2011年3月13日

東北地方太平洋沖地震

3月11日(金)、午後2時45分頃、東北地方で最大震度7の地震が起こった。震源は三陸沖でマグニチュードは8.8(後に9.0に訂正)。歯医者の受付をすませてソファに座ろうとしていたところで、患者や医者の静かなどよめきが聞こえた。ちょうどテレビが宮古市に津波が押し寄せるのを映しているところだった。

その波を見た時に、これは数千人単位の犠牲者が出るのだろうなと感じた。そして窓の外を見る。宮崎も土地は低い。ぼくの家も海抜2mしかなくて、家を買った時から津波へのシミュレーションは、いつも頭の中にあった。過去、何度も起こっている日向灘地震や南海地震が起これば、おそらく宮崎港に寄せた津波は、新別府川の堤防を乗り越えて、まっさきにわが家を襲うのだろう。2005年の14号台風の時も、避難指示が出ていた。

治療を終えてテレビを見ると、さっき津波注意報(高さ0.5m)だったのが、津波警報(高さ2.0m)に変わっている。津波が小さな新別府川を遡れば、4mにも5mにもなるかもしれない。そうなると最悪、堤防を越えてしまう。

オクサンに電話するが出ない。しばらく待って再度かけると、掃除機をかけていたので気づかなかったという。

「テレビ見てるか」
「見てない」
「東北で震度7の地震があった。宮崎にも津波警報が出てる」
「そうなの」
「子供が帰ってきたら家にいるように言ってくれ」
「夕方からサヤカは塾だし、アリサは買い物に行ってるし、送り迎えとか、役員会とかいろいろ忙しいのよ」

女というものは日常に固定される生き物であるので、不測の事態への対応がワンテンポずれるのは仕方がない。向こうに言わせれば、こちらが取り越し苦労の心配性だということになるのだろう。腹立たしいのだが、それで調和がとれているのだと最近は思うようにしている。

家に帰ると、まだサヤカを塾に送るつもりでいた。

「今日はもういい。家にいなさい。塾にも電話すること」
「警報が終わってからなら、いいんでしょ」

津波警報がそんなに早く終わるかと思ったけれど、よけいなことは言わない。石のように日常にしがみつく気なのだ。こっちは、ライク・ア・ローリング・ストーンなのだからな。いってみれば、軽石とミカゲ石くらいの差があるので、折り合う見込みはない。昔なら強権を発動するところだが、そんなことをしても解決にはならないこともわかっている。

「アリサはどうした」
「まだ帰らないよ」

しばらくしてアリサから電話があり、イオンの屋上に退避させられて、家に帰れないとのこと。ずいぶんたって、暗くなった頃に、一人で歩いて帰ってきた。まだ屋上には人がたくさん残っている中を、係員が止めるのを無視して、ずんずん歩いて2Fを突っ切り、非常階段をどんどん降りて帰ってきたという。この子も、言い出したら聞かない子なのだ。

それからずっと、テレビでは地上波全チャンネルで24時間、地震のニュースをやっている。今日の段階で死亡・行方不明者は1700名超。おそらく犠牲者は万の単位になるだろうということも言っている。道路が寸断され、地域が壊滅し、電話もできないため、中には「市」がまるごと消滅しながら、まるで情報が伝わらないところもあるらしい。

そして福島では原発が2基、深刻な状況にある。もはや、日本人はほとんど未知の領域に置かれているのだろう。これから、どんなことが始まるのか想像もつかないけれど、被災地でも被災地でないところでも、人は、おおむね冷静で優しいようだ。その優しさが、かえって痛ましく思える。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fishing-forum.org/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1091

コメント

JUNさん、ひょせんです。

このたびの大震災、その惨状をテレビで映像を見て恐れるだけの立場ですが、どういう言葉を発してよいものかわからないままの気持ちで過ごしています。

西日本でも、遅くとも今世紀中に東海・東南海・南海の三つの地震の連動発生と、それによる大津波の被害が予測されていますけど、高知県沖で起きる南海地震ひとつだけとってみても、太平洋岸の地区を襲った後、豊後水道を北上した大津波が沿岸のリアス式海岸沿いに点在する市や町を襲ったら一体どうなるのか、テレビで繰り返し流される今回の大震災の映像を見るあたり、予想するのも怖いくらいです。

旧政権の数十年来の方針でもあったのでしょうが、平時を基準としているのかと思えるような原子力発電所の安全対策の甘さや、開示すべき情報の隠蔽体質などを見て、わたし自身もはじめ一般庶民誰もの意識の中にある、「その時がやって来て欲しくない」という感情から、「その時の存在を考えない」という行動が生まれているように思います。

