2012年1月 3日

映画>2001年宇宙の旅(Blu-ray)

『用心棒』(黒澤明/1961)に続く本日の2本目。クラークの「幼年期の終わり」を読み終えたばかりで、昨日からホーキングなど読んでおり、当然、その流れではあるのだけど、今日は思わず大作2本立てになってしまった。

ずいぶん昔、初めてTVで観た時には、何のことやらよくわからなかった。2回目はプロジェクターを導入した6年前で、ボーマン船長とHAL9000との戦いの直後に寝てしまって、エンディングがわからなかった。これはいかんともう一度観たら、またエンディングの直前あたりで寝てしまい、ちゃんと最後まで観られたのは4回目のことだった。

今日で5回目。フルHDプロジェクター+Blu-rayだからか、これまでと印象がちがう。こういうのを映像詩というのかな。しかもかなり象徴主義的な詩だから、ドラマとして観ていこうとすると難解に感じるのかもしれない。よくこんな映画をMGMが作ったなと思ったら、イギリスのMGMだった。

類人猿のもとに例のモノリスが現れると、彼らは知恵を得て初めて道具(骨)を手にする。それは、すぐに敵対する同類を殺す武器になる。その骨を空中高く放り上げると、落ちてくる放物線の途中で宇宙船となって、青い地球を背景に「美しく青きドナウ」だ。

モノリスは月面にも埋まっており、木星へ向けて強い電波を発していた。ほどなく木星探査機の6番目のクルーであるHAL9000が発狂する。万能のコンピュータが知を得るということは、狂うということなのだ。モノリスを知恵の板であるとすると、どうしてもこのタイミングでは核のことを思わざるを得ない。

最近、吉本隆明は「知は後退できない。脱原発を唱えるのは愚行である。欠陥は克服していけるものである」というような論を述べていたけれど、知への過剰な信頼の危険を、あのHAL9000は象徴してはいなかったか。進むのも知であれば、とどまるのも知である。という新しい知が生まれようとする時代なのか。そうでないのか。ぼくにはよくわからない。

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