2011年4月16日

谷川俊太郎

コピーライターになりたいなあ、と漠然と考えていた80年代のある日に、ということは20代のある日ということなのだが、「鳩よ!」かなんかの雑誌に載っていた谷川俊太郎の『びわ』を読んで、何かものすごく視界が開けたような気がした。

ちょっと説明がいるだろうから説明しておくと、80年代中期に、なぜか日本では突如としてコピーライターブームというものが起こって、古くは広告文案家などと呼ばれていた、この陽の当たらない裏方仕事が、なんだか非常に新しい、しかもしたたかで戦略的でありながら、企業活動を通してちゃっかり世の中の文化にまで、アプローチできそうなものに受け止められたことがあった。

だもので、文系でそこそこ気はきいているけれど、先行きのあまり明るくなさそうな連中の中には、小説家や詩人になるかわりに、コピーライターにでもなるかと考えるものが大勢いた。『ザ・コピーライターズ』という雑誌まであったのだからな。読者の大半は、こんなやつだったはずなのだ。

文系でそこそこ気がきいていて、先行きがあまり明るくなく、しかもとりあえず鉛筆一本でめしを食う覚悟だけは決まっていたぼくが、あの頃、コピーライターになりたいなあと考えるのは、ごく自然のなりゆきだったともいえるのだが、そんな時に、「鳩よ!」で谷川俊太郎の『びわ』を読んだのだ。

まあ、「鳩よ!」と「ユリイカ」と「現代詩手帖」と「詩学」は、そういう若い衆がよく読んでいた雑誌なのだった。なんで読んでいたのだろうなあ。面白かったからだろうけど。

『びわ』は、もちろん詩なんだけど、それはコピーと呼んでもよかった。いや、こんなコピーを書けたらいいなと思わせるような詩なのだった。引用したいのだけれど、手元に詩集が見つからないので、同じ頃に同じ雑誌で読んだ『かえる』から引いてみる。

かえる

かえるは なにかいいふるされたことを
ほんきになって いいたいとおもった
で かえるは けけこといったのだが
だれも みみをかたむけなかった
(後略)

「鳩よ!」は後の方では、けっこうぐずぐずになってしまうのだが、この頃のレイアウトは見事で、この詩や『びわ』の文字の並びの美しさは、それまで普通の活字ではふれたことのなかった言葉の可能性を教えてくれた。

ここに引いた4行も、ただこれだけで切なくておかしくて美しい。タイポグラフィという言葉を知ったばかりでもあったので、ああ、こういう仕事をやりたいなと、いよいよ思ったわけである。

そんな風に、谷川俊太郎という人は、ぼくの背中を押してくれた人であり、自分が進んでいく道に灯りをともしてくれた人であったりした。

今夜、宮崎で谷川俊太郎のライブがあった。オクサンがスタッフをやっていたので、チケットもあったのだけれど、行けなかった。会場には宮崎の小さなギョーカイの主に先輩の皆さんも顔をそろえており、「彼はどうしたの」と声をかけてくれたらしい。

行けるもんか。と思う。たぶん、これが最初で最後の出会いだったはずなのだが、やっぱり今さら、行けるもんかと思った。谷川俊太郎がステージに座って、ただ黙っていてくれるだけなら行ってもいいけれど、何か言ったりするわけだろう。そんな場所には行けないのである。

本棚から詩集を引っ張りだしてきて、読み始めた。もう飲まなきゃしょうがないなと思う。

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追記:

そもそも、詩とコピーは何の関係もござらん。 といいたいのだけれど、どうもコピーを書くにいたるひとつのアプローチとして、 詩の経験は、それなりに生きるような気がする。

ただ、あくまでアプローチとしてであって、詩を書けるからといって、 コピーが書けるわけではないし、ぼくのようにコピーは書けるけど、 もはや詩は書けないものもいる。

まして、文芸・文学として、あまり深く詩に関わってしまうと、 コピーという「仕事」の刹那刹那の割り切りとか、 いい加減と裏表の大胆さとか(どっちも必要だから困る)に、ついていけなくなるということも起こりそうに思う。 まあ、マーケティングで詩を書くよりも、コピーの方がましだとは思うけど。

で、詩とコピーがどのように関わるかというと、まず言葉の選び方。 漢字で書くか、仮名にひらくかなんてことに始まって、 言葉の重複、イメージの重複を、削ったりあえて残したりなんて作業は、 たしかに詩を書いたり読んだりした経験は生きると思う。

「鳩よ!」が面白かったのは、文芸誌としてスタートしながら、 どうもそれは偽装っぽくて、ほんとは言葉のトレンドマガジンをやりたかったようなフシがあって、詩とコピーの重なってくる部分を (ほんとに重なるのかどうか知らないけど)、狙っていたようなところがあったからなのだった。

広告が面白くなくなったのと同時に、詩が力を失ったように感じられるのは、たぶん、きっと、そういうことなんだろうと思う。

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