ガラパゴス化していると言われる国内のケータイ電話事業にしても、国内の閉鎖された市場の中で、平時にのんきな利用客をケータイ漬けにして、事業者側のやりたい放題に利用料金をカモるための集金システムとしての傾向が、海外よりも強いのではないかと感じます。

わたし自身もこの大震災の衝撃をいつまで忘れずにいられるか分かりませんが、今は、来るべきその時にどのような行動をとればよいものかを考える必要性を強く感じているところです。

ひょせんさん

どうもコメントをありがとうございます。あの日から、Twitterやmixiのつぶやき、友人のブログ、日記も含めて、この話題が当然多くなるわけですが、私はようやく「私事」として上の日記を書いただけで、ほんとに言葉がありません。いろいろなストレスを、外に向けてつぶやくのも本意ではありませんし。

ちょうど宮崎県では串間市というところが、統一地方選に合わせて原発誘致に関する住民投票を予定していました。結局、投票はとりやめになったのですが、以前からこの町には縁があって、政治やまちづくりについて10年以上前から、いろんな方と意見を交わしてきました。

私の基本的なスタンスは、串間原発は誘致しない方がいい、というものだったのですが、この町はこの10年間で人口が7%減るようなところで、誘致派も反対派も、故郷のことを考えてのことにはちがいありませんので、求められてもこの件だけは、自分の意見をいうことはありませんでした。

で、最近、夢を見たわけです。自分が串間の建設業の社長をやっており、そこへ友人の同業者から電話がかかってくる。「誘致が決まったよ」と。

「よかったねえ」と心から言っている自分でした。「これで、10年くらいは仕事の心配はなくなったね」と。私も自営業者ですので、それがどれだけありがたいことかというのは、わかります。

立場というものは、主義も理性も簡単に超えてしまうものなのでしょう。原発も、地震も、噴火も、洪水も、怖いものであるということは、誰もほんとうには見失ってはいないはずなのですが、その怖さを、何かとバーターにして忘れようとする。あるいは、どこかに押しつけようとする。そうやって押しつけあった末のババ抜きみたいなゲームが、今回、やっぱり破綻してしまいました。私も、人のことはいえません。

東日本大震災。災害の状況が見えてくるって時期は過ぎて、復興を考える時期に来たようです。とは言っても、被災者の状況は悪くなっている様に原発の事故も収束はしていない。

関東周辺では、計画停電が続いているし、夏に向けて酷くなるでしょう。

現代社会、電気がないと一歩も動かないのは事実で、節電にも限界があります。温暖化も進んでいる。

原発を考える時に温暖化って大きなキーワードになっていて、災害の前までは温暖化防止の決定打みたいに言われていました。太陽光発電などの再生可能発電にも限界はあって、それで原発の代わりになるほどの力はない。

怪しげな評論家が言いそうな、ライフスタイルを変えるってのも現実的じゃない。結局は答えは出ないのですが、早急に何らかの回答は出す必要があるんでしょうね。

そんでもね、冷蔵棚の電気が消えた薄暗いスーパーや、一つ置きに消えた街灯を見ると、これが本来の姿だよな~と思ってしまうのです。

ひょせんです

今回の震災、いろいろなことを考えさせられます。

およそ千年前にも同地域で同規模の津波被害があったとの研究結果があるそうですが、そのペースでいくと、ここ100万年でも1000回も繰り返されてきた、地球にとっては日常的ともいえる地殻プレート破壊のたった一回によって、こんな甚大な被害がもたらされることに、ただただ愕然としまい、今もちょっと混乱しています。

原子力発電所については、わたしの郷里のご近所に三十数年前から稼動している原発があり、何度も小さな事故が起きるたびに繰り返される「絶対に安全です」という言葉にうんざりしていたこともあって、今回の福島の原発事故には神経質になってしまいました。わたしは原発反対という立場ではないのですが、やるならかなり高いレベルで、もしも時の対策をちゃんとして欲しいとは思います。

今はまだ、テレビをつけても軽いバラエティ番組などを観る気は起きないので、時間が空いたときにはニュース番組などの音声を聴きながら、ぼつぼつと今後作ってみたいスピーカーの原案作りに頭をひねっています。

なんだか日頃の自分に戻るのがむずかしいですね。ひょせんさんは、もうスピーカーの原案作りに入られたとのことですが、私はまだ映画を観たりする元気も戻っていない感じです。

ただ、平凡に家族とともに生きてあることの幸福を思うことはできました。あと、今まで放置していた本を、何冊か読み始めています。

何かのチャンネルが変わりつつあるのであれば、これまで惰性で続いてきた自分自身の周りの細々とした物事も、この際、捨てたり、見直したりするいい機会なのかもしれないなと思います。

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)