十誡

『十誡』(セシル・B・デミル監督/1923)。「デミルさん、私の準備はいいわよ」(サンセット大通り)の、あのセシル・B・デミル監督である。『十誡』なのである。

デミルはこの映画を二度作っていて、1957年のカラー版を日本では『十戒』として、このモノクロサイレント版を『十誡』と表記しているようだ。

今回のサイレントの方は、前半が時代劇、後半は現代劇となる。今時、80年も前のサイレント映画を観てどうすると思われる人もいるだろうけど、いい映画だった。時代劇など大変な物量投入でどんどん押してくる。「古代エジプトのファラオが率いる戦車600台が、イスラエルの民を追って砂漠を驀進するシーン」などは、ほんとに馬1200頭と600人の戦士を用意したのではないかと思われるほどの迫力。お金がかかっております。

なにしろCGはおろか、声さえないのですからね。むしろ台詞や効果音がない分だけ、俳優の演技が際立つのでしょうな。現代劇の方も、聖書を手放さない堅物の母親、ひたすらに真面目で善良な兄貴、とにかく世の中は力と金よ、といかさま建築業者となる弟、そこへ迷い込んでくる無教養な若い女と、それぞれにキャラが明確で演技も達者なものでありました。

結局、弟が作った強度偽装の教会が崩れ、その下敷きとなって母親が死に、それを機に弟の人生は破綻に向かうわけです。あげくには中仏混血という麗しき愛人が、らい病(ハンセン病)であったことがわかり、わけがわからなくなってそれを殺し、モーターボートでメキシコへ逃げるといって大時化の海に出て、荒波の藻屑と消えるという。

『ママの言うとおりにすればよかった。人生をやり直したい』という彼の悔恨の弁に、ワタシはけっこう本気で同情しました。

始まりと終わりが雨の中。出会いと別れが同じように、その雨の中の窓越しと、細かいディテールにも凝りに凝って、この監督がただの大スペクタクル監督ではないことがわかります。人を楽しませるのが映画だと、モーゼのお話から伝わってくるというのは相当なものです。

「私は今でも大物よ。小さくなったのは映画の方だわ」と、デミル監督によって女優として磨かれたグロリア・スワンソンが、『サンセット大通り』でうそぶくわけだけれど、いや、よくわかりました。