談志の死
1週間ほど前に「落語のイリュージョン」という日記を書いた時に、そんな予感が、というか、おそらく誰もがそう感じていたことと思う。5月にあった弟子キウイの真打披露に出られなかったと聞いた時点で、覚悟はしていた。
10年ほど前に「談志を呼んでみるかい」と、ある興業関係の人から声をかけてもらったことがある。つまり、私が骨を折るから、あんた興業主としてやってみるか、という話だった。
談志事務所との折衝、会場の手配、広告などもろもろはすべて彼の会社が代行してくれるので、私はお金と自分ができることをやればいい。多少の赤字を覚悟すれば、やってできない話ではないにしても、とても自分が「談志を呼ぶ」に足る人間とは思えず、「もう少し勉強してからにします」と答えた。
談志が聞けば、「ふん。うまい言い訳を思いついたじゃねえか」くらいのことはいうだろう。結局、機会はそれきりだったけれど、それでよかったと思う。もちろん、やっておいてもそれはそれでよかった。もともとが図々しいほどの、夢のような話なのだから、このことについては悔いはない。
あいかわらず、私は談志を語れるほどにも談志を聞いておらず、ここで彼の死を悼む資格もないのかもしれない。
客や世間を相手にしょっちゅう喧嘩を売り、その場の平衡状態とか調和をかき乱していく談志のあり方は、彼独自のあり方であって、それに対しての批判も共感も私にはないけれど、彼が書き、語ってきた寄席芸というものへの愛情と敬意は、私も深く共感していた。
彼が好きな芸人は私も好きになり(あるいは初めてそれに気づき)、彼が好きな映画は私も好きになった。フランク・キャプラなどは、死ぬ前に最後に観たいとすら思う。そういう部分では、私も立川談志の何かが好きだったのだろう。いや、何かかけがえがないほどに好きだったような気がする。
落語では十八番というものが、案外私には挙げるのがむずかしい。みな良いから、というわけではない。どうしても談志となると、文楽、圓生、志ん生、金馬、可楽、三木助あたりの、すでに歴史上の名人となった人たちと比べてどうだ、という気になってしまって、選ぶ時にすでにこちらが気負っているのだろうと思う。
自分で選べないので、人が選んだものを紹介するしかない。「遺言としてやってやる。何がいい」といわれた太田光が悩んだあげくに頼んだ噺。
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