2011年5月28日

70hzのピーク

ふと思いついて、季刊「ステレオサウンド」155号・156号(2005年)をひっくり返してみた。この2号は、「試聴&測定で探る現代スピーカーの魅力」と題して、合計35機種のスピーカーの周波数特性やインピーダンス特性の実測データを掲載している。同誌としては25年ぶりの測定だったということだ。

価格帯は、265200円から679万円。一応、なんとかなりそうな(?)50万円以下のものは5機種だけだから、私が読んで購入の参考になるような記事ではない。

で、周波数特性のカーブを中心に、さくさくページを眺めていって「おお?」であった。「ひえー」でも、「どひゃー」でも、岡本太郎風に両手を上げて「なんだこれは」でもいいのだけど、いくつかの例外をのぞいて、これら現代の高級~超高級スピーカーの低域特性はそっくりなのである。

●65hz~75hzに4db~8dbほどの大きなピークがある。
●そのピークから低域はだら下がりになる。
●多くの機種で50hzは100hzより2~6dbダウン。
●したがって40hzは、さらにダウン。
●したがって30hzは、もっとダウン。
●個性といえば、ピークからのだら下がりの度合いくらい。

長岡師も晩年、わざわざダブルウーファーにしたりして、50h近辺に大きなピークのあるスピーカーを、たて続けに作っていたことがあったけれど、そういうことだったのだろうか。

世界中から集めた数百万円もする超高級機が、フラットな特性を目指さずに、あえて70hz近辺に大きなピークを作り、そこから(自作派からすれば)、投げやりな(笑)だら下がり特性に甘んじているというのは、メーカーの流儀として昔からこうだったのか、音を追い込んでいったら自然にこうなったのか、よくわからないけれど、ひとつの「時代の音」ということだけは確かだろうと思う。

ちなみに、70hzピークの例外は、KEFのKHT9000ACE、オーディオ・フィジックのBrilon2、クオードのESL988、YGアコースティクスのAnat Referrence Main Module、ジャーマン・フィジクスのThe CarboⅡの5機種。あと、どっちつかずのものが2機種あった。

スピーカー設計の大もとは、低域の量と質をどうするかなのだから、これでいいのであれば楽なものである。どう考えてもウーファーは20cmもあればこと足りる。でも、ほんとにこれでいいのだろうか。測定条件がちがうので横並びにはできないだろうけど、もしこれが長岡作品で、この物量を投入してこのスペアナ写真だったら、誰も作らないだろうなと思うのだが。

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コメント

JUNさん、ひょせんです。

これは単なるわたし個人の推論ですが、古くからある四弦のベースの最低音は約40Hz(五弦だと32Hz)なのですが、周波数がその2~4倍となる1~2オクターブほど上の音を膨らませて鳴らせば、音楽の低音が豊かに表現されるというのが狙いではないでしょうか。
また、ベースの最低音の帯域はあえて音圧を落として、ウーハーの重い振動板でも、歯切れの良さを感じさせやすくしているということも考えられると思います。

さらにそれより下の帯域は自動車の走行ノイズとかスタジオ内外の暗騒音だったりして、音楽鑑賞の上ではジャマになる音ですから、ほとんど出ていないほうが多くの音楽ファンにとってはメリットになるのだと思います。
オーディオ・マニアの中には、この暗騒音をしっかり再生して、録音現場の空気感も含めた音場をリスニング・ルームに再現しようとする人もいるわけですが、そういう人たちが映画再生でなくともサブ・ウーハーを追加しているのだと思います。


さらに、邪推となりますが(笑)、若者にオーディオを聴かせると、その多くが、ナローでドンシャリ傾向の音をワイドレンジだと感じ、超低域から超高域までのフラットでウルトラ・ワイドレンジな音を、かえってナローな音だと感じると、数十年も前の長岡先生の著書の中の記述にもあったように記憶しています。
その頃の若者たちも今では年を取り、そこそこの財力を持ち、欲しいと思えば高級機と呼ばれるスピーカーを手に入れることもできるようにもなりました。(^_^)

また、「現実世界の音」と各々のリスナーが理想に掲げる「オーディオの音」は、意外なほどに乖離しているもので、現実世界の音を聴いて「わーっ!すごいウルトラ・ワイドレンジだ!!」と四六時中驚き続ける人はまったくおらず、繁華街で雑踏の中を歩いても「わーっ!すごいサラウンド音場だ!」などと感激する人などどこにもいないことからも、「現実世界の音」と「オーディオの音」の評価基準を無意識のうちに分離していることが分かると思います。

この先、ステレオ・イヤホンで聴くカサカサ・シャキシャキ・サウンドをHiFiだと信じ込まされている若者が購買の中心層になってくると、今でさえ数少なくなってしまった中間価格帯の真面目なオーディオ機器は、完全に姿を消してしまうんじゃないかとさえ思います。
今ではオーディオ機器は、中年以上の数十年来のマニアの物欲をターゲットとした高級機が中心となっていますが、そういったマニアの多くが活力を失う頃には、オーディオなんて趣味は消えてなくなっているかもしれません。

