映画>市民ケーン
『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ監督/1941)。
天才というのは、ただモノゴトが人より飛び抜けてうまくできるということではなくて、また、それを長い努力の蓄積なしにできることでもなくて、それまで誰もやっていなかったことを、鮮やかにやってみせ、また、やってみせた瞬間に、それが歴史になり基準になる人のことなんだろうと思う。
この映画を観ていて、そんなことを考えていた。また、天才という言葉の意味を知りたければ、この映画を観ればすむのだろうとも。
『市民ケーン』は、26歳のオーソン・ウェルズによる初監督作品。主演・脚本・製作までこの人がやっている。つまり会社は、この若者に映画制作上のすべての権限を与え、なおかつ興行収入の25%を与えるという条件までつけた。しかもその時、ウェルズはラジオ番組で人気を博していただけで、映画界の仕事そのものが、これが初めてだったという。
ハイキーやパンフォーカスを織りまぜた、どこをとっても緻密で完璧な画面、ありえないほどの音楽の完成度、異常なほどテンポとリズムの良いプロットの組み立て、時に茶目っ気のある台詞まわし。そして深い人間への洞察。俳優としては25歳から70歳を超えて死ぬまでの主人公、チャーリー・フォスター・ケーンを、顔、髪型、姿勢、体形まで演じわけてしまうもの凄さ。
映画史上、これほどの天才が他にいるのかどうか知らないけれど、デビュー作がこの歴史的傑作であり、それがハリウッドで生まれたことは、ウェルズにとって良かったのかどうかは、わからない。
37の新聞と2つのラジオ局を支配するメディア王ケーンには、ウィリアム・ランドルフ・ハーストという実在のモデルがおり、その内容が彼を激怒させたため、公開前からフィルムを破棄するように圧力をかけられ、ウェルズ自身も全米でネガティブキャンペーンを張られる。そのせいで、アメリカ人の大半はこの名作を観ることもなく、興行的に大失敗で終わってしまったらしい。日本で劇場公開されたのは25年後の1966年だった。戦後は戦後で、GHQの圧力もあったのかな。
大体、無謀といえば無謀な話で、ハリウッドにやってきたばかりで破格の条件を手にした、ただでさえ風当たりの強い若造が、誰も指さえも指せないほどのメディア王(相当、悪いやつではあったらしいのだが)を、おちょくるようなことをするというのは、ウェルズがもともと、そういう反骨と茶目っ気のないまぜになったような、しかも命知らずでもあったということなのだろう。
だもので、いきなり干され、会社はほどなく解散し、この天才はその後もなかなか、まともな映画を撮らせてもらえることなく、俳優、ナレーター、テレビのいろいろ、英会話教材の吹き込みと、もったいないような人生を過ごしていくわけである。
エーリッヒ・フォン・シュトロハイム監督が、若き日に天才と呼ばれながら、その粘着気質による完璧主義で、常に予算と日程をオーバーするために、後年、俳優として(これも素晴らしい俳優だけど)暮すことになったのと似ているけれど、ウェルズの場合は、ハリウッドの華やかさの裏にあるどうしようもない保守性や、アメリカンドリームの影にある恐ろしげな暗部といった、アメリカの恥ともいえる理由でそうなってしまったように思えるわけなのだが。
ともあれ、『市民ケーン』一作が残っただけでも、良かったとは思う。観終わった後、しばらく腰が抜けてしまって立ち上がれなかった。『天井桟敷の人々』の時は、30分ほど呆然としていたけれど、今回もそれに近いものがあった。
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