2010年8月26日

amazonデビュー

5月頃から準備を進めてきたギアラボのamazonへの出展。本日、ようやくデビューとなりました。
http://www.amazon.co.jp/gp/browse.html?ie=UTF8&marketplaceID=A1VC38T7YXB528&me=A1IIUXZBDHFIW5

通常、出展に3か月もかかることはなくて、商品の登録自体は数日でなんとかなったのですが、発送や受注管理をオリジナルサイトとなるべく統合するための、プログラム関係でちょっと時間がかかってしまいました。まあ、とにかく、こういうのはひとつひとつ手探りで山を越えていくしかありません。

商品の大半は自社オリジナルなので、出展の要件であるJANコードの掲載も手間がかからなかったのですが、それでも「自社開発だけど他社製造」というのもけっこうあり、これらはJANコードの扱いが決まり次第、掲載できると思います。

amazonは他のモールとちがい、店舗を出すというよりも商品を出すというイメージになります。出展費用は、大口出品者という形態の場合、月額4900円。これに売上代金+送料の10%が手数料としてかかります。送料もたいていの場合、赤字になるはずなので(特に九州発送だと苦しい)、ある程度の利幅を見込める商品でないと...ということになります。

うちはオリジナル製品のくせに利幅がうにゃうにゃ...なものが多いのですが、とにかく露出を増やそうということで、今回のamazonを皮切りに、楽天やYahoo!ショッピングへの出展も計画しております。

2010年8月18日

わりこっぼたち

引き続き、谷山中学校シリーズである。

今でもそうなのか知らないけれど、鹿児島ではちょっとグレたような、まあ当時でいえば学生服のズボンのすそを極端にしぼった「マンボ」をはいているような少年たちを、「わりこっぼ」と呼んだ。わりこっぼにも濃淡あって、単に自我の確立の過程において、ちょっと極端な方向に走ってしまったのもいれば、兄貴がそうだったからというのもおり、中には許容範囲ぎりぎりくらいのやつまでいた。

「わりこっぼ」とは、直訳すれば、「悪いやつ」とか「札つき」ということになるのだが、それほど冷淡な扱いを周囲から受けるわけではない。彼らの共通項としては、悪いながらも一応周囲に受け入れられ、時にはそれを特質として愛されてさえいるということがある。

許容範囲を超えた、ほんとに悪いのは「わりこっぼ」とは呼んでもらえず、たぶん、それを指す呼び名もなかった。たとえば、下級生を呼びつけて殴るとか、カツアゲを行うなんてのは、それが仲間の怒りを買うほどのところまでいき、矯正不可能と判断されれば、制裁の対象ではあっても、わりこっぼとは呼ばれない。

あの頃は、余裕があったのだろうと思う。世の中にはいろんなやつがいる。そのいろんなやつの中に、ちと悪いのもいて、その悪いやつの中にも、濃淡とりまぜていろんなやつがいる。ということを、ワタシのような普通の街の子も知っていたし、彼らの多くは友だちでもあった。周囲の大人たちも、「あん、わりこっぼが」と言いながら、どこか喜んでいるような気配すらあった。そんな連中が、時に、大人になって大きなことをしでかすことがあることを、むしろ楽しみにしていたのかもしれない。

中学2年の頃、そんなわりこっぼたちの教育に乗り出した、一人の先生がいた。鹿児島なのになぜか東北なまりがある老齢の数学教師で、通称を「ジアン」といった。爺やん、である。ジアンは身長が150cmもないほどの小柄・細身の老人であったが、生徒を愛する心は並たいていではなく、学校中のわりこっぼを集めて、特別清掃班というものを作り、自ら指揮をとった。

その数は15人から20人くらい。とにかく、見事な人選というほかないほど、1年から3年までの筋金の入ったわりこっぼを集めた。通常、学校の掃除時間には、各自自分のクラスの床掃除だの、割り当てられた校庭掃除だのをするわけだが、特別清掃班(特掃班と呼んだ)は、いわゆる遊軍であって、台風で木が倒れればそれを運び、雨で校庭に水たまりができればそれを埋め、植木が伸びたといっては剪定をしと、学校中を一輪車を押して走り回っていた。

