憂歌団(1)
「あのさあ」とサワダが言った。
「こないだ、博多の憂歌団のライブに行ったわけよ」
「うん」
「ちょっと早く店に着いたと思ってたらさあ、もう店の前は長蛇の列なわけよ」
「うん」
「そいでさ。まあ、並ばなくても入れるかと思ったから、そこらぶらぶら歩いてたわけよ」
「うん」
「そしたらさ。店からちょっと離れた路地の電柱んとこに、勘太郎がいるわけよ」
「ふむ」
「電柱の脇にもたれてさ。勘太郎がギター抱えて、なんかちょこちょこ音出しててさ」
「ふむ」
「夕暮れで暗くなってたから、みんな気づかないんだけど、おれは見たわけよ」
「ふむ」
「夕暮れの路地の電柱の脇で、勘太郎がギター弾いてるわけよ。クーッてなもんよ。わかる?」
「ふむ」
「ヤマイデにゃ、わかんねえかなあ。内田勘太郎が、電柱の脇でギター弾いてんだぜ」
サワダは、たしか澤田靖信という名で、親父は航空自衛隊で、靖国神社から一字をもらっているくせに、部屋にはチェ・ゲバラの写真が貼ってあって、その部屋がまた、加川良の「下宿屋」みたいな寒々しい部屋なのだった。
その寒々しい下宿の部屋で、憂歌団の「生聞59分!」のレコードをかけながら、サワダは続けた。
「お前さ。もしかして、憂歌団、聴いてなかったの」
「うん」
「お前さあ。憂歌団も勘太郎も知らないで、よくブルースなんか弾いてるよな」
「そうか」
サワダは同情をこめた顔で「まあ、聴くといいよ」と言った。
サワダは、自分では楽器をやらないのだけど、矢沢永吉の物真似がうまくて、ぼくにロックのノリを教えてくれた男だ。下唇をちょっと噛みしめた顔を作り、ビートにのせてあごをリズミカルに突き出す、矢沢永吉の物真似が、いつの間にか自分の血となり肉となってしまったようなところがあって、それまで知り合いになったどんなロックファンよりも、ぼくにロックはグルーヴであること、ロックは「アオ!」と吠えるものであること、時に高い声で「クーッ」とうなるものであること、そしてロックは体で聴くものであることを教えてくれた。
それからほどなく、近所の店で内田勘太郎と有山じゅんじのライブがあることを知り、出かけていった。運良く席は最前列であり、最前列といっても満員で40人ほどの店であるからして、ぼくは勘太郎の指から1メートルの距離で2時間を過ごした。
その日の内田勘太郎は、例の茶木ではなくて、オレンジ色のストラトキャスターをメインに弾いていた。そして人差し指一本でトレモロを弾いた。ぼくの中で、何かがはじけとんだ。悪魔の指、内田勘太郎。こいつが、道ばたの電柱の陰でギターを弾いていたら、その日以降のぼくなら、気絶したかもしれない。サワダが「クーッ」てなもんよ。と、ぼくに言った意味がわかった。それはもう「クーッ」どころでない、「どわーっ」というような体験だった。
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