昨日から突如として『翔ぶが如く』(NHK 1990)を見ている。以前、再放送があった時に録画しておいたもの。
初めて見た時も思ったことだけれど、このドラマは時々、ものすごく切れ味のいい鹿児島弁が聞こえてきて、びっくりしたり大笑いしたりする。
「征韓論」(あえてカッコ付)に破れて帰郷する西郷を、大久保が引き止めるかなり緊迫感のあるシーン。これが二人の永遠の別れになる場面であり、初回から楽しく観てきていた人には、非常につらい気持ちになるシーンでもある。
「おいは国に戻っど」
(中略)
「おいのそばにおって、たもはんか」
「...そいはできん」
「ないごてな。ないごて今度んこつになったか、吉之助さあにはわからんはずはなか」
「わかっちょる」
「じゃれば帰らんでんよしゅごわんどがな」
鹿児島人としては、この最後の台詞のあまりのネイティブさに目が覚め、大久保役の鹿賀丈史の言語感覚の良さに驚くとともに(おそらく彼は外国語を発音するように台詞を覚えたのだろうと思う)、いったい、これでドラマを見ている人たちには意味がわかるのだろうかと心配し、そして場違いながらも、あまりのことにわははと笑ってしまうわけである。
キャストの中にはひどい鹿児島弁の人もいるのだけれど、それはこの手のドラマのデフォルトであり限界でもあるので、「そんなもんだろうな」と思いつつ、物語を追っていると、時々、ほんとにカミソリのように切れる鹿児島弁が散りばめられているわけである。
西郷が薩摩から3000の親兵を連れて上京。桐野利明、篠原国幹、別府晋介といった若い将校たちが宿舎となる民家の庭で、わあわあ騒ぎながら魚を焼いている。
「ないよ、こん煙いは」
「こら、魚が真っ黒い、ひんなっちょっど」
「うんにゃ。おいは、魚は真っ黒かとが好っじゃっとじゃ」
「どひこ好っじゃっでちゅたちわいも、あんべちゅもんがあっどがよ」
これなど、鹿児島にゆかりがある人以外には、絶対にわからないと思う。しかも完璧なイントネーションである。カレン・カーペンターの英語よりもさらに完璧である。野暮ながら訳せば「いくら好きだからといってもお前、塩梅というものがあるだろうよ」というような意味だ。字幕なしで、こういうのが平気で出てくる。
こういった半端でない鹿児島弁は、「篤姫」でも鹿児島弁を指導した西田聖志郎という人の仕事だった。脚本の台詞を鹿児島弁に書き直し、それを(たぶん全キャスト分)、彼がカセットに吹き込んで俳優に渡すということをやっていたらしい。
なんとなく名前は覚えていて、民俗学方面のヒトなのかなと思っていたのだけれど、彼も俳優であり、魚のシーンの最後の台詞を完璧に放つ篠原国幹その人なのだった。
つけ加えるとこのドラマは、司馬遼太郎の原作よりも面白い。まずキャスティングが素晴らしい。特に狂気と軽躁の薩摩隼人(実際にこういうタイプはいる)として描いた有村俊斎(佐野史郎)と、寺田屋事件の鎮撫使として同志を斬り、後に鹿児島県令となり、最後には大久保率いる政府によって斬首された大山綱良(蟹江敬三)の二人は、見事というほかない。ぞぞ気が走るというのはこういうことだという演技。
もちろん、西郷(西田敏行)と大久保(鹿賀丈史)。いずれも薩摩の諧謔という非常に理解と表現がむずかしいことを、脚本や演出にも支えられたのだろうけど、うまくこなしていた。
薩摩の諧謔の例として、西南の役で負けに負けて宮崎県北部の山の中で軍を解散し、300人ほどで敵を突囲して、可愛岳という険しい山を越え、高千穂を経て九州山地のけもの道をたどり、鹿児島をめざすという悲惨な敗走の最中に、西郷は、
「まるで夜這いから逃げてくるようじゃな」と言い、皆も心から笑ったという。
こういうことは子供の頃から薩摩で育ち、リーダーとしての薩摩的な修養ができていないとどうにもならない。俳優の課題として、それも1シーンの撮影があったという間に終わってしまうドラマでやるには、こんなにむずかしいことはなかったのではないかと思う。