映画>バンド・ワゴン
『バンド・ワゴン』(ヴィンセント・ミネリ監督/1953)。
ぼくには、いつか観ておかなくちゃしょうがないよねという映画がたくさんあるのだが、これもそのひとつ。フレッド・アステアのミュージカル俳優としての、おそらく最後の輝きといっていい作品。これ以降、時代も豪華絢爛なミュージカルから離れていってしまった。
トップハットに燕尾服、白いタイで歌い踊る、粋なミュージカルコメディ俳優として一世を風靡したトニー・ハンター(アステア)もすっかり過去の人。そこへ旧友の脚本家から、彼を主役にした古き良き舞台の台本が持ち込まれるのだが、当代随一の演出家にしてスターであるプロデューサーは、それを「現代のファウスト」として心理劇に作り替えてしまう。
紆余曲折をへて初演にこぎつけるのだが、舞台は大コケ。それならとハンターは所有するドガの画を資金に替えて、脚本をコメディに書き直し、地方巡業を始める。そしてブロードウエイへの凱旋...。といったストーリー。
アステアもこの時、54歳になっていて、共演するバレリーナ、シド・チャリシーとの年齢と文化の差は大きい。そしてアステアとチャリシーは互いへの恐怖と自分への不安を抱えているところから、出会いが始まる。チャリシーにとっては「カスター将軍と踊るようなもの」であり、アステアにとっては「バレエは子供の頃にやっただけだ」なのだった。
もしハンター=アステアが全盛時の44歳だったならば、チャリシーの不安を包み込んで自分の世界に引き入れることに、なんの躊躇も不具合もなかったろうと思う。そこが54歳という年齢の微妙なところで、アステア自身、才能はあるけれど実績のない小娘のダンサーと同質の不安を抱えている。
もしかすると、今の自分はイケてないのかもしれない。今の時代に、こんな才能のある子は自分の相手なんかしないんじゃないかと。これ、なんとなく想像できるのだ。自分にも、いつかそんな日がくるのかもしれないと。最近のおれは、イケてないんじゃないかという不安と戦い始める年代というのが、きっとある。考えてみれば、30歳になった時も、40歳になった時も、ちょっとそんなことを思ったな。
舞台稽古でキレて飛び出したいったアステアに、周囲に促されて謝りにいくチャリシー。そこで逆ギレするチャリシーをなだめて二人で馬車に乗り、夜の街をドライブする。立ち寄った公園を二人で歩くうち、どちらからともなく踊り始めるそのきっかけの優雅さ。ダンスが言葉を超える会話になった瞬間の美しさ。
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