なんとも悲観的なお話になってしまいましたが、目先の利益を執拗なまでに追求する刹那的な時代に、目に見えないものを再現して楽しむなんていうオーディオは似合わないのかもしれません。

ひょせんさん

クラシックの演奏会とかに行くと、確かに「ワイドレンジってこんな音なのなのかなあ」と思ったりもするのですが、そんなことを考えるのは、ごく一部の人なのでしょうね。

まあ、ものすごくデフォルメされた音しか、スピーカーからは出てこないわけでしょうし、それを聴いて脳内で何かのイメージを再構築するのがオーディオでしょうから、いわゆる「オーディオ的な音世界」というのは現実世界とは、はっきりちがうものなのでしょうね。

オーディオをどんどんハイファイに向けていって、今、この時代だと、このくらいの音が出せれば一応十分、というようなレベルの音は、おそらくまだ聴いたことがないのだろうと思いますが、最近は、その方向への憧れが、私自身もかなり薄れてきてしまっているように思います。

いずれにしても、何かの形で強烈にバイアスがかかった音であり、音場なわけですが、あとはそうやって物理的に出てくる音と、自分の脳内イメージの折り合いのつけ方をどうするかという。だから、オーディオはどこまでも主観評価になってしまうのでしょう。

70HZのピークについては、あそこまで周波数特性がそっくりだと、他社の特性に合わせて、おんなじような調整をしてるんではないかという邪推(笑)も、ふつふつと湧いてくるわけであります。かつての国産スピーカーのように。

それにしても、おっしゃるように、中級機の層がどんどん薄くなってきているようなのは、どうしたことでしょうね。最近、家電店で妙にシスコン売り場が拡大してきていて、いいことだなあと思ってよく見てみると、セットで10万を超すのはもう高級機の扱いですものね。

まあ、シャカシャカのイヤホンで聴くよりは百倍もいいことだと思いますが、その先のステップアップしていく商品群が、どんどん薄くなっていっているようです。たしかに、どうも先はなさそうだなあ。


JUNさん、ひょせんです。

音に限らず、このところ自身や直近にいる他者の安全を守るための五感の感覚さえ、捨てる方向へと人間の行動様式がシフトしているように思います。自動車でもそうですが、自転車に乗りながらケータイでメールを打つのも読むのも、絶対にやめて欲しいですね。

ステレオ・イヤホンの場合でも、外界の音空間から遮蔽された状況を作りあげてしまいますし、自分を取り巻く空間で鳴っている「音」というか「空気の振動=気配」を感じとる能力をどんどん捨てて、文字情報で規定されている外見にばかり興味を示すといった感じでしょうか。これでは、キレイ事を並べる悪人たちに、簡単にだまされてしまいます。

脳を総合的に働かせる機会が減ってきていることと、世界的にみて日本の子供の「学力」というか「理解力」が衰えてきているのも、五感の放棄と無関係ではないようにも思えるのです。

また、なぜか若者が好む歌は、恋人同士であれ、それ以外の他者の関係においても、「対峙する二者の気持ち」以外の状況がまったく感じられないものが多いと感じますし、特に21世紀になる頃からのここ10年ほどは、加速度的に社会全体が、恐怖を伴う何か大きな力によって、個人の孤立をうながす方向へと追い込まれていったような気もします。
って、ついつい話が大きくなり過ぎました。(^^;


ここは、低音のピークに関する記事ですが、先日サブ・ウーハー関連の記事で、AVアンプのフロント・バイアンプ機能を利用したASW型またはDRW型のサブ・ウーハーの案を紹介しましたが、ちょうどスーパースワンとリアにR-101(BH-1026S)を使っている方から、FW208Nを使ったASW型サブ・ウーハーが完成したとのことで画像を送っていただきましたので、わたしのHPの掲示板にアップしてみました。

http://6100.teacup.com/yh1305/bbs

これでも、FW208N用のこのタイプとしては小型なほうですが、この方はご家族の理解を得るために、部屋の隅のほうに置き、飾り棚の側板として2本のキャビネットを利用するそうです。
機能的には部屋中の空気を揺るがす40Hz~20Hzあたりまでの拡張するアドオン・ウーハーですので、リスナーの前方でなくとも音像の定位には影響しないという利点にあると思います。

ただ、フロント・バイアンプでは、高低のバランスを可変できるAVアンプが限られているため、パッシブ・タイプのサブ・ウーハーとスーパースワンと能率を合わせるためには、このくらい大きなサブ・ウーハーが必要となる、ということの参考にはなるかと思います。
また、AVアンプ内蔵のパワー・アンプも、そこそこ力感とレンジ感が必要となってきますし、サブ・ウーハーを鳴らすことで、サラウンド・バックのスピーカーは鳴らせなくなってしまいます。

やはり、アンプ内蔵の市販サブ・ウーハーは便利で導入しやすいということですね。(^^)

ひょせんさん

五感の衰退…ということについては、私もなんとなく感じていました。物理的なものというよりも、人間としての感性や感覚、ひろくいえば教養とか認識力といったものが、どんどん浅く薄くなっているのは、言葉や態度の単純化を見ていてもわかります。

