2012年9月15日

映画>ブルース・ブラザース2000

『ブルース・ブラザース2000』(ジョン・ランディス監督/1998)。

『スクール・オブ・ロック』や『ガリバー旅行記』でジャック・ブラックをみるたびに、ああ、この人は存在そのものがジョン・ベルーシのオマージュなのだなあと思っていた。

そのジョン・ベルーシが前作『ブルース・ブラザース』の公開直後に急死してしまい、残ったダン・エイクロイドが一人で18年後に続編を作った。あれだけの作品を、ずいぶん時間が経った後に、もういっぺんやろうというのだから、それだけでたいした勇気だと思うのだけれど、この映画はそんな甘いもんではなかった。

つまり、めっちゃくちゃに面白い。どのくらい面白いかというと、見終わった直後に、「もう一回見て、『ブルースブラザース』をBlu-rayで2回観て、それからもう一回これ観よう」と思ったくらい面白い。翌日の昼過ぎまで、くっくっくっく、と断続的な思い出し笑いを止められないくらい面白かったのだ。

脚本は前作に引き続いてダン・エイクロイド。この作品に対するファンのリスペクトと、まったく同じリスペクトを、彼自身が抱いていることがよくわかって、心がほのぼのとしてきたのだった。

今回のゲストはレイ・チャールス、B.B.キング、ジェームス・ブラウン、エリック・クラプトン、アレサ・フランクリン、グローバー・ワシントン・ジュニアetc.R&Bの歴史とともにあったベースのドナルド・"ダック"・ダンも元気に参加している。

2012年5月 1日

山下洋輔+向井滋春

山下洋輔+向井滋春 4.30 宮崎県立芸術劇場演劇ホール

場内が暗転してざわめきが静まると、ステージ上手に1年前と同じ姿で山下洋輔が立っていた。1000人ほどのホールなのだけど、まるで街場のクラブのような身軽さと手際の良さ。照明も最低限。カルテットにトロンボーンの向井滋春を加えた5人は、どんどん楽器について、せえのといって演奏を始める。

後先も顧みずに自分の感覚を信じて書くけれど、最初の5秒かそこら。おかしいくらいにずれていた。音もリズムも合っていない。つまり、こちらが想定していた「ジャズ」というものとズレている。一人でぶっ壊しているのがいる。向井滋春だった。出るかと思えば引き、のるかと思えば反る。ツーといえばニャアだ。

最初の5秒だけそう感じたのは、その後はこちらが合わせたからだ。どうであろうと聴き手は最強である。即座にその場でどんな風にでも聴ける。演り手はそうはいかない。いや、それがやれるからあそこにいるわけか。

そもそも、その5秒間、音色とかリズムとかフレーズとかグルーヴとかいろんなもので、超高速でレースを編むように緻密にずらしていくというのは、どうよと思う。たった5秒の間に、何をやったんだと思う。

冒頭の数秒間の違和感は、虚無感といってもいいようなものだった。なんにもない虚空があって、音がそこから飛んでくる。あるいはそこへ向かって飛んでいく。実体がないことはないけれど、怖い言葉でいえばこの世のものではない。反粒子トロンボーンだ。

だからあわてて、こちらから合わせなくてはならない。そうでないと反粒子ジャズと粒子ジャズが衝突して対消滅を起こし、地球とジャズがなくなってしまうからだ。今夜は最後までこの人を中心に回っていった。

それにしても、トロンボーンなどという不便で不自由な楽器で、フロントマンとしてトランペットやサックスと互していこうというのは、いったいどういう了見なのだろうか。

たとえば、チャーリー・パーカーと同じようには吹けないだろうし、ジョー・パスのように吹いてみれというのもむずかしそうだ。だからといってこの人は、音の艶や色気といったものに逃げるでもなく、円熟に引きこもりもせず、破壊せよとアイラーにも言われず、安直に枯れるのでもなく、一人であの世とこの世を行ったりきたりするような反物理法則的なトロンボーン吹きになってしまった。

たぶん、すべてはぼくの勘違いだろうと思う。そうでなければ怖すぎる。その怖さが中毒になりそうでもっと怖い。そして、彼の立ち姿のなんとも涼やかなこと。ああ、わかったぞ。この人は落語でいえば先代の三笑亭可楽だ。一度はまると抜けられない罠なのだ。

今夜の全体の構成としては、「非常にわかりやすいフリージャズ」。ほとんどの曲で、5人でソロを回すのでお互いに体力も温存され、昔の山下トリオのような、20分後には演奏者も聴衆もへとへとのよれよれ、ということにはならない。もちろん、これでよいのだと思う。もうそんな時代ではない。

政治の季節が終わったように、ジャズも変わり、若者は年をとっていく。橋の下をたくさんの水が流れ、橋の上を多くの人が行き交い、いくつもの恋が過ぎて...。これはまあいいか。

