2010年1月15日

成人式

話が前後してしまうのだが、3日は長女の成人式だった。

と、淡々と書いてはみたものの、どうも実感というものがない。もっとも自分の成人式の時には、引っ越したばかりで案内の葉書すら来ず、一人で福岡のアパートにいたので、成人式がどのようなものなのか、テレビでしか知らない。

大体、11日に成人式というところが多かったはずなのだが、長女の場合はなぜか3日にあった。出身中学校の同窓生のみというこじんまりしたもので、出席者は100名ほどだったらしい。宮崎市内のホテルで式があり、その後、懇親会になだれこんだということなので、ほぼ同窓会だな。おれらから見ると、なんだかセレブなノリである。しかも親も相当数、出席したそうである。こちらはそういうのは、ばかばかしいので行かない。

うちの場合は、18で高校を出た瞬間に、家庭内では成人であるので、20歳になったからといって特に訓辞を垂れることもなかった。好きなように生きるがよい。そのために必要ならば、努力もすればよい。その実りは、みんな自分のものだ。

2010年1月12日

祖母死して

祖母が8日に亡くなり、9日は葬儀で鹿児島へ。享年101歳。

葬儀場へ行ってみると、見慣れた大ホールに椅子が並ぶ、あの荘厳なような寂しいような情景とはちがって、広めの和室に祭壇と棺が置かれ、その前で親戚が数人、弁当を使っていた。10数年前に会ったきりの叔父がおり、30数年前に会ったきりの伯父もおり、なんだか葬儀というよりもひさしぶりの新年会のようでもある。

やがて弟の家族が来たり、妹が来たり、ほかに数人で総勢20名ほどの規模。それが棺に向かって正座をし、お経を聞いている。

101歳(満99歳)だから大往生というのでもなかろう。祖母は数年前まで母の家で暮し、こまめに細工ものなど作り、それをひ孫たちにプレゼントしたりもしていた。やがてターミナル医療の施設に入ったが、これも老境にさしかかった母は、毎日そこを訪ねて給食だけでは足りない、刺身だの魚の煮たのだのを差し入れていた。

亡くなる前日まで、いつも通りに食事をし、話をしていたという。そして、食べたくないと言った翌日に死に、正月明けの土曜日に、離ればなれになっていた家族をひとつの場に呼び寄せ、なんとも明るいとすらいえる弔いをさせた。

願わくば花の下にて春死なん・・・。

この西行の歌すら、稚気とか若気の至りと思わせてしまう堂々たる往生。西行が初めて小さく見えた。ひっそりと生き、木が枯れるように死に、その死に際に、ほのぼのとした花を咲かせた。西行の花よりも、それは美しく尊いもののように思える。

この祖母の家は、昔、鹿児島の鴨池で電器屋をやっており、そこへ遊びに行くと、いつも熱いミルクを飲ませてくれた。コップの表面に膜が張っているような、ごく熱いミルクで、その膜をよけながら飲みつつ、商売もののゲルマニウムラジオなどをいじっていたのだった。

2010年1月 2日

謹賀新年

新年あけまして、おめでとうございます。

元旦は朝から夜までサイトの更新とメルマガ書きで、結局、いつもの日よりもよく働く日になってしまったのだが、月初はいつもこうなのだから仕方がない。

とにかく月日の流れが早く、何の心の準備もできないままに正月になった。実感としてはようやく今日あたりクリスマスかなという。いや、12月10日くらいかなという感じなのだ。

