2010年4月10日

ゼロハン時代

ごく稀に、国産バイク各社のサイトをのぞいてみる。目当ては原付のコーナーだ。

本日現在のラインナップは、ホンダがエイプ50、モンキー、クレアスクーピー、ズーマー、ディオ、ディオチェスタ、トゥデイ、ジャイロ(三輪)が2種、カブが3種。
http://www.honda.co.jp/motor-lineup/license/gentsuki/

ヤマハがビーノ2種、ジョグ2種、VOX、GEAR。
http://www.yamaha-motor.jp/mc/index.html

スズキがレッツ5種、アドレス2種、バーディ5種、競技用のDR-Z。
http://www1.suzuki.co.jp/motor/full_line/cap_50.html

そしてカワサキは伝統にのっとって原付は作っていない。細かなバージョンをひとつの車種にまとめるとすると、公道を走れるものが15車種となり、それをタイプで分けると、

スクーター...10車種
カブ系......2車種
三輪車......1車種
その他......2車種

ということになるのだが、この「その他」がモンキーとエイプであって、私の感覚でバイクと呼べるのはこれだけだ。少なくともバイクはまたがって乗るものであって、腰掛けて乗るのはスクーターである。これは明確に分けておかなくてはならない。

ゼロハンバイクは実に気息奄々として、わずかにこの2車種を残して全滅してしまった。今が情けないとはいわない。むしろ、あのゼロハンにとって栄光の時代であった70年代が特殊だったのだろうと思う。ゼロハンが、あれほどの多様性と魅力を勝ち得た時代はなく、もちろん世界でも日本でしかなかった。70年代に日本で少年であった私の世代の、あれらは一瞬の夢でもあったのだ。

思えば、動かない時代である。先日、真ん中の子供が中学校に入るというので自転車を買いに行ったのだが、彼女が選んだそれは、ブリヂストンのアルベルトというものであった。「ほほえみのアルベルト」とは何の関係もない。はずだ。

その自転車は、8歳離れた長女が、中学に入る時に買ったのと同じもので、今回の新車と色が少しちがうくらいで、ほぼ見分けがつかない。いくらベストセラーでも8年間、同じデザインの自転車が一線級として売られているというのは、私の感覚では昔の社会主義国の現象である。

そして原付も、少なくとも私には、ここに挙げたスクーター10車種の見分けがつかない。それはただスクーターというだけのことで、何の変哲もない。80年頃のものとすら見分けがつかないから、こちらは30年も同じ顔をして売られているのだろう。スーパーカブが50年、同じ顔をして売られているのとはちょっとわけがちがうのだ。名前がそれぞれ違うのだからね。

要するに、どうだっていいのだ。メーカーにとってもどうだっていいし、それ以上に、乗り手にとってもどうだっていいのだろう。世の中には、どうだっていいものもたくさんあるが、その中に、原付がくくられてしまっていることを嘆く世代は、またきわめて狭いことだろうと思う。その中核をなすのが、実はセミドロップハンドル世代であることに気づいた。

1960年に生まれた子供がいるとする。彼は10歳で大阪万博を迎えるわけだが、ちょうどその頃、セミドロップハンドルの全盛期でもあった。大卒の初任給にも負けないような値段の自転車があり、それには先端の電子技術を駆使した光が走る方向指示器や、雨の日でも安全というディスクブレーキがついていた。そして、ある程度裕福な家に限られてはいたものの、そんなバブルな自転車は相当数が売れた。

その子が16歳になった1976年に、晴れて原付免許をとったとして、自分が乗るバイクを「どうだっていい」と思うだろうか。絶対にそうは思わない。すでに自転車で、特別なモノを所有する喜びを知った子が、そのグレードアップ版であるはずの原付に、なにがしかの夢を託すのは当たり前のことなのだ。

かくして、1971年に発売になったホンダCB50と、1972年のヤマハGT50を嚆矢とするゼロハン革命(それは原付=カブを打ち壊し、50ccにスポーツバイクを誕生させた大革命だった)は、かつてのセミドロップ世代を乗り手に迎えて、百花繚乱の美しくも華々しい時代を誕生させるわけである。