2012年3月26日

この頃のこと

3月24日
羽田着11:30。九州大院生の直江憲一君と合流して国際フィッシングショーの会場であるパシフィコ横浜へ。シマノの松田正浩氏、スミスの湯村武広氏に挨拶。わがこじんまりとしたギアラボブースは人の流れが絶えず。福山氏奮闘。PENN のバトルカスタムに興味を持たれたチャーマスこと北村秀行氏が5回もブースを訪れてくださった由。今回の目的のひとつだった「アメリカに一緒に乗り込んでくれるメーカーおよび商品の探索」も、面白くなりそう。

夜、新宿。JICAでコスタリカへ赴任する村瀬敦信君を送る会。タコの介こと樋口正博氏ほか、パソコン通信時代以来の古いネット仲間10数名。NHKの石吾克也氏も呼び込む。2次会、3次会はゴールデン街へ乱入。わけわかんなくなって3時頃に解散。

3月25日
起きたら歌舞伎町のど真ん中のホテル。気になって仲間に電話してみると、2名は駅の階段で夜明かしをした由。強すぎる。西...新宿まで歩いて京王プラザへ。夜は参議院議員の松下新平氏と食事の予定だったが、出身校の宮崎西高が甲子園に進出しており(当人も野球部出身)、雨で試合日程が延びたことで二人飲みも順延。必然的にひとり飯となる。はずだったのだが、明日はコスタリカへ出発する村瀬君とまたもや合流。風が冷たい西新宿の居酒屋で、しんみりと二人できりたんぽ鍋。おとなしく酒は2合まで。

3月26日
朝、新宿のホテルに松下議員が迎えに来てくれて、そのまま議員会館へ。スタッフの皆さんに紹介していただいた後、参議院予算委員会を傍聴。ちょうど元自衛官の佐藤正久氏が田中防衛相を攻めている状況。その後、議員食堂でネットの話などしながらハンバーグ定食。松下議員はきつねそば。浜松町駅まで送ってもらい、モノレールで羽田へ。さきほど帰宅。

2012年3月12日

本>歴史はべき乗則で動く

『歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』
マーク・ブキャナン著・ハヤカワ文庫

この本で学んだのは、「臨界状態(概念的な意味での)においては、平均が意味をなさない」ということ。そして、世の中のたいていのことは、この臨界状態・非平衡な状態にあるということ。

株価の動き、地震の規模、森林火災、生物の大絶滅といったものに、平均的なスケールというものはなくて、その発生回数と規模をグラフにすると、いわゆる「n乗に反比例する」直線グラフとなる。

言えることは大きな山火事は少なくて、小さな山火事は多いということだけで、その中間というものはなく、典型と呼べるものもない。そして、次に起こる事柄の規模についての予測は不可能である。

一方、平均が有効なのは釣り鐘型のグラフだ。真ん中が厚くて、それ以上も以下も薄い。グラフのど真ん中をとってくれば、それが一応の典型という言い方もできるだろう。

さて、ぼくらが「普通は」とか「みんなが」と無意識に口にする時、その事象はどちらのグラフなのだろうか。割り切れないものまで無理やり割り切ることで、安心しようとしていなかったか。それは、誤りであるだけでなく、人や自分を傷つけてはこなかっただろうか。

2012年2月18日

ラウラ・イネスのこと

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フォルクローレの中古レコードを3枚入手。左からラウラ・イネス(Luara Ines)、メルセデス・ソーサ、ロス・キジャ・ウアシ。ソーサおばさんは世界的に有名だし、キジャ・ウアシもこの世界では売れっ子だったけど、ラウラ・イネスは日本語、英語圏ともにWEBにもほとんど情報がなかった。

この1977年頃のデビューアルバムが、ほとんど唯一の仕事だったのかもしれない。手元にあるオムニバス版に入っている、amar amando(限りなき愛の歌)が、10代の頃から耳から離れなくて、歌っていた女性がラウラ・イネスという名であったことも数年前に知った。

今回わかったのは、彼女がアルパ弾きでもあったことと、アルゼンチン人なのにパラグアイの音楽に没頭していたこと。そもそも、あの広大な中南米の音楽を、フォルクローレとひとまとめにするのも、乱暴な話ではある。

フォルクローレというのは「何を歌っているのかまったくわからないけれど、心の奥の方でじーんとわかる」という、日本人にとって不思議な音楽なのだ。

2012年2月12日

引き返すこと

青島の海。「ちょっと波っ気があるなあ」という感じだったのだけど、あるぽさんと港を出てみたら、どわんどわんともまれる感じで、「こいは、無理でごわすな」と引き返してきた。

