映画>2001年宇宙の旅(Blu-ray)
『用心棒』(黒澤明/1961)に続く本日の2本目。クラークの「幼年期の終わり」を読み終えたばかりで、昨日からホーキングなど読んでおり、当然、その流れではあるのだけど、今日は思わず大作2本立てになってしまった。
ずいぶん昔、初めてTVで観た時には、何のことやらよくわからなかった。2回目はプロジェクターを導入した6年前で、ボーマン船長とHAL9000との戦いの直後に寝てしまって、エンディングがわからなかった。これはいかんともう一度観たら、またエンディングの直前あたりで寝てしまい、ちゃんと最後まで観られたのは4回目のことだった。
今日で5回目。フルHDプロジェクター+Blu-rayだからか、これまでと印象がちがう。こういうのを映像詩というのかな。しかもかなり象徴主義的な詩だから、ドラマとして観ていこうとすると難解に感じるのかもしれない。よくこんな映画をMGMが作ったなと思ったら、イギリスのMGMだった。
類人猿のもとに例のモノリスが現れると、彼らは知恵を得て初めて道具(骨)を手にする。それは、すぐに敵対する同類を殺す武器になる。その骨を空中高く放り上げると、落ちてくる放物線の途中で宇宙船となって、青い地球を背景に「美しく青きドナウ」だ。
モノリスは月面にも埋まっており、木星へ向けて強い電波を発していた。ほどなく木星探査機の6番目のクルーであるHAL9000が発狂する。万能のコンピュータが知を得るということは、狂うということなのだ。モノリスを知恵の板であるとすると、どうしてもこのタイミングでは核のことを思わざるを得ない。
最近、吉本隆明は「知は後退できない。脱原発を唱えるのは愚行である。欠陥は克服していけるものである」というような論を述べていたけれど、知への過剰な信頼の危険を、あのHAL9000は象徴してはいなかったか。進むのも知であれば、とどまるのも知である。という新しい知が生まれようとする時代なのか。そうでないのか。ぼくにはよくわからない。
コメントする
(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)