そこに入れなかった中途半端なわりこっぼたちや、普通の子からも志願者が出るほどの活況ぶりであって、学校中の大ボス、中ボスクラスのマンボ軍団が、ジアンの指揮の下に走り回っているのは、今思うと、教育のひとつの華というべき姿だったろうと思う。

特掃班の男たちは、最初は抵抗もあったかもしれないが、やがて同じような仲間とともにカラダを動かすことの喜びを知り、それが学校中から注目されていくことの喜びを知っていった。ワタシも正直、入れてくれるなら、入れてもらいたかった。なにか、そんな男たちが格好よかったのだ。

その特掃班の大ボスが、上村武久・たっぼんであった。学校中のわりこっぼが集まっているのだから、学年を超えた縦・横のつながりができる。たっぼんは、正確にいうとわりこっぼというよりも、常識外れの体力と正義感をもつ、いわば普通の尺度に当てはまらないような男だったから、半端な悪ガキなどは、一言、ひとにらみでケリがついた。

下級生の番長クラスで、許容範囲を超えそうなのがいると、呼び出して一言か二言、何かいう。それで当座はおとなしくならざるを得ない。彼が3年だった頃ほど、谷山中がおだやかだった時代はなかったのかもしれない。それもまた、ジアンの計算のうちだったとすれば、その知謀の深さは驚くべきものがあると思う。

ジアン先生は、まだご健勝でおられるのだろうか。われわれ全体にとっての、恩師の一人だったと思う。

2010年8月17日

中学校の同窓会

中学校の同窓会で鹿児島へ。鹿児島市立谷山中学校というのが私の母校で、昭和50年卒組が140人ばかり集まった。

よくもこれだけ集めたなというのが、まず驚きである。当時、40人学級がひとつの夢として語られた時代だったから、たぶん1クラスに50人近くはいたと思う。それが12クラスまであったから、総勢600人。そのうちの140人なのだ。高校を卒業すれば、多くが県外に出てしまう鹿児島にあって、卒業後35年経っての、この「集まる力」というのは、並のことではない。

聞けば、各クラスから実行委員みたいなのが一人出て(それをやるための事前の取り組みも、いろいろあったわけだろう)、それが一人一人、手探りでクラスメートの所在を調べていって、今回の開催にこぎつけたものらしい。

クラスごとに分かれた受付に行くと、そこらにたむろしていた連中から、次々に声をかけられる。「おお、ひさしぶり」というしかないのだが、ひさしぶりどころではない。大半は中学の卒業式以来であって、この会がなければ、一生会うこともなかったやつばかりなのだ。

5時半に会場入りして、6時にスタートということだったのだが、そこらでもう勝手に盛り上がってしまって、立食パーティは大変な騒ぎとなる。結局、乾杯の発声は7時頃。先生方も5人も来場され、われわれの担任(ボッチというアダナの名物教師だった)も元気で来ておられた。

とにかく、こうなってくるともうタイムマシンに乗ったようなものである。バック・トゥ・ザ・フューチャーよりすごい世界である。すごいすごいと驚いていると、「お前が一番変わった」と指摘される。どうも、もっと雄大な体格になっていると思われていたらしい。

谷山というところは、われわれの世代の共通項としては、吉田拓郎が小学生までいたところである。今は、田んぼはなくなり、海も埋め立てられてしまったけれど、当時はあの「夏休み」の情景そのままの土地だった。

南北に延びる街の中心部だけ少し高くなっていて、東へ坂を下りれば潮の匂いのする漁師町があり、西に坂を下りれば田んぼが広がる田園風景があって、さらに進んで山に入っていくと、そこにはまた山の暮らしがあった。

海と、街と、田園と、山の暮らしが、コンパクトにまとまっていて、この600人の同級生たちは、それぞれに生まれた土地の空気をまとって、学校に通ってきていたわけである。私は、地形的に真ん中に位置する街の子だったから、海にも山にも友だちを作ることができた。

いろんなやつがいて、思い出はつきないのだが、一人、まあ公人のようなものだから、名前を出してもいいやつがいる。上村武久という。今、鹿児島県警の組織犯罪対策課総括情報官兼組織情報管理室長というものになっている。マルボウのトップということらしい。

