2005年1月10日

井上康生のこと

昨年の初夏、井上康生にインタビューする機会があった。

アテネ五輪直前ということで、当然、話はその方面になり、
「8月19日に、最高の状態で臨むこと。そして勝つこと」
と彼は言った。

実は事情が許せば、アテネへ行くつもりだった。
あの井上康生が、日本選手団の主将として五輪へ乗り込むのだ。
負ける要素はないといわれていた。世界最強の一人といえる
肉体と技術をもちながら、柔道家らしいおおらかさと、
心根の優しさをもつ彼が、金メダルを獲るところを見たかった。
でも、彼は負けた。

当日、テレビの前で、ぼくは自分の気持ちの整理をつけることができなかった。
井上康生は、ただの柔道家ではない。
すでに武芸者といえる境地に達していて、本人もそれをめざしてきたと思う。

日本人対外国人の対決では、ここ10年かもっと前から、
「組まずに逃げ、瞬間的に引っ掛けたり足をとったりする柔道」が
国際標準になり、日本選手の『柔道』が苦戦する場面が幾度も見られた。

彼の内股は、そうした「国際標準」を黙らせるものでなくてはならなかった。
「日本の柔道は世界から尊敬されている。それにふさわしい柔道をする」
と、その時も彼は言っていた。
「攻めて攻めて攻め続ける柔道を父から習った。それを見せる」とも。

井上康生は、自分が勝つことで柔道を守り、柔道をアピールし、
日本選手団を鼓舞する役目まで背負っていたと思う。
しかも、日本の武士としてのやり方で。

あの日、井上康生に何が起こったのか、ぼくには想像もつかなかったけれど、
その後も復活どころではなく、10日前の大晦日の日ですら、
その柔道は原型をとどめていない(父・明氏)ほどに壊れていたのだという。

そこから、立て直してきた。そして嘉納杯の優勝。
今の井上康生からすれば、信じられないような奇跡なのかもしれない。
凄いことだが、その結果の凄さをすら超えたところに、
井上康生はいるような気がしている。

人は負けた時の強さが大事なのだと思う。
アテネの金メダルよりも価値がある優勝を果たして、
彼は泣いたが、ぼくは泣けなかった。
ただ、一人の男しての、その凄さにふるえていたのだった。

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