あと、危険に対する想像力が低下していますね。シートベルトをしないで、幼児や赤ちゃんを乗せてたり、ほんとに幼な子を自転車で二人乗りしていたり。人を殴ったらどうなるかもわからないまま育つ子が…、みたいなこともあります。これらはみな、人間としての感覚の衰微につながっているのでしょう。

捨てたもんではないなという若い衆も、それなりにいるのですが、彼らが感覚を磨いていく場や手段が、なんだか少なくなっていて、むしろ逆の方向に押されていく流れが、確かにあるようですね。

1か月ほど前、吹奏楽をやっている理工系の大学院生が2人遊びにきて、スーパースワンの音にひっくり返っていました。「部室のスピーカーでは、ぼくのバスサキソフォーンは聞こえない」と(笑)。

一度聴いてしまえばしめたもので、どこかで耳の回路が開くはずなので、いずれこっち側の世界へ(笑)、きてくれるものと思っています。

JUNさん、ひょせんです。

そうですね、きっかけがあれば、気が付く人は少なからずいるでしょうね。機能の付加よりも、むしろ機能を削ることで得られる音質の良さが付加価値となるわけですが、この概念は実際に体感しないと分かりにくいものですからね。バス・サックスの音は、現実に聞くとややハードで尖った感じのする低音だと思うのですが、甘い音のスピーカーでは、他の低音楽器の中に音が埋もれてしまうのかもしれません。

わたしの経験でも、歌とか楽器の生演奏をやっている人にバックロードの音を聴いてもらうと、普通のスピーカーより現実の音に近いことに喜んでくれることが多かったです。
かつて学生時代に、先輩や後輩のたちのミニ・コンポの付属スピーカーをD-55似の自作10センチ・バックロードに置き換えてグレード・アップなんてことを何回もやりましたが、これがなかなか効果的で、中には、もっと良い音にしたいと、その後まもなく単品のアンプやCDプレーヤーを買い揃える人もいたりしました。

先日図面をお送りしたBH-1028Sは、省スペースかつスピーカーの前に雑多な物が置いてあってもあまり音に影響しないですから、当時これを設計していたら、学生のあまり広くはない部屋向けに、こっちのほうを作っていたかもしれません。あのバックロードたちは、今どうなっているんだろう・・・、と少し遠い目をしてみます。(笑)

JUNさん宅を訪れた学生さんたちも、そのうちにスーパースワンの図面が欲しいと言ってくるかもしれないですね。(^_^)

ひょせんさん

私が10代の頃はオーディオブームの真っ盛りでしたので、先輩の家だとかジャズ喫茶だとかで、「凄い音」の経験をする機会もけっこうあったのですけど、最近はそういう機会そのものが非常に少ないのでしょうね。オーディオファンなんて、もうそこらにはなかなかいませんし。

もっとも私の世代でも、そういうのに出会って何らかの衝撃を受けるような幸運に恵まれた人は、クラスに1人、2人くらいだったように思います。だから、というわけでもないのですが、音楽好きの若い衆に出会うと、なるべく家に招くようにしています。

余談ついでですが…。

私は昔、パソコン通信ニフティサーブにあった釣りフォーラムのSYSOPをしていたのですが、当時、ちょうどスーパースワンを作った頃で、雑談会議室で自作スピーカーの話でおおいに盛り上がったことがありました。

それを、長岡師が読んでいたということを、後でニフティの担当者に聞きました。長岡さんは釣りがお好きだったので、何気なくフォーラムをのぞいてみたのでしょうが、そこで「長岡」「バックロード」「点音源」「軽量振動板」「瞬発力」「音像と音場」「どケチオーディオ」なんて言葉が連日飛びかっていたので、驚かれたろうと思います^^;。

私と長岡さんの、ほぼ唯一のかすかな接点でありました。

JUNさん、ひょせんです。

長岡先生は釣りがお好きだったのですね。長岡先生の書かれた文章から想像して、わたしの頭の中には、後に方舟を建てることとなる自宅の隣地に、運動不足解消がてら家庭菜園を作って好物のトマトを栽培するという農耕イメージが印象に残っていて、釣りというのは意外でした。(^^)

当時の長岡先生の文章の中のインターネット関連の記述を思い起こすと、パソコンを立ち上げプロバイダに接続を試みてもなかなかつながらず、庭の草取りをして戻ってくると、やっとつながっていた(笑)とか、今(当時)のパソコンは時代遅れ、腕時計のようにどこでも使えて常時気軽に持ち歩けるのが当たり前、などというのが記憶に残っています。

あれから10年以上経ち、今や無線でのネットへの常時接続は当たり前、腕時計とまではいかなくても、厚めのノート1冊程度の大きさまでパソコンも小型になりました。
しかし、そういったことを進化と呼ぶのなら、拙速とも言えるほど急速に変化する現代社会の中で、ピュア・オーディオの世界は、多くの若者からは、進化を拒絶した廃れ行く遺物と見えるのかもしれません。

それにしても、釣りに関するフォーラムで、長岡式オーディオ・イズムが語られているのを目にして、ご本人もさぞや驚かれたに違いありませんね。(^o^)

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