引き返すといっても、いきなりUターンすると、 波に横腹を向けることになるので、まず右旋回か左旋回か決めなくてはならない。空間に余裕のある左にターンすることに決めて、少し舵をとり、しばらく右斜めに波を受けながら直進しつつ、なるべく静かな海面を探して、えいやとターン。

ターンしてしまえば追い波なので、揺れは収まるのだけど、今度は速度がむずかしい。速度を出しすぎると前の波に突っ込みそうになるし、遅いと波に追いつかれる。

「港を出たけど波があるので引き返してきた」というだけのことなのに、門川の海とはだいぶちがうなあ。

船をつなぎ、お弁当を食べていたら、組合の事務局の人の船が帰港。親切な人で、ロープの扱いやら、帰港後の水洗いのことやら、いろいろ教えていただく。昨日、知り合った方にボートフックも譲っていただいた。あるぽさんのおかげで、ステッカー貼りも完了。

それにしても、「西のち東の風。晴れ。波高1.5mのち1m」なんて予報を鵜呑みにすると、えらいことである。

日々、学ぶことが多い。

2012年2月11日

海友丸、青島へ回航のこと

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海友丸を青島の港へ回航。写真はドックのある宮崎市の通称タンポリハーバー。

波も天気もおだやかで最高の回航日和だったのだが、港に着いてからは、係留用アンカーの引き揚げと再設置で絵にも描けない重労働となり、回航してくれた宮崎マリーナの若い社長、えらい目にあう。

駆けつけてくれた山形さんと、汚れを落とそうとデッキを洗っていたら、バッテリールームに海水が入り、新品のツインバッテリーがまともに海水を浴びてしまったり。

とりあえずきれいになったので、キャビン内に青島神社のお札をつけ、船体に焼酎をかけると、あざやかな香りがあたりに満ちて、なんだか気分も颯爽としてきた。南九州の冠婚葬祭は、なべて焼酎の香りとともにある。

着岸の練習をしてみたのだけれど、風向きによっては左右の船が密着し、川の流れも時間帯によってけっこう強いので、当座は船首側にボートフックを持つ甲板員が必須の模様。まあ、多少のドタバタを覚悟すれば一人でもなんとかなるか。

また、青島周辺から港の入口付近は、ほぼ必ず追い波になるので(東寄りの風は特に)、波と速度を合わせて走ることにも慣れる必要あり。

本日、新品のアンカーロープ(10mm/200m/8打)到着。明日はあるぽさんと、とりあえず船を出してみる予定。釣りが云々よりも、無事に船を出して無事に帰ってくることが、どれだけ大事でむずかしいことか、毎晩、そんなことを考えている。

2012年2月10日

『翔ぶが如く』と鹿児島弁

昨日から突如として『翔ぶが如く』(NHK 1990)を見ている。以前、再放送があった時に録画しておいたもの。

初めて見た時も思ったことだけれど、このドラマは時々、ものすごく切れ味のいい鹿児島弁が聞こえてきて、びっくりしたり大笑いしたりする。

「征韓論」(あえてカッコ付)に破れて帰郷する西郷を、大久保が引き止めるかなり緊迫感のあるシーン。これが二人の永遠の別れになる場面であり、初回から楽しく観てきていた人には、非常につらい気持ちになるシーンでもある。

「おいは国に戻っど」
(中略)
「おいのそばにおって、たもはんか」
「...そいはできん」
「ないごてな。ないごて今度んこつになったか、吉之助さあにはわからんはずはなか」
「わかっちょる」
「じゃれば帰らんでんよしゅごわんどがな」

鹿児島人としては、この最後の台詞のあまりのネイティブさに目が覚め、大久保役の鹿賀丈史の言語感覚の良さに驚くとともに(おそらく彼は外国語を発音するように台詞を覚えたのだろうと思う)、いったい、これでドラマを見ている人たちには意味がわかるのだろうかと心配し、そして場違いながらも、あまりのことにわははと笑ってしまうわけである。

キャストの中にはひどい鹿児島弁の人もいるのだけれど、それはこの手のドラマのデフォルトであり限界でもあるので、「そんなもんだろうな」と思いつつ、物語を追っていると、時々、ほんとにカミソリのように切れる鹿児島弁が散りばめられているわけである。

西郷が薩摩から3000の親兵を連れて上京。桐野利明、篠原国幹、別府晋介といった若い将校たちが宿舎となる民家の庭で、わあわあ騒ぎながら魚を焼いている。

「ないよ、こん煙いは」
「こら、魚が真っ黒い、ひんなっちょっど」
「うんにゃ。おいは、魚は真っ黒かとが好っじゃっとじゃ」
「どひこ好っじゃっでちゅたちわいも、あんべちゅもんがあっどがよ」