ただ、大みそかには神棚を酒で清めてノリトをあげた。真新しいサカキも差した。これだけのことで、心のどこかがリセットされるような気がする。

ニホンのお正月もだいぶ味わいが変わってきた。明治神宮の青空球児・好児がいなくなったせいかもしれないな。

2009年12月22日

午前10時の映画祭

全国25の映画館で、「何度観てもすごい映画」を午前10時から放映するという、午前10時の映画祭。上映作品50本が決まったという記事を読んだ。以下の作品である。

○カサブランカ
○第三の男
●天井桟敷の人々
●雨に唄えば
○ライムライト
○ローマの休日
○裏窓
○エデンの東
○ショウほど素敵な商売はない
●戦場にかける橋
○昼下りの情事
●鉄道員
●お熱いのがお好き
○十二人の怒れる男
○北北西に進路を取れ
○アパートの鍵貸します
●太陽がいっぱい
●チャップリンの独裁者
●ベン・ハー
○ウエスト・サイド物語
●アラビアのロレンス
●大脱走
○男と女
○ミクロの決死圏
●2001年宇宙の旅
○ブリット
○ロミオとジュリエット
●ワイルドバンチ
○明日に向って撃て!
●ゴッドファーザー
●激突!
○フォロー・ミー
○映画に愛をこめて アメリカの夜
○スティング
○追憶
○パピヨン
○クレイマー、クレイマー
○ある日どこかで
●ライトスタッフ
●アマデウス
○刑事ジョン・ブック/目撃者
●スタンド・バイ・ミー
○眺めのいい部屋
○薔薇の名前
○ニュー・シネマ・パラダイス
○バベットの晩餐会
○レインマン
●フィールド・オブ・ドリームス
○羊たちの沈黙
○ショーシャンクの空に

なるほどな、というラインナップ。上記のうち、●は観たことがあるもの。たぶん観てるんだけど、よく覚えていないものは、今後の楽しみのために外した。けっこうたくさんある。

昔は名画座というのがあって、古い名作をいつでも安く観ることができたわけだけど、今、シネコンの時代になって、世の中みんな封切館になってしまった。現在、九州には名画座が二軒だけあるそうだ。わざわざ、こういう企画をやらなくてはならないというのは、さびしくもあるけれど、もちろんいいことだとも思う。自分の子供たちには、みんな観てほしい。おれも観るからよ。

午前10時から1本だけやるのか、何本立てかやってくれるのかわからないけれど、朝から名作を観て、ちょっと弁当なりラーメンなり食べて、また午後から名作を観る「平日」というのができれば、それは楽しいことだろうと思う。

ちなみに、全国25の上映館は、以下のリストに。
http://asa10.eiga.com/theater/

当然のごとく、宮崎県内には一軒もない。まあ、こういうところに育つと、かえって渇望するココロが芽生えていいかもしれない。

「市民ケーン」、「サンセット大通り」、「第17捕虜収容所」、「風とともに去りぬ」、フランク・キャプラ作品、セシル・B・デミル作品とか、入っていないのだけど、ニュープリントが条件だそうで、これに引っかかって上映できなかったものも多くあるらしい。

まあ、欲をいえばきりがない。
とりあえず、こういう試みは長く続いてほしいと思う。

2009年12月15日

仕事、一段落

この仕事が終われば年を越せるというのがあって、どうにか一段落した。文字通りの一段落で、文末にマルを書いた段階で、この後も改行して文頭を一マス空けて、最初の文字をナニゴトか書いていかなくてはならない。つまり、終わったわけではない。

だんだんと、この一段落が険しい道のりになってきているような気がする。もともと、文章を書いたり本を作ったりするのが好きであったからこの道に入っているのだが、ここまで続けてこれたのは、出会う何もかもが毎回新しくて、決して慣れることのない仕事であったからだ。

幸い、いまだに慣れても飽きてもいないのだが、これまで当然のことのように自分に課してきたことが、最近は、時に自分を裏切る。10やろうとしたら、10やることで、次の11がある。10やろうとして8で終わってしまったら、いつまでも11には行けないじゃないか。というのが、ワタシの平凡な仕事上の哲学であった。

でも、あれだ。

長く生きて、長く活動していると、恰好いいことばかりではない。どう言い訳しても言い訳のつかないミスとか失敗とか敗北とかいったことを経験せざるを得ない。それがまた、人生の味というものでもあろうな。負けようが情けなかろうが、そんな自分を投げ出さないということである。また、そのくらいしか、できることはない。

とりあえず、一段落。波の収まるのを待って、船を出せたらなと思っている。

2009年12月 7日

セーム・シュルトについて

なんだってこの人ぁ、またこんなに不人気なんだろうね。というくらいの不人気の帝王がセーム・シュルトである。K1-GPで4度優勝というのは、アーネスト・ホーストと並ぶ1位タイの記録であり、おそらく引退までの間にこの記録が破られる可能性は高そうだ。

要するに・・・と結論を急ぐ前に、古今亭志ん生が著書「なめくじ長屋」に書いていた、落語家における大看板の定義についての文章をひいておく。

大看板てえのは、真打になって何年か経って人気が出てきて、その人の力だけでもって、たとい二十人でも三十人でもお客をよべるようになって、はじめて大看板ということになるんです。つまり「あいつの噺を聞きに行こう」といって、お客がくるようになれば大看板です。