子どもの頃から並外れたところのある男で、小学5年生の時に、後に私と彼が通うことになる高校の柔道部の男と喧嘩になって、前歯を折られながら勝ちを収めた。通称は「たっぼん」というのだが、これは「武ぼう」から転じたわけではなくて、小学生の頃、彼の腕を見た一人のばっばん(主婦)が「たっぼん(焚きもの)のような腕じゃ」と感嘆したところからついた。つまり、小学校時代から、松を割ったようなカラダをしていたわけである。

中学3年の時、彼とタイマンになりかけたことがある。何に怒ったのかわからないが、トイレの裏かなにかに呼び出された。事情はわからないながら、こちらも腹を決めたら気が楽になったので「やるならやらんか」といったら、何かを察したらしく「じゃらいね(そうだよな)」といって、とりやめになった。今にして思うと、やっておいても、いい思い出になったような気もする。

並外れた体力があり、一輪車でもオルガンでも、頭の上に差し上げて歩いた。だから、小学校卒業以来、彼が喧嘩をしたというのは聞いたことがなく、むしろそういうのを抑えて歩くような男だったから、今の仕事は天職というものなのだろう。

高校時代は、週に一度くらいのペースで、彼の親戚の家に同級生が4、5人集まって、年上のアニキたちと一緒に過ごした。あれは、長じればたぶん、「飲み方(薩摩の男の宴会)」になっていったのだろうし、酒も出ないでもなかったのだが、私もたっぼんも、当時は酒が飲めず、たいていはコーラなど飲んでいたのだった。

同窓会の二次会は、同級生がやっている天文館のスナックに約60人。ここもおひらきになる時に、たっぼんが相撲甚句でしめてくれた。聞いていて涙ぐむやつがいるほど、いい甚句だった。

2010年7月31日

門川湾へキス釣りに

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そんなわけで、整備が済んだ富美丸に乗って、門川湾へキス釣りに。同行はヤマガタ氏。今日は最高気温34度という酷暑だったのだが、海に出てしまえば気持ちの良い風が吹き渡って、実に爽快なものである。

おまけに、写真の「痛い帽子」の日陰効果も。といいたいところなのだが、この帽子は見た目が痛いわりには、風にずれやすいという欠点があり、陸っぱりなら重宝しそうなのだけれど、船釣りには不向きだった。麦わら帽子(すだれ付き)を買わなくてはな。

釣りはキスの反応がいまいちで、朝7時に出船、3時までやって11尾。ほかに巨大キュウセン2、カサゴ1、トラギス2といったところ。キュウセンは写真を撮りそこねたのだが、1尾は縦線がくっきり入った雌で24cmほどもあった。こんなでっかい雌は初めて見た。

そしてタコのアタリは今日もなし。昨年が当たり年だったのか、今年が不作なのか、雨続きでコンディションがよくないのか不明。海水温は、前回釣行時(6月6日)と比べて明らかに高く、手をつけた感触はほとんどぬるま湯のようだった。

午後から風が少し強くなり、帰港時には案の定、左右隣の船がぴったりひっついて、富美丸を入れるスキマがない。二軸のリモコンをがちゃがちゃやりながら、うろうろしていると、ひとつおいた隣の船の人がボートフックで押してスキマを作ってくれ、ヤマガタ氏のサポートもあってなんとかなった。

これが一人の操船だったら、たぶん着岸に相当苦労することになるんだろうと思う。着岸させたとたんに、陸の熱気が押し寄せて、二人とも熱中症寸前のモーロー状態となり、モーローとなりながら、のろのろと後片付けと掃除をし、モーローとなりながら近所のスーパーのトイレで水を浴びて、ついでにマックでソフトクリームを食べて帰ったのだった。

2010年7月28日

富美丸の整備完了

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梅雨も明けて、ようやく整備屋さんが仕事ができるようになり、富美丸もドックから降ろすことができた。写真はドックに上げたところ。浮かんでてもボロ船だけど、陸揚げするともっと......だな。船底のカキも、このくらい着くとエンジンに負担がかかるということ。

