2010年1月12日

祖母死して

祖母が8日に亡くなり、9日は葬儀で鹿児島へ。享年101歳。

葬儀場へ行ってみると、見慣れた大ホールに椅子が並ぶ、あの荘厳なような寂しいような情景とはちがって、広めの和室に祭壇と棺が置かれ、その前で親戚が数人、弁当を使っていた。10数年前に会ったきりの叔父がおり、30数年前に会ったきりの伯父もおり、なんだか葬儀というよりもひさしぶりの新年会のようでもある。

やがて弟の家族が来たり、妹が来たり、ほかに数人で総勢20名ほどの規模。それが棺に向かって正座をし、お経を聞いている。

101歳(満99歳)だから大往生というのでもなかろう。祖母は数年前まで母の家で暮し、こまめに細工ものなど作り、それをひ孫たちにプレゼントしたりもしていた。やがてターミナル医療の施設に入ったが、これも老境にさしかかった母は、毎日そこを訪ねて給食だけでは足りない、刺身だの魚の煮たのだのを差し入れていた。

亡くなる前日まで、いつも通りに食事をし、話をしていたという。そして、食べたくないと言った翌日に死に、正月明けの土曜日に、離ればなれになっていた家族をひとつの場に呼び寄せ、なんとも明るいとすらいえる弔いをさせた。

願わくば花の下にて春死なん・・・。

この西行の歌すら、稚気とか若気の至りと思わせてしまう堂々たる往生。西行が初めて小さく見えた。ひっそりと生き、木が枯れるように死に、その死に際に、ほのぼのとした花を咲かせた。西行の花よりも、それは美しく尊いもののように思える。

この祖母の家は、昔、鹿児島の鴨池で電器屋をやっており、そこへ遊びに行くと、いつも熱いミルクを飲ませてくれた。コップの表面に膜が張っているような、ごく熱いミルクで、その膜をよけながら飲みつつ、商売もののゲルマニウムラジオなどをいじっていたのだった。

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コメント

子供の頃、みんなして遊んだ従兄弟や再従兄弟、いつも実家に
たむろしにきてた叔父さんや叔母さん、甥や姪、近頃の住環境
では同じく全く別々で、殆ど会うこともない。私の実家は本家筋に
あたるのですが、その実家も無くなってしまった今ではホントに
会わない。
そんな環境でも、葬儀では皆顔を合わせば懐かしむことができる
・・・というのは、おかしな話ではあるけども、祖父祖母の葬儀だから
こそであるからだと思います。結婚式ではこうはならないですよね。

前エントリーのお正月のお話と被りますが、お正月にはみーんな
ウチに集まってきて、それはそれは楽しくて、賑やかで、待ち遠し
かったですね。

みんなどうしてるんやろぅ・・・・。

サルモサラーさん

あのお盆と正月の、一族郎党、わいわいにぎやかな空気というのは、
ちょうどわれわれの子供時代が最後だったのでしょうね。
なんか、似た顔ばかり集まるんですよね、親戚だけあって。

鹿児島とか宮崎の場合、そういう場所にきっと流れている匂いがありました。
イモ焼酎の匂いなんですね。
今でこそ慣れて、どうということはありませんが、
子供の頃、あれは鮮烈なものでした。

ワラが乾いたような匂いのする座敷に、イモ焼酎の匂いがまじって、
どことなく非日常というか、小さな祭りのような雰囲気がありました。
そういう輪の真ん中に、年寄りがいて、にこにことしている。
そんな時代が、ここまで急速に失われていくというのは、
ぼくらは子供たちに、何を伝えるのだろうと思いますね。

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