2011年1月19日

映画>血槍富士

『血槍富士』(内田吐夢監督/1955)。

昭和30年代の東映時代劇の傑作として、タイトルだけは知っていたものの長くDVD化されていなかった。けっこう数年、待っていたと思う。

酒匂小十郎(島田照夫)という旅の武士に従う仲間の加東大介と、槍持ちの片岡千恵蔵。主従三人で江戸へ茶道具を届けに旅をする道中は、ごくほがらかな人情時代劇風で、そのままほのぼのと終わっても良さそうなところで、最後に主人と加東大介が酒に酔った5人の侍に因縁をつけられて斬殺されてしまう。

そこへ駆け込んできた片岡千恵蔵が、後の『十三人の刺客』の原型になったかのような、殺陣ともいえない型破りな殺陣で、侍どもを討ち果たすというお話。おそらく当時にあって、この様式美もへったくれもないリアリズム風の殺陣は、大きな出来事だったのだろうと思う。

というようなことは、まあ置いておいて。

中国に抑留されていた内田吐夢の復帰第一弾ということで、監督も会社も役者も気合いが入っていたことと思うわけだけれど、大きなくくりとしては時代劇=娯楽映画という枠を少しも外していないし、その気もなさそうだ。いわゆる意欲作によくある痛さなどはまったくなくて、とにかく客に喜んでもらえる面白い映画を作ろうという感じ。

たしかにこの映画は、手法としての新しさはいろいろあるにしても、公開当時、老若男女が楽しんで観て、歓声をあげたことだろうし、赤塚不二夫が観たって、これでいいのだといったと思う。ぼくも映画を作る人の了見として、ここのところはあまり外してほしくない。目新しさや実験もいいけれど、客をおいてけぼりにしてそれをやるのは、落語の楽屋落ちと同じで野暮だろうと。

片岡千恵蔵という人は、なんにせよ名優であり御大であり、何をやらせても破格の存在感がある人だけれど、どうしたってどこかもっちゃりしているわけで、この槍持ちの役は、そのもっちゃり感とほのぼの感が最高に出ていた。そして、この善良で真心にあふれた槍持ちが、主人の死を知った後に修羅場に突入していく、その反転の凄さ。

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