今回の整備ポイントは以下の通り。本日現在のアワーメーターは323時間。

●エンジンオイル交換
●オイルエレメント交換
●ギヤオイル交換
●アノード交換
●ドライブユニットのリバースロック修理
●バッテリー充電
●船底塗装
●ボートシート取り付け
●船名ステッカー貼り
●ニュートラルスイッチ点検
●ビルジ抜き
●エンジンルームの蓋交換

懸案だったエンジンのかかりについては、ニュートラルスイッチに異常はなく、どうもバッテリーの端子やメインスイッチの端子がゆるんでいたことが原因だったようだ。これらをしっかり締めたら、解決したとのこと。また、後進時にドライブユニットが浮く件は、リバースロックという部品が塩を噛んで動作不良を起こしていたらしい。

以上の作業のおかげで、何の不安もなく乗れるようになったのは、慶賀の至りである。今回はすべて整備屋さんにおまかせしたのだが、次回からは船底塗装くらいは自分でやることにしよう。

2010年6月30日

8強ということ

ブラジル、スペイン、ポルトガル、オランダ、イタリア、ドイツ、アルゼンチン。と、ここまでがFIFAランキングのベスト8である。8強をめざすということは、つまりこれらの国々と五分の立場になるために、どうにかこうにか、スキマをくぐり抜け、波瀾万丈乗り越えて、無理を承知でなんとかするという話なのだ。

W杯で日本がたどりついた16強が、FIFAランキングでどんな国々なのかというと、9位から順にクロアチア、フランス、ロシア、ギリシャ、エジプト、アメリカ、チリ、セルビアとなる。この8か国も相当なツワモノなのだが、やはり8強との間には一枚も二枚も、それもかなりぶ厚い壁があるように感じる。

ランキング45位の日本が、32か国しか出られないW杯に出場したというだけでも、その努力と幸運は尊ばねばならないのだが、図々しいことにこの国の監督は、「ベスト4をめざします」と、あのメガネの奥の細目を光らせて、そう宣言したのだった。

この人の、後先顧みない、他人の批判や悪口など目の隅にも入らないような、最善を尽くすための勇気というものについては、ここ最近のニホンでは類を見ないものだった。「われわれは何も変っていない」という言葉を、二度聞いた。もし変ったものがあるとすれば、世間の、あなた方の方なのだと。

いいチームだった。

怒った電柱のようにゴール前に立ちはだかり、敵の危険なボールをはね返しつづけた中澤とTULIO。このくらい、できて当たり前だという顔をして、足下に磁石がついているかのようにボールをキープした本田、ゼンマイが切れるまで走り続ける覚悟でピッチを駆け抜けていった松井と大久保、いつのまにか...、という位置取りと粘着で敵のエースの光を消し、いつのまにか決定的な攻撃の起点になっていた長友、システムのへその位置で、ゲームバランスを保ち続けた長谷部と阿部。そして、抜擢という言葉を1試合で忘れさせたGK、川島。

どうやったら点が入るのか、勝てるのかイメージができなかったチームが、勝つための戦略と戦術を明確に手に入れたようだった。そのターニングポイントがどこだったのかわからないけれど、おそらく、あの4連敗した国際Aマッチから直前のジンバブエとの練習試合に続く、どこかだったのだろう。

一次予選を無敗の1位で通過したパラグアイを相手に、それはボールをキープする力という、サッカー選手としての基礎の基礎の部分で、超えられない壁を感じさせはしたものの、120分をスコアレスドローで戦い抜き、PK戦というサイコロを振るようなゲームで敗退した。ただ、日本のサッカーが、これまで超えられなかった見えない何かを、超えてみせたことは大きい。

黄金世代と比較して、谷間の世代といわれた連中の中で、しかもW杯直前までろくに出番も与えられなかった連中が、やってのけたこと。それは、後に続くお手本をこしらえたということだった。

個々の力で世界の一線級に劣っても、チームに中田英寿がいなくても、きちんとゲームとして成立させ、あわよくば勝負への扉をこじあけていくための、日本的、日本人的な戦いの形が(それは狡猾さや駆け引きといった日本人が苦手なメンタリティとはちがう部分で)、これから当分の間、ひとつのモデルとして受け継がれていくのだろうと思う。

2010年6月28日

ボート整備の備忘メモ(2)

