2010年5月19日

田崎真也さんのこと

こんな夜更けだけど、ふと田崎真也さんのことを思い出したので、書いておく。

東京港区愛宕一丁目、というより昔NHKがあった愛宕山に田崎さんのオフィスはある。頂上ふきんには愛宕神社があって、その境内へ向かう参道の途中の左手。1階はチーズを売るショップがあって、その2階部分に事務所と教室がある。ワイン教室もやるのだけど、この頃は焼酎教室もやっている。ここを、何年か前の夏に訪ねたことがあった。

田崎さんは、なんというか一言でいうと、いつも何かと闘っている人である。ソムリエ世界一の称号を得て、その世界だけで十分成功しているわけだけれど、自分の人生がそれが十分とは、おそらくちっとも思っていない。

何に対して闘っているのか、一度お会いしたくらいではわかりようもないのだけれど、凜として、毅然として、気迫に満ちており、ずっと若い頃には、人を寄せ付けないようなところもあったのだろうなと思わせる雰囲気がある。もっとも今でも、柔和で気さくという感じではない。こちらがインタビュアーという立場だったせいもあるのだろうけど、「つまらないこと聞いたら、あっちへ行っちゃうからね」という空気が感じられて、それがこちらにはうれしかった。つまり、初対面で、おそらく二度と会うこともない私に、まともに対峙してくれているということ。

ここで、彼が釣り好きであるということがわかる。WEB魚図鑑のことを訊ねてみると「よく見てますよ」という。実は私が作っているのだというと、驚いていた。釣った魚の同定や、食材の研究もあって、魚図鑑は欠かせないもののようだった。

ここで私はインタビュアーとしては凡庸な、でも、たぶん外すわけにもいかない質問をしてみた。「たとえば大原でヒラメを釣ったとして、こいつに合う酒はなんだろう、というようなイメージが湧いたりしますか」と。

いかにもつまらなそうな顔を一瞬だけ見せて、次にはちょっと怒りの表情がわずかに現われ、消えて、また次の瞬間に、田崎真也は「素」の顔になって「そんなことよりさあ」といった。

「酒なんて、誰と飲むかの方がよっぽど大事なんじゃないの?」と。

まさにその通りで、つまらない質問をしたことを悔いもしたのだが、初めて会って20分もしないうちに、彼の「素」を引き出せたことは、私の仕事人生の中でも殊勲打のうちに入る。ただ、ソムリエがそれを言ってしまっては仕事にならないと思うのだが、素の田崎真也に怖いものなどはない。言い放つ言葉というのは、たいてい相手があるものだが、この場合、自分の仕事の分野について、彼はそう言い放った。自信があるという話以上に、やはりどこか、闘っている人なのだろうと思う。

自信ということでいえば、彼は今や焼酎の分野でも第一人者といっていい人なのだが、その最初の出会いは居酒屋のレモンサワーであったという。すでにソムリエの勉強を始めていた頃のことで、何気なく飲んだレモンサワーのうまさに驚いたという。職業と立場を考えれば、心の秘密にしておいても不思議ではないようなことを、平気で言えてしまう強さ。このおれがうまいと思ったんだから、という自信。圧倒的であった。

ほかに、面白い話をいくつも聞いた。

「焼酎は、クセがなくて飲みやすいのがいいなんていう風潮が、メーカーにも飲み手にもあるけど、ワインの世界では『飲みやすい』というのは安物の証で、こんなに侮辱的な言葉はない。なんでそれがわからないかなと思う。きちんと作っている酒なら、必ず蔵ごとの個性がある。それを誇り、楽しめばいいのにね」

「せっかくの本格焼酎ブームが、飲みやすさの方に向かってはいけない。東京には、もともと本格焼酎の土壌がなかったわけだから、わかる人だけ飲めばいいし、そうしてるうちにわかる人も増えてくる。飲みやすさを追求し始めたら、みんな同じ味になってジャンルとして終りになるよね」

「日本酒の衰退は、まさにこれだった。ある時、淡麗辛口がもてはやされると、日本中の蔵が淡麗辛口を志向した。やがて淡麗辛口が飽きられると、日本酒そのものが終わってしまったでしょう。焼酎蔵は、胸を張ってくさくて個性のある焼酎を造ればいい。ワインはそういう世界だよね」

最後に、ソムリエの仕事の楽しみは、と聞いてみた。

「お客さんが目の前で酔っぱらうのが楽しいね」

これも、なかなか深いところのある言葉だろうと思う。

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