丸山太郎。1995年、早大卒業と同時に石井栄に師事、ギター製作を始める。その後、2年間のスペイン留学中に、ホセ・ルイス・ロマニノスに師事。機械をまったく使わない工程のすべてを、自分一人で受け持つ完全な手作りによる製作を山梨県の工房で行っている。

というプロフィールを、ついさっき知った。名前を聞いたのが2日前だ。そして、大萩康司氏が弾いてくれたそのギターのことが頭から離れない。

よく「鳴る」なんてことをいう。「激鳴り」などともいう。このギターはそういう意味では鳴らない。ほんとに信じられないくらい、『鳴り』の成分が少なくて、指が弦をはじいたその音の骨格の部分だけをすくいとるようにして、胴がハイファイアンプのように増幅し、ネックやサドル、ヘッドといった部分が音に色彩感を添えている(のだろう)。

したがって和音の分離がよく、たとえばバッハのような構成の楽曲は、作曲家が意図した曲のイメージをよく伝える。ハウザーがそういうギターだといわれるように、同じような傾向のギターと思ってまちがいはない。まちがいはないのだけれど、丸山ギターの特質はそんなことでは語れないと思っている。

まず、あんなに切ない『月光』を聴いたことがなかった。ギターを始めたばかりの人が誰でも必ず一度は弾く、ソルのロ短調練習曲。Bmを押さえることができれば、技術的には問題はないのだけれど、アルペジオの中に散りばめられたメロディラインをきちんと歌わせるのは、そんなに簡単ではない。特にギターが安物だと、けっこう腕がいる。

大萩康司のプライベートちょい弾きによるその曲は、「むむむ」というような『月光』だった。もちろん、彼自身のギター(800万…)も最高によかったけれど。

翌日、今度はフォレスト・ヒルの森岡氏が、河野=桜井、黒澤哲郎、丸山太郎を弾き比べてみせてくれた。簡単にいうと、河野は普通にいいギター。高音は新品のわりには伸びて艶もあり、低音は深く太い。ボリュームも十分で、仕上げも美しく、これが55万円なら文句のつけようはない。ただし、その鳴り方はにぎやかで派手目な感じはある。ゴージャスという人もいるだろう。

丸山太郎(75万。いちいち値段を書きたくないけど)は、高音は伸びず、ボリュームも負ける。低音も、特にヴィラ・ロボスのような「ギターらしい」あるいは「スペインっぽい」躍動感や色気のある曲には、むしろ不向きのように思われた。

黒澤哲郎(50万)は、両者のいいとこどりのような感じで、丸山ギターの表現力にスケール感や色気が加わる。ハカランダも重厚で、値段に比しても相当いい材料を使っていることが一目でわかる。前奏曲第一番の冒頭部の5弦など、第一音から心にしみる。セゴビアを聴いて育ったぼくには、これ以上はない楽器のように思われた。

にも関わらず頭の中を占めているのは、丸山太郎なのだ。これは、いったいどういうことなのだろう。がんばってバッハを弾こうとは思わない。これからクラシックをやるのだから、めざす曲は「アルハンブラ」「前奏曲第一番」「アストリアス」「魔笛」なんてところだ。こういうドラマティックな曲をやるなら、黒澤哲郎の方がよさそうに思うのだが、なかなか頭の中に黒澤の音が再現されてこないわけだ。

前に、マーチンOOO-28ECを買った時に書いたけれど、ギターというのは鳴りではない。もっというと「音」ですらないのかもしれない。少なくとも、高音、中音、低音と分けて考えられるような音ではない。やはり音楽性であり表現力なのだ。丸山ギターは、その意味で図抜けているように思えた。ぼくの胸には、そう届いてきたといった方が誤解がないか。黒澤も河野も誠実に作られた、ぼくの手にはあまるほどのいい楽器だから。

さて。さて。