書くほどのことでもないのだが、書かないと忘れてしまうので、ほんとのメモ。

以前、膨張式救命胴衣×6を買った海遊社に、エコノミーフォールディングシート(6800円)と亜鉛メッキの回転スイベル(2900円)を発注。
http://www.kai-you.com/boat-sub/folding_seats.htm

昨日届いたのだが、なぜか回転スイベルは黒塗りのスチール製?のものが入っており(メーカーの箱にはZINCと書いてあった)、本日返品。海遊社から連絡があり、できればステンレスのものに買い替えたいと伝えると、メーカーに在庫を確認しますとのこと。別に急がないので、よろしくと頼む。

懸案のエンジンルームのビルジは、エンジントラブル時に整備しやすいように、コンソール前面を四角に切り抜いてある部分の、アバウトに止めてあるガムテープが劣化して、そのスキマから雨水が漏れているのではないかと思う。実にアバウトな話である。

だもので、水に強くて接着力が強く、なおかつ剥がしやすいガムテープを探してみたところ、なかなかそんなものはない。ブチルゴム系が強力なのだが、あれは貼ったが最後、剥がすということは想定していない。あとはアクリル系ということになるのだが、これもまた、強さということは考えていない。

それでも、まずまず、これならというものが見つかった。というか、この分野ではほとんどこれ一択。アサヒペンから出ているDUCKパワーテープ。近所のDIYで10m巻きを購入。400円くらい。ガムテープにしては、かなり高級品。

ビルジといえば、エンジンルーム以外にも、左舷後方の物入れの中が、けっこうビルジが溜まっていた。これは何が原因だかわからない。ほとんどは、例のドラム缶用ポンプでいけるのだが、やはり完全には吸い取れないため、スポンジを探す。

モンベルからカヌー用のビルジスポンジが出ているのだが、そのまま使うのも芸がないので、いろいろ調べてみると、「超吸水スポンジ」と「BM タイル用スポンジ」(左官用らしい)の2点が、かなり優秀であることがわかる。

近所のDIYには、「超吸水」しかなかったので、これを買う。吸水量650ml。26cmx9cmx3.5cmのロングタイプ。980円。これもスポンジのくせに高い。洗面器に水を張って実験してみると、なるほど、どんどん水を吸う。しっかりしているので、長持ちしそうだ。あとは、これにヒモをつなぐ工夫がいる。洗濯ネットを流用する予定。

エンジンルームの蓋は、これまたDIYの工作室でカットしたのだが、備え付けのジグソーの刃がワヤで全然切れない。力を込めて押しつけてようやく切れる感じで、そのせいだか、ずいぶん波打ってしまった。塗装も済ませたのだが、うまくはまるのかどうか、やってみなくてはわからない。

ものはついでで、バウ側の物入れに敷くスノコも買う。44cmx36cm。開口部の寸法が42cmx42cm。たぶん、なんとかなるだろうと思う。

週間天気予報をみると、二日続けて雨が降らなそうな日はない。整備屋さんの方でも、なかなかドックに入れる日が決められないことだろう。こちらも、待つともなく待たぬともなく、梅雨空を眺めている。

2010年6月23日

ボート整備の備忘メモ

宮崎は毎日ザザ降りなのだが、予報では今日だけ曇りということだったので、ボートのいろいろをやるべく1時間半かけて日向へ。宮崎から日向へのルートは、都農町や川南町を通過するため、道中の数カ所で車を消毒するポイントがある。

まず、シナベニアを切って水性アクリルで塗装した新しいエンジンルームの蓋の取り付け。ところがこいつが、いきなりつまづいた。どうも寸法が合わないので確認してみると、板の下に向けて尻すぼみに小さくなっている。上辺が48.5cmなのだが、下辺は44cmしかない。これはまたカットして、塗料も塗り直さなくてはならない。

スポンジが劣化して腐っていたので丸裸にしてしまったシートは、FRPも劣化してちくちく刺さるので、新調しなくてはならない。どうせ雨ざらしだから、クッションの入っていないホールディングタイプのFRPシートを買おうと思っている。ナニの時は釣り用の防水クッションでも敷くことにして。

