は中間検査ということもあり、エンジンはかかるか、法定備品はすべて揃っているか、航海灯は大丈夫か、といったあたりをチェックするのが中心で、そんなに時間はかからない。救命胴衣は7着のうち2着が不合格となったのだが、最大搭載人員が5名なので問題なし。

いずれ釣りフォーラムのメンバーが遊びに来た時に、一人でも多く乗れるのがよかろうと、最大搭載人員を6名にする相談をしたので、その点が解決するまで、船検証書の発行はお預けなのだが、とりあえず法律上の山は越した感じ。

あと、大仕事としては船底塗装があって、これも前オーナーのAさんの指導のもと、自力でやる予定。各種書類申請も、デッキ塗装も、船検も、船底塗装も、やれるものは、なんでもかんでも自力でやる方向なので、手間はかかるが面白い。

で、今日はひさしぶりに流星号さんにお会いして、船検をヘルプしてもらった。50日くらい、フィリピンでスラムに暮したり、とんでもない田舎町に滞在したりと、各種冒険に身を投じていたそうで、日向までの道中、話が面白くて仕方ない。

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帰路、新富町の天才的大衆中華料理店「幸楽」へ。ここはメニューがざっと150ほどもあって、きっと、壁が広ければもっと貼りたいにちがいないのだが、とにかくやたらにメニューがあって、そのどれもが逸品である。ちなみに写真は、3人で4品注文し、「もう食えねー」状態に近づいた頃なので、担々麺はスープしか残っていない。

ここも、いずれ、みんなに紹介しなくちゃな。

2009年5月 9日

船を塗ること

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あららさんの紹介で、釣り船を譲っていただいた。古いヤマハの24フィート、ディーゼル船。携帯画像だから、いささかわかりにくいかもだけど、形といい構造といい、ほぼ漁船なのだ。

ディーゼルだから、でんでこ、でんでこ、でんでこ、でんでこといって走る。だから、船名を「でんでこ丸」としようと思ったのだが、「やはり常道として、船は女性の名が...」という意見もあり、常道に落ち着いた。

で、ずっと以前のオーナーが、もともと水色だったデッキを緑色に塗ろうとして、途中で挫折したことがありありとわかる様子だったので、とりあえずデッキを塗り替えることにして、本日、あららさんと宮崎大学の泉君の協力を得て、朝からせっせと塗装したわけである。

何日も前から、塗料および塗装方法について、ネットで調べたり、複数の人々の意見を聞いたりして勉強したところ、デッキ塗装はアクリル系、ウレタン系、およびゲルコートのうちのどれかでやる、ということがわかった。

船底塗装の情報はたくさんあるのだが、デッキとか上部構造物の塗装、しかも和船となると、案外、ネットには情報がないのだった。

で、先週、船溜まりでうろうろしていたら、声をかけてくれた方があり、その方に船専門のFRP屋さんを紹介してもらい、そこのアドバイスで、もっとも手軽な一液製のアクリル系塗料でいくことに決めた。あいにく、水色の塗料が切れていたので、店で調合してもらったら、ちょうどいい塩梅の水色ができた。

手順としては、まずデッキをきれいに掃除する。次いで、40番の耐水ペーパーを全面にかける。研ぎ粉が出るので雑巾で水拭きをして、適当に乾いたら、ペイントを少しシンナーで薄めて、もうどんどん塗っていく。ガンネル回りと、蓋類は白に、あとは水色にどんどん塗る。

どんどん。どんどん。どんどん。塗って、途中でカレーを食べに出かけて、また、どんどん。どんどん。どんどん、塗る。

昼前から始めて、夕暮れ頃にすべての作業を完了。船は、見違えるようにきれいになった。それがまあ、自分らで苦労したせいもあろうけれど、ほんとに、うっとりするくらいきれいになったわけである。半日、船にいたせいか、まだ体が揺れている。

あららさん、泉君、どうもお疲れさまでした。ぼくらの釣り船として、WEB魚図鑑の調査船として、活用していきましょう。

とりあえず、アオハンネズミゴチのサンプル集めから、かな。

2009年5月 8日

カイロプラクティック

あららさんと、カイロプラクティックに行った。川南町の十文字施術院というところで、こことはもう18年くらいのおつきあいになる。以前、宮崎オフに無理やり来てもらい、参加メンバーに施術してもらったこともある。

初めて行った時、まだぼくは30そこそこだったのだけど、右足が2センチ近く短くなっていることが判明し、その場で合わせてもらった。

「はい、揃いました」

と言われて立ち上がってみた時、なんだか生まれて初めて、ちゃんと立ったような気がしたものである。帰り道、猛烈におなかがすいて、うどん屋に駆け込んだことを覚えている。

最初は、典型的なカイロプラクティックの施術だったと思うのだが、先生の方の技術も、時代とともに数度の変遷があり、数年前から現在の形に落ち着いている。

矯正だけなら、いわゆる手技でもって15分か20分もあれば終わってしまうものを、ここは大体、一人あたり一時間くらいかけてくれる。せっかく揃った骨の位置が、すぐに元に戻ってしまわないように、いろいろ工夫があるらしい。

30年ほど前、国内では普及期だったカイロプラクティックの本を読んで、「これからは背骨がナウい」と思ったものである。東洋の技術が、アメリカで医学として開花したものだから、これは逆輸入の施術なのだけれど、まだ日本では医学として法制化されていない。もともとの土壌はあるというのに、もったいない話だと思う。

まあ、それを整体と呼ぼうがカイロと呼ぼうが、医学の分野にも名人とそうでない人がいるように、あるいはそれ以上に、施術者の技量差が著しい世界なんだろうと思う。また、日進月歩の世界でもあるようだ。