つまり、シュルトは真打は真打にちがいないけれど、シュルト一人の力でもって1万人を集めることも、視聴率20%を稼ぐことも、とても無理だろうから大看板とはいえない。その大看板とはいえない者が、4度もチャンピオンになっちゃって、この始末はどうつけてくれるんでい、というのが、現在、彼を取り巻く状況のひとつである。

不人気の最大の理由は、その体格の大きさと、それに似合わぬ俊敏な動き、およびそれに似合わぬ戦略性の高さ、およびそれに似合わぬ技のキレということになる。動きが俊敏で、戦略性が高く、技が切れ、努力家で、性格も真面目で、この道一筋という真の格闘家であることは間違いないのだが、それらのすべての要素が、「体がでかい」という一事でさかしまにひっくり返ってしまうというのは、一種の差別ではあろう。

それは理屈の上ではそうなのだが、格闘技をプロとしてやっている以上、お客の反応がすべてであることは、志ん生の定義の通りである。さらにちと長くなるが、志ん生の相撲についての記述を引く。

こんなことをいうと、ヤリが出るかも知れないけれども、相撲てえものはいわば裸踊りみたいなもんです。(...中略)パーンと投げとばす格好をみて、客は手をたたいて喜ぶ。土俵の外へ押しだしたりするのは、あんまりおもしろいもんじゃない。寄身なんてえのは、相撲としちゃ大事なんだろうけれども、やっぱり勝つんならきれいな上手投げだとか、すくい投げだとか、やぐらだとかをやって、客をよろこばせなくちゃ、おもしろ味がないんですよ。(...中略)自分が勝つためにばかりやるんじゃなくて客をよろこばせるもんですよ。木戸銭をとってやるんですからね。

2年ほど前、K1において首相撲からのひざ蹴りの連打が禁止になったのは、もちろんシュルト対策であったのだが、それはシュルトを勝たせまいとするというよりも、シュルトのつまらなさから客を救う意図があったように思える。

あの背の高さで首をつかまえられて、空手仕込みのひざ蹴りを何発も入れていれば、そのうち、きっといいのが入って相手はどさりと倒れてしまうわけで、そうなると打撃競技としての面白さはなくなる。ひざ蹴りを食らう相手よりも、そんなものを観なくてはならない客の救済策であった。

ほかにもシュルトには「感心しない技」「客の方が痛い技」がいくつかあった。たとえばクリンチ状態になった離れ際に、相手の大腿部の外側にヒザをこつこつ入れていくなどは、もう技として見苦しさの極致だったし、あの体の寸法でもって前蹴りなどといったディフェンシブな技を(しかも世界一といっていいほどの巧みさで)ちょこちょこ当てていくなぞは、見られた図ではない。さらに悪いことに、その前蹴りが時に必殺の一撃となって相手のレバーをえぐったりするのである。

そして、あの左ストレート。右構えの選手にとって左フックは必殺技になるけれど、左ストレートが必殺技になることは、ほぼ絶対にない。人間の体の構造としてそうなっているのだが、シュルトの場合、実にしばしば、その左で相手を倒してしまう。

それは体格の大きさから、思ったよりも伸びて相手をとらえてしまうということもあるのだが、もともとシュルトは左利きなのだ。その強い左を生かすために、サウスポーではなくオーソドックスに構えて、自分がリスクを冒すことなく(利き腕のストレートを打つには勇気がいる。打ち終わりががら空きになるからだ)、万全のディフェンスを保ったまま、ストレート級のジャブを繰り出していくなぞという高度な戦略性が、てめえこのやろう、いい加減にしろよ、ということにもなる。

普通の人よりディフェンシブに戦いながらも、なお普通の人を上回る攻撃力を発揮するバランスを見つけ、そのための技と戦術を磨き、とにかく強くなること、負けないこと、次の試合に勝つことに全力を注いできた彼は、今、勝つために自分が何をすべきかを、もっとも深く知っている選手である。しかし、その戦略性、頭の良さ、磨かれた技のすべてが、彼の不人気につながっているというジレンマ。

プロであるからには勝たなくてはならないのだが、勝てばいいというのではアマチュアである。それを乗り越えてはじめて大看板ということになるのだが、今日現在でいうと、K1の大看板の筆頭はバダ・ハリであり、次にアリスター・オーフレイムであり、次いでピーター・アーツであり、シュルトはそのはるか下の方に位置している。そして、その彼が記録の上ではもっとも偉大な4タイムスチャンピオンなのだ。

