2010年4月23日

映画>ベニイ・グッドマン物語

『ベニイ・グッドマン物語』(バレンタイン・デイビス監督/1955)。

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なんて素敵な映画だろう...。

と、100回書きたい(笑)。

1920年代だか30年代のある日、たぶん、ニュー・オリンズかシカゴで、スウィングというものが生まれ、幾人ものプレーヤーの手によって育ち、それが全米で時代の音楽となっていった。考えてみれば、どんな音楽にも誕生の時があり、成長期があり、あるものは長く愛され、あるものは時代の記憶とともに忘れられていくわけで。

スウィングの場合は、その揺りかごを揺らした人間の一人にベニー・グッドマンというクラリネット奏者がいた。シカゴの縫製工の息子として生まれた彼は、貧しいけれど心豊かな両親の下で育ち、二人の兄とともに音楽を学び始める。学ぶといっても「楽器はタダだが授業は1時間50セント」という私塾のようなもので、習っていたのは、当然、クラシック。

16歳になると遊覧船のラグタイムバンドにまぎれこみ(まだ、「ジャズ」ではなく「ラグタイム」だったのか)、彼のジャズマンとしての経歴が始まって、シカゴを経てニューヨークへ。それから全米を旅してまわり、ついにカーネギーホールでのコンサートを。というまでのお話。

Piano.テディ・ウィルソン、drms.ジーン・クルーパ、vib.ライオネル・ハンプトンと、実際にベニー・グッドマン楽団にいた豪華メンバーも顔を揃える。ちなみに、この3人とのカルテットは史上初の人種混合コンボだったそうな。いろんな意味でベニー・グッドマン楽団が新しく、またラジカルなものであったことが想像できる。

「シング・シング・シング」は、小学6年生の頃にレコードを買ってもらってから好きだった。このレコードおけるジーン・クルーパのドラムは、まさに一世一代の勢いで、血湧き肉躍る名演。そんなにたくさんのバージョンを聴いたわけではないけれど、ベニー・グッドマンのソロも含めて、あれがベストの演奏なんだと信じている。でも、クルーパはてっきり黒人だと思っていた。

そんなに豊かだったわけではないわが家で、あのレコードを与えてくれた両親に感謝。

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コメント

映画の中の「シング・シング・シング」はよかったですね。
You Tubeの中にこんなのがありました。
http://www.youtube.com/watch?v=Amug2YDZGAc&feature=related

ジーンクルーパが若いです(^^;
ベニーグッドマンも他のメンバーもみんな脂ののりきった年代ですね。

CHAPさん

ハワード・ホークス監督の「ヒット・パレード」という映画なんですね。豪華絢爛のジャズの巨人たちが集まってますね。これ、さっそく観てみることにします。