2010年5月27日

ラッシャー木村のこと

ラッシャー木村は、洋酒集めが趣味だと75年頃のプロレス雑誌に載っていた。全盛期である。金網デスマッチの鬼である。"北海の獅子王"ラリー・へニングだとか、アスファルトなみの背中をもつジプシー・ジョーなどと激しく血を流し合いながら抗争を続けていたころである。

馬場の風格もなく、猪木の剽悍もないけれど、小なりとはいえ日本で三つしかなかったプロレス団体の一方の雄であり、絶対エースであったその木村が、洋酒集めが好きなのだと、あれはたぶん月刊ゴングか何かの後ろの方のページに、酒棚の前で照れくさそうにほほえむ写真が載っていた。

そこに陳列されていた「洋酒」は、ジョニ黒とかカティサークとか、別に珍しくもないものばかりであったことが、子供心にもほのぼのとした気持ちにさせられた。いつも血を流して、ガイジンをがんがん殴り、最後はきっと逆エビ固めで勝つような試合ばかりするこの人は、きっと趣味なんてほどのものも自分では思いつかないような、素朴なところのたくさんある、いい人なんだろうなと。

「こんばんは、ラッシャー木村です」という、北野武のギャグは、正確にはちょっとちがう。

あれは国際プロレスが解散して、猪木が、木村、アニマル浜口、寺西勇の国際ビッグ3をリングに上げた81年頃。まだプロレス会場には殺伐とした雰囲気が漂っていた時代で、浜口が斬り込み隊長として事前にさんざんあおり、いよいよ3人が会場に姿を現した時だった。

浜口がマイクをとって激しく新日本を挑発し、洒落のきかない当時の客は本気でボルテージを上げ、そこで御大将の木村にマイクを渡したわけである。マイクアピールなどというものは、ほとんどなかった時代。また、当時、テレビ中継のなかった国際プロのエースというのは、日本の多くのプロレスファンにとっては「まだ見ぬ強豪」の一人であり、その数年前に同じ国際プロからストロング小林が猪木に挑戦して巨大な反響を巻き起こしたこともあって、瞬間、会場は興奮と期待に静まりかえった。

その静まりかえったリングの上で、木村は「皆さん、こんばんは」とやってしまったのだった。

あのなんとも気まずい雰囲気は、たしかに大きな衝撃ではあった。もともとマイクパフォーマンスなんか、できない人だったのだ。猪木はさまざまなアングルでこの3人を使い、最後には1対3の試合を成立させた。あれは猪木にとっても汚点だったろうと思う。あんな風に、人を使い捨ててはいけない。

新日本における国際軍団人気がピークの頃(長くはなかったが)、鹿児島の飲み屋でこの当時最大のヒール3人組と居合わせたという人がいた。3人とも背筋をきちんと伸ばして、静かに、しかし大量にウイスキーを飲んでいたそうである。

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