ボートシートは、通常ベースから4本のビスで止めるのだが、ベース側の寸法を測っていなかったので実測する。たぶん、問題ないであろう。同時に、回転スイベルも買う予定。

こうしたものは、Overton's などの海外通販で買うと、信じられない安さではあるのだが(国内で7000円のシートが22ドルとか)、送料を考えるとシートのような重くて安い商品だと、さほどのメリットはないこともわかった。とりあえず高いとは思いつつ、国内で買うことにする。

今日の最大の収穫は、港そばの整備屋さん「ナステック」の主人に会えたことだった。ドックと小さなプレハブ事務所で商売しているところで、「ディーゼル船は...」とちょっと及び腰ながらも、丁寧に話を聞いてくれ、懸案のニュートラルスイッチと、後進時にドライブユニットが浮き上がる件の修理を引き受けてくれた。

ものはついでなので、エンジンオイル・オイルフィルターの交換、および船底塗装までやってもらうことにする。ビルジについては、上架時にチェックしてみるとのこと。ドライブ周りのオイルもチェックしてみるそうだ。

ところで、先日の別の船屋さんもそうだったのだが、なぜディーゼル船の修理が敬遠されるのか、理由がわかった。単純にエンジンルームに体が入らないそうだ。「若い頃は無理やりやってたけど、今は体が硬くなって」ということだった。たしかに、小型ディーゼル艇のエンジンルームは、ルームとは名ばかりで、ただエンジンの覆いにすぎない。いざとなれば、コンソールごと取り外して修理するような大仕事になってしまうのだという。

「エンジン本体とシャフトはやれないけど、それでもいいですか」というので、もちろんそれでよかですと返事をする。よかどころの沙汰ではない。

整備についての今日の状況

◎オイル交換
◎オイルフィルター交換
◎ニュートラルスイッチの不調を整備する。
◎後進時のドライブユニットの浮きを直す。
◎上架して船底塗装をする
◎旧船名はがし
・壊れているインパネの蓋のバネを注文すること。
・腐っているエンジンルームの蓋を板材で自作。
・新船名のステッカー(がほー部長さんが作ってくれるらしい)
・ボートシートおよび回転スイベルの新調

◎は、ナステックに依頼した項目。やはりプロが近くにいるのはありがたいことである。

2010年6月20日

再現・小型船舶実技修了試験

友人のたぬきさんとMARI-Jさんが、二級もしくは一級小型船舶免許を、「一発受験」で受けてみようかという気になっているみたいなので、少しでもお手伝いできればと、昨日の修了試験の様子を、覚えている範囲で再現してみる。私の操作および解答の一部は、たぶん正解ではないからご注意。

小型船舶免許は、スクールに通って国家試験を受ける「受験コース」と、先生が徹底的に教えて、その日のうちにある修了試験に合格すれば、国家試験免除となる「教習コース」のどちらかで取得するのが一般的で、誰の助けも受けずに、独学で免許取得をめざす「一発受験」というのは、かなり珍しいケースとなる。

それに勇気を与えたのが、「1級小型船舶免許挑戦記というサイトであり、また、そこでも触れられていたいまから取るボート免許という本である。これは実技試験のDVDが付属していて、これを見れば試験の実際の様子がかなりイメージできるらしい。

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試験はじめ。

◎出航前点検

試験官「私が船首ロープを外すから、あなたは船尾ロープを外して持ってきて」
私「はい」

とロープを外して、しばらくたたずむ。ここで、出航前点検というものがあり、乗り込む前に「船首係留よし」「船首よし」「フェンダーよし」「右舷外板よし」「船尾係留よし」「船尾よし」「トリムよし」の後、「乗船します」といって乗り込む決まりのはずだ。

試験官「いいから乗ってください」

どうも出航前点検の一部を省略するつもりとみた。後で実は、ひっかけだったなんていわないだろうな、などと考えるほど複雑な頭ではないので、素直に乗り込む。後で、ああ、これが「解纜」だったのかと気づく。要はロープを解けさえすれば、何点かにはなるわけだ。お得である。