今回は、ちとややこしい仕事が目前にあるので、気合いを入れに行ったわけである。ぼんやりした頭を目覚めさせ、集中力を高めるにも役に立つ。ぼくの場合、頸椎がずれやすいのだが、これをきちんと揃えてもらうと、視界と頭がクリアになって、鼻が通り、お腹がすくということが起こる。

一緒に行ったあららさんは、「ゴルフは?」と問われ、「やります」というと、「スイングのせいか骨盤がねじれてますね」とのこと。これも、その場で揃えてもらう。こちらもうつぶせだったので、詳細はわからないのだが、帰り道、「目がよく見えますね」と言っていたので、効いたんだろうと思う。

ぼくの方は、例によって頸椎がずれ、ここ数ヶ月、胃と背中が痛かったのだが、ちょうど胃の裏あたりが大きくずれていたらしい。ずれていたから胃が痛いのか、胃が痛いからずれているのか、ここらへんの因果関係はどうもよくわからない。

この人を知っていて良かった、という人がいる。十文字の仲西先生を知らなかったら、ぼくの18年は、ちょっとちがったものになったかもしれない、とすら思ったりする。

2009年5月 5日

映画>リオ・ブラボー

『リオ・ブラボー』(ハワード・ホークス監督/1959)。

この作品については、よそ様にいやになるくらい、いいレビューがあったので、こちらを読むとよろし。
週刊シネママガジン
http://cinema-magazine.com/new_meisaku/riobravo.htm

酒場の乱闘から始まるこの映画は、善玉が一人と、小さな正義感を発揮しただけの不運な男が一人死ぬのと引き換えに、悪玉が20人くらい死ぬ。その意味で、非常に正しい西部劇である。その間に、歌あり恋あり笑いあり策略ありイカサマバクチあり老人の愚痴ありアル中の苦闘ありと、なんでもかんでもテンコ盛りである。

「あれあり、これあり、何にもなし。ただし、非常に楽しい」というのは、映画においては最大級のほめ言葉になる。そういう映画。

で、ちょっと自分の了見の浅さがいやになっているわけである。観終わった時に、非常にステレオタイプな言葉しか出てこなかった。こんな作品を、豊かだと感じ、文句なしに楽しむ映画的な感性が、自分には備わっていないのかもしれんと思ったら、いやんなっちゃったわけだ。

逆にいうと、映画ってこんなもんだったでしょ、本来。ということを教えてくれた映画、ということになるのかもしれない。1959年という時代、その時代におけるジョン・ウエインという存在。そういう、今となっては肌で感じることができないものを差し引いても、残っているはずの映画的な愉しさ。

そこをまっすぐに、文句なしに感じられる人がいるとしたら、ちと、嫉妬するなあ。

2009年5月 4日

映画の重低音について

最近の、といっても、どのくらい最近なのかシカとはわからないのだが、とにかく最近の映画には重低音成分が大量に含まれている。

この重低音の定義がクセモノで、ピュアオーディオ的には大体80hz~120hzくらいのことを指すような気がする。シスコンなどで「重低音がすげー」という時は、もっとずっと上の帯域、大体120~200hzくらいだろうか。ロックなどを聴いていて、ずんずんくるのが、そのくらいだろう。

オーディオ的に再生の目標になるのが、一応40~50hzで、それ以下は超低音という言い方をすることもある。超低音を簡単に聴けるのが、オルガンの低い方で、こちらは20hzのCD再生限界ぎりぎりまで、楽音として出てくる。

自分の装置で聴いてみると、たしかに25hz前後というオルガン音が聞こえるのだが、これが倍音成分なんだかどうなんだか、自分の耳だけで判断するのはむずかしい。何しろ、めったに聴けない音なのだから、体験が足りないのだ。

ただ、スーパースワンの再生限界はどうがんばっても40hzだから、25hzなど出ているはずはないのだが、オルガンの最低音に近いところが音として認識できることは確かだ。だから倍音なんだろうが、では50hzで聞こえるあの音は何だという話になる。

ジェット機の離陸の音源で、うおおおおおおーんんんん、といって部屋全体が震えるようなCDがあるけれど、このへんも、スピーカーの限界の40hzふきんだとすると、40hzでも耳ではなく体で聴くといった感じになってくるんだろう。

で、最近の映画なのだが、この重低音だか超低音だかが、やたらに入っているのだ。サウンドデザインをする時に、とにかくスキあらば低い方を聴かせてやれといった意図が見える。

昔から、戦争の時に太鼓を叩くように、低音というのは人の心をひとつにまとめる、あるいは狂わせる作用があるから、映画の音響として、せっかく使えるようになった低音を使うというのはわかるのだけれど、どうみても使いすぎである。

ドアの開閉、車の疾走、発砲、爆発、突進、パンチに投げ技、なんでもかんでも大音量の低音で色づけされているので、こちらの耳が特別に悪いということもあるのだけど、肉体的につらい。引き込まれるよりも、拒否反応を感じてしまうことがある。

モノゴトはめりはりが大事である。おおざっぱにいって、のべつまくなしに大低音が入っているアクション映画というのは、そのサウンドデザインの仕事ぶりだけで、二流だとわかるといっていい。もっとも、そのデンでいくと、たいていの映画は二流になってしまう。

映画館の音響が革命的に向上した時代だから、ひとつの過渡期でもあろうけれど、早いところ一山越して、効くべきところに効く、センスのいい音響に落ち着いてほしいと思う。

まあ、たまには、音のシャワーを浴びるような映画があってもいいけどね。