この始末は、ほんとにどうつけるのでしょうかねと頭を抱えつつ、世界のK1ファンはバダ・ハリやエロール・ジマーマンの台頭およびシュルトの改心もしくは引退を願っているわけである。憎らしいほど強くてカタキ役にでもなってくれればいいのだけど、真面目で誠実な性格であることは、誰にも伝わるもんだから、不人気ではあるけれどカタキ役になることもない。ほんとに困った人なのであった。

2009年12月 6日

バダ・ハリの革命

今年のK1-GPは、まれに見る面白い大会となった。準々決勝4試合、準決勝2試合、決勝1試合の計7試合のうち、実に6試合が1RKOで決まるというのは、あきらかにファイターたちの戦い方や意識が変わったということだろう。

戦略的にはトーナメントだから、なるべくダメージを残さずに勝ち上がるために早期決着を望んだということもいえるのだろうけれど、それだけではない。アリスター・オーフレイムや川尻達也といった総合の選手がK1ファイターを倒した、あの最初からエンジン全開の戦い方が下敷きになった、あるいはひとつの方向性を示したように思える。

それは、よりリスクを負うようになったともいうことで、実際、決勝で負けはしたものの、この大会はバダ・ハリの大会として記憶されることになるはずだ。彼は、ほかの誰よりもリスクをとり、KO勝ちかKO負けかという勝負を全試合でゴングが鳴った瞬間から仕掛けていった。また、その空気が大会前から他の選手たちに感染していったように思えた。

超不人気のセーム・シュルトがV4を達成したことで(そのシュルトにバダ・ハリが倒されたことで)、興業としては大団円とはならなかったものの、K1の意識改革の象徴としてバダ・ハリは今後、K1の中心であり続けていくことと思う。

その意味では、アリスターがいうように、K1は簡単な競技になったのかもしれない。簡単というよりも、倒すか倒されるかの誰にでもわかりやすい競技。だから戦略的な深みには欠けるかもしれないけれど、再び多くの人をひきつけるものになっていく可能性がある。

ここ7~8年の王者であるレミー・ボンヤスキーやセーム・シュルトは、その対極にあるような、負けない試合をする選手たちだったが、セームは負けを重ねたことでむしろ選手として見どころが増し(彼の面白い試合は負けた試合だけだというのは皮肉だが)、ボンヤスキーも、ファンが何を求めているかという今年のトレンドを無視することはできないと思う。

しかし、そうなると「強さ」とは一体なんだろうということになる。バダ・ハリVSルスラン・カラエフの試合が象徴的だったが、結果は結果として、どちらが倒し、倒されてもおかしくない試合だった。それは試合として面白いことは確かだけれど、全員がリスクをとってフルスイングで殴り合いを始めれば、そこには運の要素が入り込みすぎはしないだろうか。

一瞬の間に、何発ものパンチが錯綜し、その一発がかすっただけでも、そのままダウンにつながるとすれば、またシュルトの左ストレートのように、ジャブかと思ったものが、ほんの少し鋭く伸びたことで、大会の華であったハリをたちまち戦闘不能の状態に追い込んでしまうとすれば、観ている側は、そのパンチの意味を汲み取ることもできない。

一発のパンチや蹴りという、わずかな瞬間に起こる出来事を多くの人が注視し、そこに何らかの意味を見いだそうとするのが格闘技というイベントなのだから、倒したという結果、勝ったという結果だけ提示されても、困ってしまうのだ。

アーツやホーストのように、勝ち続けながら、なおかつ強さも示し、かつ試合が面白く、人気も高かった選手たちと、現代のシュルト、ハリ、レミーの間にある差は、そう簡単に埋まることはなさそうに思う。それでも、ここ数年のつまらなさにバダ・ハリが革命を起こした大会だったとはいえるけれど。

映画>戦略大作戦

『戦略大作戦』(ブライアン・G・ハットン監督/1970)。

ノルマンディ上陸後、ベルリンへ進撃する米陸軍偵察部隊。なのだが、味方の誤爆にさらされ、いいところは他の部隊にさらわれ、隊長の大尉は略奪品のヨットを運びにパリに出かけてしまうし、上陸後6か月で初めて得た休暇は、街にも遠い野原の真ん中だったりする。

捕らえたドイツ軍情報大佐から、ある敵地の街に14000本の金塊が保管されていることを知り、タイガー戦車3台が守備するその街へ、仲間を巻き込みながら(任務ではなく私欲のために)突入していく、というコメディ映画。