試験官「ここの手すりに、もやい結びを結んでください」
私「はい」
試験官「ばっちりだね」

試験官「計器の水温計が上昇していました。冷却水パイプには問題がないようです。どこをチェックしますか」
私「エンジンオイルが減っている可能性があると思います」
試験官「その可能性もあるね」
私「えーと。冷却水そのものが減っているとか」
試験官「はい。自分でチェックしてみてください」
私「(エンジンルームを開け)、冷却水よし」

試験官「離岸する際、強風が吹いています。ロープはどちらから外しますか」
私「う・・・。船首側です」
試験官「どうしてですか」
私「船尾側...かも」
試験官「覚えておいてください。係留する時は風上側から結び、解纜する時は風下側からほどきます。船体が風に振られて危険ですから」
私「はい。(習ってないんですけど。の言葉を飲み込む)」

試験官「Vベルトを点検してください」
私「(Vベルトを確認しながら)Vベルトよし」
試験官「バッテリーを点検してください」
私「バッテリー取り付けよし。液量よし。プラグ取り付けよし」
試験官「拡散消火器はどこにありますか」
私「ここです」
試験官「信号紅炎を確認してください」
私「信号紅炎よし」

試験官「メインスイッチを入れてください」
私「メインスイッチよし」
試験官「キーをONにしてエンジンを始動します」
私「(船尾に移動して)船尾よし。ドライブユニットよし。(操縦席に移動)。キースイッチを入れます。(指さしながら)パネルよし。水温計よし、油圧計よし、燃料よし、電圧計よし。ブロワーを回します。(エンジンルームを開けて)ブロワーよし。(ブロワーを切り)エンジン始動します」

エンジン始動。どがどがどが、と3700ccのディーゼルエンジンが回り出す。

試験官「1000回転で暖気運転をしてください」
私「1000回転で暖気運転をします。(リモコンレバーのクラッチを切り、レバーを下に下げる。さらにレバーを両手で持って、じわじわと1000回転まで上げる。。暖気運転終了します(レバーを中立に戻す)」


◎基本操縦

試験官「離岸してください」
私「(念のため、再度船尾を確認して)船尾よし。ハンドル中央。エンジン中立よし。前後左右よし。離岸します。(のろのろと走り出す)」

港の堤防の内側だから、かなり狭い水域。いきなりUターンになる。

試験官「左に変針して、あの堤防の前を通ってください」
私「左よし。左後方よし。左に変針します」

堤防などをかわすには「右小回り」が原則だが、大雨の後で漂流物が多く、適宜よけながら進む。堤防の先をかわして、しばらく直進。

試験官「エンジンを2000回転に上げて、あの塔に向かって進んでください」
私「はい。左右よし。エンジン増速、2000回転で正面塔に向かいます」

試験官「あの堤防にあるブルーシートが見えますか」
私「はい」
試験官「2500回転に増速して、あそこへ向かってください」
私「はい。左右よし。エンジン増速、2500回転。右よし。右後方よし。(エンジンを少し落として)、右へ変針します。(2500回転に戻して直進保持)変針終了しました。」

試験官「停止してください」
私「はい。後方よし。停止します。(ゆっくりと回転数を下げ)エンジン中立。停止しました」

試験官「あのフェリーの赤い煙突に向けて後進してください」
私「はい。(船尾に移動して)船尾よし。前後左右よし。フェリーに向けて後進します」
試験官「停止してください」
私「(後進からの停止はどうしたらいいのかわからなかったので、念のため)前後左右よし。停止します。エンジン中立。停止しました」

試験官「あの三つのブイを使って蛇行運転をします。赤い灯台の方から進入してください」
私「はい。前後左右よし。発進して蛇行運転を開始します」

蛇行運転のポイントは、進入時と終了時が同じ見通し線上にあること。ブイの10mほど脇を通ること。連続するブイの中心付近を通過することらしい。

私「第一ブイを右に見て蛇行開始します。(第一ブイの30m手前から変針。適当に通過して、第3ブイを通過後、見通し線上にある目標物に向かって直進)蛇行終了しました」


◎応用操縦

試験官「(ブイを指さして)船尾方向に落水者がいるようです」
私「要救助者確認。救助に向かいます。前後左右よし。右へ変針します。(Uターンして)右舷より救助します。(エンジン前進と中立を繰り返して超微速で接近。なるべくなら風下から。ブイが操縦席の真横にきたあたりで一瞬だけ後進にいれ、確実に中立に戻す)救助します。(ブイをひっかけて)救助しました。人命救助終了します」

