2010年11月 7日

ヒットとは何か

日本シリーズ第6戦を6回から見た。部屋を暗くしてプロジェクターで映してみると、思いのほか地デジの画が綺麗なので、それにつられて見ていたら、なんだか昔の高校野球のような大熱戦となり、一寸先がわからない、ぐちゃぐちゃの展開となって結局ゲームセットの午後11時55分頃まで、釘付けだった。

この試合でもっとも印象に残ったのは、延長11回裏、二死満塁から荒木が放ったファーストライナーと、その直後の荒木の表情だった。「なんだって?」というような、実に不条理に耐えかねたような顔が、110インチの精細なプロジェクターに映し出されたわけだ。

荒木はあの時、投げる球がなくなりつつあった藪田の配球を読み、スライダーしかないと決めてバットを振り抜き、きれいにバットの芯に当てた。投手と打者の勝負でいえば、荒木の勝ちであったことは疑いがない。それが「たまたま」一塁手の正面に飛んでいった。

痛烈な当たりが野手の正面を突いた時、二通りの見方がある。「運が良かった(悪かった)」というのと「やはり投手が腕を振り切っているから、あそこへ飛ぶ」といったような、投手の力量勝ちといった見方だ。

おそらく、後者の見方は嘘だろうと思う。野球において、確実なヒットといえるのはホームランだけである。あとは、単純に確率の問題なのだ。ある打球が、フィールドのあるエリアに、ある速度で落ちた時に、ヒットになるかアウトになるかというのは、確率の問題でしかない。つまり、運の問題でしかないと考えた方が、投手も打者も正しく評価できるように思う。

たとえば14回裏の中日の攻撃で、井端のセカンドゴロと森野のライトライナーは、相当高い確率でヒットになるべき打球であり、続く和田の一、二塁間を抜けるヒットは、弱々しい当たりが、たまたま抜けていっただけだった。つまり、二本の「ヒット」がアウトになり、一本の本来投手が勝った当たりがヒットになった。二つの不運とひとつの幸運が、そこに起こったわけで、この不運がなければこのゲームは終わっていたのだろう。

これを「藪田の気迫で野手の正面に飛んだ」とか「和田の執念が野手の間を抜けさせた」などという、妙なドラマはいらないのだ。

あるいは、11回表二死一、二塁で里崎が打った見事なセンターオーバーの、誰もが勝ち越しタイムリーと思った一打が、大島の背走キャッチによって潰えたのも、運不運の問題でしかない。そもそも大島はあの時、極端な前進守備を敷いていた。

こういう偶然がもたらす勝負のアヤこそが野球の面白さなのであって、それを「いい当たりが正面をつくのは、ピッチャーがいい投球をしたから」というような根拠のない見方は、野球を歪めるものであると思う。

さらにいうと「打たせてとる」というのも、半分方、信用できない。打者と投手の勝負において、投手が絶対に勝ったといえるのは三振だけであって、フィールドに向かった放たれた打球は、必ず一定の確率でヒットになってしまうのだし、打たせたという打球が、内野に飛んだのか外野に飛んだのか、ゴロが多いかフライが多いかでも評価は異なるはずだ。

投手が絶対に打たれたくないのは、ヒットではなくてホームランである。それは有無をいわさない勝負の決着だからだ。その意味で、ロッテ成瀬が今期、両リーグでもっとも多くホームランを打たれているというのは、果たしてエースとして信頼すべきなのかどうか疑問が残る。「誰よりも多くホームランを打たれて、なおかつ勝てたほど運が良かった」とはいえるけれど。

短期決戦では、こういう偶然性に由来する勝負のアヤが色濃く出る。見る側はそれを素直に楽しめばいい。今夜の実況アナと解説の3人は、わりあいそんなタイプだったから、より試合を面白く見ることができた。

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