これなど、鹿児島にゆかりがある人以外には、絶対にわからないと思う。しかも完璧なイントネーションである。カレン・カーペンターの英語よりもさらに完璧である。野暮ながら訳せば「いくら好きだからといってもお前、塩梅というものがあるだろうよ」というような意味だ。字幕なしで、こういうのが平気で出てくる。

こういった半端でない鹿児島弁は、「篤姫」でも鹿児島弁を指導した西田聖志郎という人の仕事だった。脚本の台詞を鹿児島弁に書き直し、それを(たぶん全キャスト分)、彼がカセットに吹き込んで俳優に渡すということをやっていたらしい。

なんとなく名前は覚えていて、民俗学方面のヒトなのかなと思っていたのだけれど、彼も俳優であり、魚のシーンの最後の台詞を完璧に放つ篠原国幹その人なのだった。

つけ加えるとこのドラマは、司馬遼太郎の原作よりも面白い。まずキャスティングが素晴らしい。特に狂気と軽躁の薩摩隼人(実際にこういうタイプはいる)として描いた有村俊斎(佐野史郎)と、寺田屋事件の鎮撫使として同志を斬り、後に鹿児島県令となり、最後には大久保率いる政府によって斬首された大山綱良(蟹江敬三)の二人は、見事というほかない。ぞぞ気が走るというのはこういうことだという演技。

もちろん、西郷(西田敏行)と大久保(鹿賀丈史)。いずれも薩摩の諧謔という非常に理解と表現がむずかしいことを、脚本や演出にも支えられたのだろうけど、うまくこなしていた。

薩摩の諧謔の例として、西南の役で負けに負けて宮崎県北部の山の中で軍を解散し、300人ほどで敵を突囲して、可愛岳という険しい山を越え、高千穂を経て九州山地のけもの道をたどり、鹿児島をめざすという悲惨な敗走の最中に、西郷は、

「まるで夜這いから逃げてくるようじゃな」と言い、皆も心から笑ったという。

こういうことは子供の頃から薩摩で育ち、リーダーとしての薩摩的な修養ができていないとどうにもならない。俳優の課題として、それも1シーンの撮影があったという間に終わってしまうドラマでやるには、こんなにむずかしいことはなかったのではないかと思う。

2012年2月 6日

遊漁船組合に入ること

青島の遊漁船組合に入会。入会金2万円、年会費15000円。門川の組合は年会費3000円だけだから、だいぶちがうけれど、駐車場を年間いくらで借りているらしくて、その分が含まれている。これとは別に宮崎県に納める係留料が、年間数万円。まあ、マリーナと比較すると一桁ちがう。

遊漁船組合は民間の任意団体だから加入の義務はないのだけれど、事実上これに入らないと、係留がむずかしくなったり、駐車がむずかしくなったり、人間関係がむずかしくなったりする(笑)。台風の時の防御、万一の時の捜索、その他先輩後輩いろいろの人づきあい。これらをマリーナと客の関係ではなくて互助でやっていこうということ。

入会申請書には、「お前さんも青島の港にわらじを脱ぐからには、ここの流儀に従ってもらわなくてはならない。何、むずかしいことではない、手前っちの船は手前っちで守れとそういうことだ。わかったな。わかったら、ここに判を捺しなさい」と書いてあったので、判を捺す。

あさって、前オーナーと係留地の確認に出向いて、早ければ週末にも船を移動させる予定。

2012年1月30日

山下洋輔『センチメンタル』

たぶん、ぼくがもっとも聴いているジャズのアルバムBEST5に入ると思う。山下洋輔の珍しい(唯一の?)ソロ・ピアノ。

曲は誰もが知っているスタンダードナンバー。過激で優しく、ロマンティックで、破壊的で、調和的で、優しい。よくわかんないけど、優しい。

1985年。ニューヨークタイムスで絶賛されたスイートベイジル・ライブの翌日、RCAスタジオで録音。この時のピアノは、スタインウェイの逸品で、オスカー・ピーターソンはこのピアノでしか録音しなかったというアメリカの国宝のような楽器。
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それを、例のヒジ打ちだかなんだかで、「鍵盤を割って」しまい、どうしようと困っているところに、現地の日本人がオニギリを差し入れてくれた。

あろうことか、山下はこの割れた鍵盤を、ご飯ツブで貼って帰ってきたという、嘘だかほんとだかわかんないようなことを、鴻上尚史がライナーノーツで書いていた。LPレコードからCDに買い替えて、あいかわらず聴いている。

1. 虹の彼方へ
2. マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ
3. ユーモレスク
4. 枯葉
5. トロイメライ
6. スターダスト
7. サマータイム
8. 二人でお茶を
9. ボレロ
10. シークレット・ラヴ
11. ピアノ協奏曲第二番第三楽章
12. P.S.アイ・ラヴ・ユー
13. グッド・バイ

山下洋輔 センチメンタル