BikeBros というサイトから、あの頃の名車たちを挙げてみる。自分で乗ったことがあるものだけだから、相当もれてしまうけれど。

ホンダCB50
私が最初に乗った原付がこれだった。74年型だったと思う。高回転型のエンジンで、いつも回転数を上げていないとなかなか走らず、上り坂を速く走るのには技術がいった。あまり長い坂道だと、チンチンと音がしてオーバーヒートもした。燃費は天下一品でリッター50kmくらいだった。

ヤマハRD50
CB50のライバルだったが、走りだけでいうと2ストが利して明らかにRDが上だった。一時、ゼロハン最速といわれたバイク。

ヤマハTY50
私の二台目のバイク。色は黄色だった。トライアル車という設定だったため、ギア比が高く、出足はいいのだが、すぐ頭打ちになってとにかく遅かった。それでも、この低い車体と抜群のスタイリングには、ほれぼれした。

ヤマハMR50
三台目。色は白。エンジンが強力で車格が大きく、サスがよく効いた。出足が良く、最高速も伸び、素晴らしい性能のバイクだったと思う。18の時、これに乗って家出をしたのだが、ある日、国道で父の車に出くわし、やばいと思っていたら、父は笑いながら手を振った。その夜、わびを入れて家に戻った。

ヤマハGT50
友人が乗っていて、時々借りていた。通称ミニトレール。車格も馬力も小さいけれど瞬発力があり、デザインもまとまったいいバイクだった。CBとともに時代を作った歴史的名車。

スズキTS50
ハスラー50。50、80、90、125、250、400とあったハスラー兄弟の末弟で、同ジャンルのGT50より大柄で、後発なだけにあらゆる点で余裕があった。ウイリーも簡単にこなし、これを選ぶ人は通といえた。

ホンダ・ダックス50
カブのエンジンを積んだファニーなバイク。ギアもロータリーだったように思う。近所のお兄さんが持っていて、時々借りて乗っていた。これも、この分野のバイクの創始となっていると思う。

ホンダTL50
友人が1人だけ持っていた。ヤマハTY50と並ぶトライアル車なのだが、非力なバイクでこれでトライアルができるとは思えなかった。スタイリングは抜群で、これほど美しい原付は史上、ほかにないと思う。部屋に飾っておきたいと今でも思う。

スズキOR50
通称・マメタン。1978年とゼロハン時代末期に登場しただけに、反則といえるほどの性能を持っていた。スタイルはアメリカンバイクなのだが、とにかく速くて瞬発力もあり、走りについては80cc並のパフォーマンスだったと思う。

スズキミニクロ50(リンク先はミニクロ75)
ヤマハMRのライバルであり、性能はほぼ互角。非常によくできたバイクだった。私はこれで宮崎=福岡を急いで帰らねばならないハメになり、何時間かかけて、めちゃくちゃな速度で走ったことがある。

ホンダモンキー50
67年発売で現在も作っている長い歴史のあるバイク。スポーツバイク全盛の70年代でもファンが多く、これを80ccに改造して乗るのが流行った。改造車は速いのはいいけれど、音がうるさくてかなわなかった。

ヤマハメイト50
乗ってる乗ってる乗ってる乗ってるヤマハメイトである。今はなき祖父が持っており、時々、借りていた。2ストだけにカブよりもよく走った。寒い冬空の下を、緑色のダウンベストを着て乗っていたことを思い出す。このバイクも今はない。

ホンダスーパーカブ50
昭和の風景といえるバイク。エンジンはとてつもなく古い設計だが、絶対に壊れないエンジンといわれた。ホンダ伝統の4ストの原型のようなエンジン。

土曜日の昼間に授業が終わると、バイクを持っている高校の同級生たちがなんとなく集まってきて、薩摩半島を横断して吹上浜まで走るのが、なんとなくの恒例になっていたことがある。250ccや400ccの大きなバイクもあったけれど、大半は原付で、今、思い出すかぎり、みんなそれぞれ別々のバイクに乗っていた。