試験官「(船が正面から走ってくる写真を見せて)この写真の状況で、操船してください」
私「右へ避航します。右よし、右後方よし。右に変針します。避航終了しました」

試験官「(船が左から走ってくる写真を見せて)この写真の状況で、操船してください」
私「当方が保持船のため、そのまま直進します」
試験官「よろしい」

試験官「あの岸壁の手前から5番目の柱に着岸してください。5m手前でけっこうです」
私「はい。右舷から着岸します。船尾ロープよし、フェンダーよし。(微速で船を岸壁に水平に保ちつつ、目標あたりに停止。)エンジン中立。(ひっかけポールみたいなものを突き出して)着岸終了しました」

試験官「後進で離岸してください」
私「(後ろに移動して)船尾よし。前後左右よし。後進で離岸します。離岸終了しました」

試験官「それでは、あの堤防に向かって直進してください。試験、終了します」

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たぶん、こんな感じだったと思いますが、間違いもあると思うので、あくまでも雰囲気の参考にどうぞ。

2010年6月19日

小型船舶免許・実技教習

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今日はいよいよ小型船舶免許の実技教習で、朝7時過ぎには港にいた。4時間のスケジュールで、引き続き修了試験までやるという。資料等をみると、実技教習は12時間以上と書いてあるのだが、これは2、3人の生徒をまとめて教える時で、マンツーマンの場合、4時間なのだそうだ。

ひとつの船に3人も生徒が乗れば、他人がやっているのを見るだけでもいい勉強になるはずなので、いかにマンツーマンといえども、本文142ページに及ぶ実技教本の内容を4時間でやるというのは、教える方もかなり大変ではないかと思う。

内容は、おおまかにいうと、こんな感じ。

◎小型船舶の取り扱い
・出航前点検
・解纜、係留
・結索・
・方位測定

◎基本操縦
・安全確認
・発進・直進・停止
・後進
・変針・旋回・連続旋回

◎応用操縦
・人命救助
・避航操船
・離岸・着岸

◎トラブルシューティング

これだけの項目を、どこか、かいつまんでやるわけではなくて、ほんとに一通り全部やる。結索も、もやい結び、巻き結び、クリート止め、一重つなぎくらいは、ちゃんとやる。はっきりいって、言われたことをこなすのが精一杯で、覚えているひまがない笑。

教習と修了試験のポイントは、操船技術ではなくて、安全確認と手順の正しさ、及びきちんと声を出すことにつきるようだ。とにかく、いちいち、声を出す。こんな感じ。

「発進してください」
「前後左右よし、発進します」
「エンジンを2000回転に上げてください」
「右よし、左よし。エンジン増速。2000回転まで上げます」

停止状態からまっすぐ走るだけで、これである。人命救助は、こんな感じ。

「(教官、ブイを指さして)落水者がいるようです」
「要救助者確認しました。救助に向かいます。前後左右、よし。発進します。右舷より救助します。救助しました。人命救助終了します」

やっているうちに、これは寿司屋のおにいちゃんになったつもりでやればいいのだなと。「へい、コハダいっちょう。5番テーブルさん、アガリお願いします」というやつだ。自分だけわかっていればいいのではなくて、やることなすこと、言葉で伝えなければならない。

今日は低気圧の影響で風が強くて、船はどんどん流されるわけで、人命救助のブイはあらぬ方へ動いていき、再救助に向かうことになったのだが、それでもなんとかなるもんではある。

ちなみに、道場六三郎似のわが教官は、元機関員の船乗りで、少し前まで地元の水産高校で教えていた人だった。無口な人かと思っていたのだが、教え方は懇切丁寧だった。試験管は、わざわざこのために山口県から出張してきた人で、どうも立ち居振る舞いが船乗りというよりも軍人のようだった。

修了試験も無事終り、港へ向かう船の中で、合格を告げられる。学科もそうだったが、ほんとにこんな短時間で、人に何かを教えこんでしまう技術なりシステムなりというのは、大変なものだなと思う。

免許が届くのは、7月末とのこと。その間に船の整備を済ませておかなくては。