2005年4月30日

白男川さんのこと

中学時代、適当に詩を書いたり喧嘩をしたりしながら、まずまず、普通の田舎の中学生をしていたぼくは、そのまま田舎の高校生となった。

進んだのは鹿児島県立鹿児島南高校というところで、教育県である鹿児島にあって、牧場にもたとえられるのほほんとした雰囲気はかなり例外的なものといえた。一貫校でもなんでもなく、ただの偶然なのだが、高校はぼくの中学校と道路をはさんで向かい側にあり、2階の教室から見下ろすそのグラウンドの雰囲気からして、なるほどあまり逼迫したものを感じない、おだやかなもので、「なんでもいいから、ここに行こう。隣だしな」と、これもまた田舎の中学生らしい気楽さと展望のなさでもって、入学したわけである。

ところが、ここに白男川さんという人がいた。当時は菊谷という姓であり、以前書いた菊谷卓也君の兄にあたる。入部した放送部の先輩だった彼に出会った15の春をもって、ぼくの人生は先の読めない展開に入ることになる。いや、人生はもともとそういうものであって、それが見えてきた、というべきかもしれないけれど。

彼には、あらゆるものを教わった。ジャズ、ギター、オーディオといった今のぼくの根っこにあるようなものは、みんな彼から教わったものだし、その正義感の強さや己を高く持する志、論理的なものの考え方には憧れもした。

彼は最終的に3つの高校に通い、ついに卒業はしなかったけれど、後にIBMに入りプログラム言語の開発に携わることになる。学校関係の履歴書は複雑で散々なものなのだろうが、人生の履歴書は見事なものだ。

入学したばかりの5月頃だったと思う。半田とコーヒーの匂いの混じった夕暮れの放送室で、彼はぼくたち1年坊主にせがまれて、ギターを弾いてくれた。ヴィラ・ロボスの「前奏曲第一番」と、タルレガの「アルハンブラ」。忘れもしない。その10分足らずの時間のうちに、ぼくの人生の歯車はごとりと音を立てて回転した。

あまりの美しさにあっけにとられていると、「ヤマイデ君」と声をかけてくれた。
「君は、絶対にギターをやるべきだと思う。ギター、あげるから練習するといい」

そういって数日後、ハードケースに入ったKヤイリのクラシックギターと、当時、ちょっと知られていた東京音楽アカデミーの通信教育の教材1年分を持ってきてくれた。

「アルハンブラは9か月目にやることになっているから。最初はちょっと面倒だけど、結局クラシックが一番早く覚えられるからね。ゆっくりゆっくり、やるといいよ」

ぼくのギターライフは、こういう幸福な形で始まったわけである。ちなみに、そのKヤイリのギターは当時で10万円もしたものであったことを、後で知った。彼がアルバイトをして買ったものであったことも。

ジャズを教わった時は、丸々3日間、彼の部屋に居続けをした。どういうはずみだったのか、よく思い出せない。とにかくいつものように遊びに行き、彼が自作した真空管アンプで(彼はオリジナル回路の図面を大学ノートに数冊持っていて、そのKT66ディファレンシャルモーションアンプは、物凄く鮮度の高い音がした)音楽を聴いているうちに、延々とジャズになり、日が暮れて夜になってもジャズであり、いったん家に帰って着替え、また深夜までジャズであり、仮眠して起きたらジャズであり、そのまま昼になり、夜になり、また朝になりと、ずーっとジャズであったのだ。

ジャズをまったく知らない人が、3日3晩、窓がふるえるような大音量でジャズを、それもコルトレーンだのチャーリー・パーカーだのを聴かされるとどうなるか。たぶん、運が悪ければ死んでしまうのではないかと思う。少なくとも半死半生くらいにはなる。ぼくは運良くそれを乗り越えて、ある瞬間にサトリをひらいたようにジャズらしきものが見えてきた。わけのわからない音の羅列、塊にしか思えなかったバップが、いきいきと音楽の形となってきて、ぼくは何か、川の向こう岸へ渡るような体験をした。

彼と過ごした短い期間のうちに、とにかくこんなことがいくつもあった。毎日、何かあったといってもいいほどに、濃密な時間が流れていたと思う。鹿児島南高校は、たしかに全体として牧歌的なのんびりした学校だったのだが、ぼく自身といえば、彼をきっかけに疾風怒濤の時代に入っていくわけである。それは楽しくもあり、同時に、何か生きにくい世界に足を踏み入れてしまいつつあるような予感もあったけれど。

ようやくギターをそこそこ弾けるようになった秋に、当時大学生だった長淵剛さんが帰省してきて、フォーライフにデモテープを送りたいという話になった時、その録音の場所もまた白男川さんの部屋であり、当然、彼がエンジニアを務めた。

ぼくは「いろんな人がいるなあ」と思っただけで、長淵さんにはあまり強い印象は持たなかったけれど、スリーフィンガーのやり方は参考になった。クラシックから始めたぼくのスリーフィンガーは、やはりどことなくクラシック風であって、全然フォークらしくはなかったのだ。

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