2010年6月30日

8強ということ

ブラジル、スペイン、ポルトガル、オランダ、イタリア、ドイツ、アルゼンチン。と、ここまでがFIFAランキングのベスト8である。8強をめざすということは、つまりこれらの国々と五分の立場になるために、どうにかこうにか、スキマをくぐり抜け、波瀾万丈乗り越えて、無理を承知でなんとかするという話なのだ。

W杯で日本がたどりついた16強が、FIFAランキングでどんな国々なのかというと、9位から順にクロアチア、フランス、ロシア、ギリシャ、エジプト、アメリカ、チリ、セルビアとなる。この8か国も相当なツワモノなのだが、やはり8強との間には一枚も二枚も、それもかなりぶ厚い壁があるように感じる。

ランキング45位の日本が、32か国しか出られないW杯に出場したというだけでも、その努力と幸運は尊ばねばならないのだが、図々しいことにこの国の監督は、「ベスト4をめざします」と、あのメガネの奥の細目を光らせて、そう宣言したのだった。

この人の、後先顧みない、他人の批判や悪口など目の隅にも入らないような、最善を尽くすための勇気というものについては、ここ最近のニホンでは類を見ないものだった。「われわれは何も変っていない」という言葉を、二度聞いた。もし変ったものがあるとすれば、世間の、あなた方の方なのだと。

いいチームだった。

怒った電柱のようにゴール前に立ちはだかり、敵の危険なボールをはね返しつづけた中澤とTULIO。このくらい、できて当たり前だという顔をして、足下に磁石がついているかのようにボールをキープした本田、ゼンマイが切れるまで走り続ける覚悟でピッチを駆け抜けていった松井と大久保、いつのまにか...、という位置取りと粘着で敵のエースの光を消し、いつのまにか決定的な攻撃の起点になっていた長友、システムのへその位置で、ゲームバランスを保ち続けた長谷部と阿部。そして、抜擢という言葉を1試合で忘れさせたGK、川島。

どうやったら点が入るのか、勝てるのかイメージができなかったチームが、勝つための戦略と戦術を明確に手に入れたようだった。そのターニングポイントがどこだったのかわからないけれど、おそらく、あの4連敗した国際Aマッチから直前のジンバブエとの練習試合に続く、どこかだったのだろう。

一次予選を無敗の1位で通過したパラグアイを相手に、それはボールをキープする力という、サッカー選手としての基礎の基礎の部分で、超えられない壁を感じさせはしたものの、120分をスコアレスドローで戦い抜き、PK戦というサイコロを振るようなゲームで敗退した。ただ、日本のサッカーが、これまで超えられなかった見えない何かを、超えてみせたことは大きい。

黄金世代と比較して、谷間の世代といわれた連中の中で、しかもW杯直前までろくに出番も与えられなかった連中が、やってのけたこと。それは、後に続くお手本をこしらえたということだった。

個々の力で世界の一線級に劣っても、チームに中田英寿がいなくても、きちんとゲームとして成立させ、あわよくば勝負への扉をこじあけていくための、日本的、日本人的な戦いの形が(それは狡猾さや駆け引きといった日本人が苦手なメンタリティとはちがう部分で)、これから当分の間、ひとつのモデルとして受け継がれていくのだろうと思う。

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