一人ひとり顔がちがうようにバイクもちがうのが当たり前で、ほとんどかぶるということがなかった。多い時で20人くらい。あんな楽しみを、今、高校生たちはやっているのだろうか。それとも、バイク禁止とかいう馬鹿げた校則を、本気で守っているのだろうか。あるいは、やっぱりどうだっていいのだろうか...。

ひとつの時代を形づくるものを「世代」と定義すれば、セミドロップ世代は長じてゼロハン世代となり、彼らが大人になった頃に発売されたホンダ・タクト(1980)の登場とともに、ゼロハンの時代も終わった。

どこかにガレージを借りて、あの頃のバイクを5台くらい飼ってみることが、今、小さな夢のひとつに加わったような気がする。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fishing-forum.org/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/977

コメント

うーん、セミドロップハンドルですか、懐かしいなぁ。(^^)

私らは何故か「サイクリング車」って呼んでましたっけ。

ブリジストンのモンテカルロ・・・でしたっけ、憧れました。
友達が、ウィンカーちかちかさせながら、6段変速で、今のオートマティック車の変速機のようなシフトレバーがメッチャクチャ欲しかったです。結局、6年生になった頃に「それらしき」サイクリング車を親に買ってもらいましたが、モンテカルロではなかったですね。^^; その後には、リトラクタブルタイプのヘッドライトの自転車も登場して、トラック野郎の自転車板・・みたいな感じになってましたね。

ただ、私らの高校生時代は既にスクーター世代になってましたね。
逆に、またがるバイクよりスクーターに憧れたものです。少しの間でしたけど。

私は、それっきり2輪バイクには興味を持たなかったですが・・・。^^;

70年代の原付には、なんだか夢と希望があったように思うのですよ。ただ、便利なツールというだけではなくて。車種も多かったので、自分の個性とやらと照らし合わせて、どれが似合うんだろうと、ちょっと服を選ぶような楽しみもあったように思うわけです。

とはいっても、こういう感覚をもっていたのは、非常に狭い世代であったこともわかっております^^;。80年代に入ってから登場した、豪華版水冷バイクを最後の花に、潮が引くようにそういうものがなくなっていきました…。

で、なんとモンテカルロは売りに出ていました。ツインライトだったのですね。
http://www.ss-site.com/8_103.html

モンテカルロ・・・ってこんなんでしたっけ?!^^;

もう少し、豪華な飾り付けのイメージがあったような気が・・・。^^;

年代により、バリエーションが色々とあったのでしょうかねぇ・・。

サルモサラーさん

どうもモンテカルロには、ポルシェタイプとランチャタイプがあったようですね。ランチャタイプは、こんなのみたいです。
http://japgun.hp.infoseek.co.jp/sweetoldbikes/baca-bike6.html

そうそう、これこれ、このカラーです。(^^)

当時は、セミドロップハンドル車を乗ってる子供にとって、レバーで切り替わり、しかも前後ともにギヤチェンジの付いてた18段変速のドロップハンドル車は憧れの存在でした。

サーキットの狼の話題が出てましたが、どちらかというと僕らはその世代かな。(^^)当然、免許も持てない年齢なので、多角形コーナーリングがなんなのかあまり良く理解が出来てなかったと思いますが、ロータスヨーロッパは純粋に欲しい・・・と思ってましたね。(^^)

サルモサラーさん

昭和之雜誌廣告・ナツカシモノ というサイトが、昭和の自転車の広告を集めてらっしゃいました。
http://blogs.yahoo.co.jp/thatseurobeat/folder/238087.html

ヤングウェイ・パルス
http://blogs.yahoo.co.jp/thatseurobeat/34727280.html

ほしかったプジョー
http://blogs.yahoo.co.jp/thatseurobeat/34458029.html

ロータス・ヨーロッパは、知り合いが80万くらいで買ったのですが、振動と騒音が半端でなくて、すぐに手放してしまったそうです。まあ、エンジンに乗って走ってるようなものですしね。

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)