主演はクリント・イーストウッド。仲間に加わる戦車隊長としてドナルド・サザーランドが出てくる。ほんとに、この人が出てくると主演も何もあったものではなく、完全に画面を食ってしまう。イーストウッドなんか消し飛んでしまう。ニホンには小沢昭一という怪優がいるけれど、アメリカでは(カナダ人だが)ドナルド・サザーランドである。まさに怪演。

まあ、この映画は戦争映画というよりも西部劇であると思った方がいい。それも、ヒューマニズムとか開拓時代のロマンとかいった要素とは関係がない、マカロニ・ウェスタン調の戦争コメディか。

で、お目当ての金塊はあったのか。たいがいの悪漢小説、ピカレスクロマンにおいては、実は鉛であったとか、すでに誰かが持ち去った後であったとか、途中で仲間割れを始めて最後の一人だけが金塊までたどり着いたのだが、そいつもその場で息絶えるとかして終わるものなのだが、これはちゃんとそこにある。

14000本、1600万ドルの金塊を収めた銀行の扉は、説得した敵のタイガー戦車の隊長によって吹っ飛ばされ、米兵およびドイツ兵によって山分けされて、街の解放を喜ぶ市民およびそこへ乗り込んできたパットン将軍を尻目に、みんなすたこらとどこやらへ逃げていくのだった。

全体にみるとお気楽なコメディなのだが、戦闘シーンの緊迫感はそれなりに盛り上がる。また、この時代の映画にしては画面が非常に緻密できれいだった。

2009年12月 4日

映画>M★A★S★H

『M★A★S★H』(ロバート・アルトマン監督/1970)。

なんだか途方もなく疲れており、飲みに出るかどうか腕を組んで考え込むような状態だったので、無理はやめて映画でも観ることにするかと思ったとたんに、ドナルド・サザーランドの馬面が見たくなった。

これで4回目なのだが、今回が一番笑ったと思う。朝鮮戦争の最前線の陸軍病院に勤務する外科医たちのお話。これは、もはやアメリカの川島雄三というか、さらにもっと軽いか。全体に破調のドタバタギャグかと思っていたら、このテンポの良さはただごとではない。こんな映画、作ってみろといわれて手を挙げる監督が、今、日本にいるかどうか。

ドタバタ、ナンセンス、破天荒、スラップスティック、どう呼ぶとしても、これが名作であることに変わりはない。ほとんど脚本を無視したアドリブで進んだらしく、台詞が時々かぶる。しまいには演出としてわざとかぶせるなんてこともする。

とてつもなく疲れて、呼吸も満足にできないような時には、こんな上等の馬鹿映画は救いになる。特に医者の皆さんは、ストレス解消にぜひどうぞ。ただし、ちと下品なので子供と一緒にはおすすめしませんけど。

2009年11月30日

横峯さくらさんのこと

横峯さくらさんにお会いしたのは、2005年の春。宮崎市内のホテルで、父良郎さんと二人でインタビューを受けていただいた。この時、まだ19歳。前年にプロデビューして、小柄な体から繰り出すあのもの凄いオーバースイングと、父と二人でキャンピングカーで移動しながらのツアー参戦が話題になった頃だった。

さくらさん本人のインタビューだったのだが、話の大半は良郎さんが持っていってしまい、会話しながら、これは記事になるんかなと不安なほどだったのだが、彼がレスラーの前田日明を非常に好きだということがわかり、こちらも悪のりして、しばらくプロレスの話が続いてしまったりした。

ちょうどこれから、宮崎市のトムワトソン・ゴルフコースに隣接するシーガイアのコテージで生活を始めるということで、これから寝ても覚めても練習漬けの毎日が送れると、うれしそうだったことを思い出す。目標は、まずツアーで1勝すること。将来の夢は賞金女王と、あの頃から語っていた。そう、まだ1勝もしていない横峯さくらだったのだった。

そのさくらさんが、29日、これも宮崎市で行われたリコーカップ最終日に、奇跡的なショットを連発して逆転優勝し、初めての賞金女王を獲得した。今年の賞金総額は1億7501万6384円で、史上最高額に達した。

前田日明といえば「パワーオブドリーム」という名著があって、おそらく現在は参議院議員になっている良郎氏も読まれていることと思う。娘は娘なりに夢を追い、父は父なりに夢を追い、その夢は重なる部分とそうでない部分とあるのだろうけれど、着実にというよりも、何のためらいもなく、まっすぐに夢に向かっていく、その力。人としての輝きというのは、そういう時に感じるものなのだということを学んだインタビューでもあった。