投手、工藤公康
工藤公康。と、こう名前を書くだけで、なんだかわくわくするのである。
西武、ダイエー、巨人、横浜、西武と渡り歩いたキャリアの中で、彼が所属する球団のファンであったことは一度もないのだけど、工藤が投げている試合はいつも見たかった。
投手というのは、野球というゲームの構造上、絶対の影響力をもつものだけれど、投手であれば誰でもそうだというわけではない。たとえば、「山田久志が投げる試合は、山田対17人の試合になった」と、賢くも蓮見重彦らしき人物が書いていたことがあった。
つまり、スタンドの目線を、敵も味方もすべてひっくるめて自分の方に引き寄せてしまって、自分がやりたいように試合を作っていく。仮に打たれて負ければ、それは相手が勝ったのではなくて、彼が負けた試合として人々の記憶に残るのだ。
そういう投手を、もっとも投手らしい投手だとして、それからどんどんスソの方へ下りていって、最後には「9人目の野手が投げている」ということになる。「いい仕事ができました」なんていうのは、投手がいうべき台詞ではない。
「ふん」といってマウンドへ出ていって、「へん」といって下りてくるような投手を見たいのである。ほかの野手との階級のちがいを見せつけることが、投手に生まれた者の特権なのだ。ぼくの記憶の中では、山田久志以外には堀内恒夫がそうだったし、江夏豊がそうだったし、最近ではダルビッシュがそうなんだろう。
工藤公康も、そんな選手だったと思う。特に西武時代はそうだった。「あらよっ」と投げて、「へん」といって下りてくる。「お前ら、子供の頃はみんなピッチャーだったろうけど、おれは今だってピッチャーなんだ、このやろー」と、ものすごく相手を見下している(ように見える)のである。彼が必死に投げている姿など見たことがないし、見たくもない。
2001年頃の巨人の春のキャンプで、工藤がノックを受けているのを見ていた。なんだかおかしくて、目が離せないのである。「わあー」と叫びながら球に突進する。左右に意地悪な球が抜けていくと、「だめだー」とわめく。「もういっちょー」と叫んで、また「わあー」である。ほかの選手は淡々と打球を受けているのに、工藤の声だけが広い球場に響き渡っていた。38歳になっていた工藤はあの頃、すでにコロコロしていた。
コロコロのままの姿で、工藤はそれから10年、プロ野球の投手であり続けた。2010年に西武を戦力外になって以来、どこにも所属していないので、本日現在、彼はプロ野球選手ではないのだが、つい最近、横浜から監督就任を打診されたことで「現役引退を検討中」だそうである。
48歳になろうが、肩が痛くてキャッチボールもできなかろうが、自分が引退というまでは引退ではないのである。このあたりもまた、投手らしくて素敵だと思う。しかも最近まで「メジャーも視野に」などと言っていたのだ。
工藤が監督になるのかどうか、わからない。でも、この話、プロ野球にとっていい話だと思うのだ。彼がウインドブレーカーを着て、ベンチでうろうろしている姿なぞ、ちょっとメジャー級のかっこよさではないかと思う。
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