2011年9月20日

釣りビジョンを見ること(2)

釣りビジョンは、エギングやルアーばかりでなくて、当然、ほかの釣りもいろいろと番組を作っているわけだけれど、なべて在来の釣りというのは、あまり印象が良くない。特に、磯釣りや鮎釣りには、こりゃひどいよなあというのがある。

鮎釣りを始めた頃、鮎だけは師匠をとれと教わった。その言葉の意味は、よくわかるし、私もこれから始めようという人には、きっとそういうだろうと思う。

鮎は川ごとに釣りがちがうというほど、多様性があるから、本やDVDで学ぶのには限界がある。川ごとに仕掛けや釣法が異なるだけでなくて、そこにその時間に入ってはいけない、という場所もあったりする。人の迷惑になるからだ。

たとえば、夕方の5時に、ある瀬尻の絶好と見えるポイントに立ってしまうと、その日、その時間に、そこから上流に立っている釣り人は、もうあきらめなくてはならない。こんなことは、多少釣りがうまいくらいでは気づかない。そういうことを教えてくれるのは、地元の師匠だけであろう。

私の鮎の師匠は、あまりはっきりと何かを伝えてくれるということのない人だったが、一度だけ、いわれたことがある。

「JUNちゃん。この川で、これからも長く釣ろうと思ったら、あの状況であそこに立ってはいけないよ。よその人なら、みんな黙って見過ごしてくれるけどね。まともな地元な人間なら、あんなことはしない」

師匠をとることの、そういった美点は十分に認めた上でいうのだけれど、番組に出てくる師匠と弟子の関係はひどすぎる。いくらなんでもTVに映っている時に、弟子に向かってお前呼ばわりはなかろう。釣っている背中から、あそこを釣れの、それはどうだの、やかましく声をかけるのも難儀なシーンである。

こういうのは、師弟関係そのものが悪いのではなくて、要は釣り人の教養の問題なのだが、そういった点で疑問符がつく者が、いわゆる名人には多いのだろうか。

若い人からみれば、なんだこの威張り散らした無教養な親父はということになる。結果、そのジャンルに入ってくる若い世代がいなくなるということに気づかない。

ちなみに、私の鮎の師匠は入口の時点では、びわ湖の小鮎さんであり、多少、ものがわかり始めた頃は、延岡のシルバードクターさんだった。海の釣りでは、明石の山田一郎さん。いずれも見事に人間のできた、立派な師匠だった。

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