2009年12月 7日

セーム・シュルトについて

なんだってこの人ぁ、またこんなに不人気なんだろうね。というくらいの不人気の帝王がセーム・シュルトである。K1-GPで4度優勝というのは、アーネスト・ホーストと並ぶ1位タイの記録であり、おそらく引退までの間にこの記録が破られる可能性は高そうだ。

要するに・・・と結論を急ぐ前に、古今亭志ん生が著書「なめくじ長屋」に書いていた、落語家における大看板の定義についての文章をひいておく。

大看板てえのは、真打になって何年か経って人気が出てきて、その人の力だけでもって、たとい二十人でも三十人でもお客をよべるようになって、はじめて大看板ということになるんです。つまり「あいつの噺を聞きに行こう」といって、お客がくるようになれば大看板です。

つまり、シュルトは真打は真打にちがいないけれど、シュルト一人の力でもって1万人を集めることも、視聴率20%を稼ぐことも、とても無理だろうから大看板とはいえない。その大看板とはいえない者が、4度もチャンピオンになっちゃって、この始末はどうつけてくれるんでい、というのが、現在、彼を取り巻く状況のひとつである。

不人気の最大の理由は、その体格の大きさと、それに似合わぬ俊敏な動き、およびそれに似合わぬ戦略性の高さ、およびそれに似合わぬ技のキレということになる。動きが俊敏で、戦略性が高く、技が切れ、努力家で、性格も真面目で、この道一筋という真の格闘家であることは間違いないのだが、それらのすべての要素が、「体がでかい」という一事でさかしまにひっくり返ってしまうというのは、一種の差別ではあろう。

それは理屈の上ではそうなのだが、格闘技をプロとしてやっている以上、お客の反応がすべてであることは、志ん生の定義の通りである。さらにちと長くなるが、志ん生の相撲についての記述を引く。

こんなことをいうと、ヤリが出るかも知れないけれども、相撲てえものはいわば裸踊りみたいなもんです。(...中略)パーンと投げとばす格好をみて、客は手をたたいて喜ぶ。土俵の外へ押しだしたりするのは、あんまりおもしろいもんじゃない。寄身なんてえのは、相撲としちゃ大事なんだろうけれども、やっぱり勝つんならきれいな上手投げだとか、すくい投げだとか、やぐらだとかをやって、客をよろこばせなくちゃ、おもしろ味がないんですよ。(...中略)自分が勝つためにばかりやるんじゃなくて客をよろこばせるもんですよ。木戸銭をとってやるんですからね。

2年ほど前、K1において首相撲からのひざ蹴りの連打が禁止になったのは、もちろんシュルト対策であったのだが、それはシュルトを勝たせまいとするというよりも、シュルトのつまらなさから客を救う意図があったように思える。

あの背の高さで首をつかまえられて、空手仕込みのひざ蹴りを何発も入れていれば、そのうち、きっといいのが入って相手はどさりと倒れてしまうわけで、そうなると打撃競技としての面白さはなくなる。ひざ蹴りを食らう相手よりも、そんなものを観なくてはならない客の救済策であった。

ほかにもシュルトには「感心しない技」「客の方が痛い技」がいくつかあった。たとえばクリンチ状態になった離れ際に、相手の大腿部の外側にヒザをこつこつ入れていくなどは、もう技として見苦しさの極致だったし、あの体の寸法でもって前蹴りなどといったディフェンシブな技を(しかも世界一といっていいほどの巧みさで)ちょこちょこ当てていくなぞは、見られた図ではない。さらに悪いことに、その前蹴りが時に必殺の一撃となって相手のレバーをえぐったりするのである。

そして、あの左ストレート。右構えの選手にとって左フックは必殺技になるけれど、左ストレートが必殺技になることは、ほぼ絶対にない。人間の体の構造としてそうなっているのだが、シュルトの場合、実にしばしば、その左で相手を倒してしまう。

それは体格の大きさから、思ったよりも伸びて相手をとらえてしまうということもあるのだが、もともとシュルトは左利きなのだ。その強い左を生かすために、サウスポーではなくオーソドックスに構えて、自分がリスクを冒すことなく(利き腕のストレートを打つには勇気がいる。打ち終わりががら空きになるからだ)、万全のディフェンスを保ったまま、ストレート級のジャブを繰り出していくなぞという高度な戦略性が、てめえこのやろう、いい加減にしろよ、ということにもなる。

普通の人よりディフェンシブに戦いながらも、なお普通の人を上回る攻撃力を発揮するバランスを見つけ、そのための技と戦術を磨き、とにかく強くなること、負けないこと、次の試合に勝つことに全力を注いできた彼は、今、勝つために自分が何をすべきかを、もっとも深く知っている選手である。しかし、その戦略性、頭の良さ、磨かれた技のすべてが、彼の不人気につながっているというジレンマ。

プロであるからには勝たなくてはならないのだが、勝てばいいというのではアマチュアである。それを乗り越えてはじめて大看板ということになるのだが、今日現在でいうと、K1の大看板の筆頭はバダ・ハリであり、次にアリスター・オーフレイムであり、次いでピーター・アーツであり、シュルトはそのはるか下の方に位置している。そして、その彼が記録の上ではもっとも偉大な4タイムスチャンピオンなのだ。

この始末は、ほんとにどうつけるのでしょうかねと頭を抱えつつ、世界のK1ファンはバダ・ハリやエロール・ジマーマンの台頭およびシュルトの改心もしくは引退を願っているわけである。憎らしいほど強くてカタキ役にでもなってくれればいいのだけど、真面目で誠実な性格であることは、誰にも伝わるもんだから、不人気ではあるけれどカタキ役になることもない。ほんとに困った人なのであった。

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コメント

まあねぇ・・・、確かに圧倒的な体格差・・で勝ってるとしかみえない
から面白みがないと言えばそうなりますよねぇ。^^;
逆に、あの体格であの素早い動きは奇跡なのかもしれないのだけど
どうしてもワザの美しさとか、派手さ、加えて容姿・・・がその判断に
されるわけでしょうから、可哀相ですけどねぇ・・。ヒールにもなれないし。

先日のは、バダ・ハリが勝つと思ったんだけどなぁ・・。^^;

サルモサラーさん

あの決勝の雰囲気は、もう誰もがバダ・ハリが勝って
新しい時代が来るんだという感じでしたね。
それを覆したのが、前手の左ストレートですから、
現場で見ていた人は、たぶん何が起こったのかという…。

試合後のコメントも、「次はもっと短い時間でトーナメントを制したい」
というもので、誰もそんなこと望んでないのですけどね^^;。

213cm、136kgが、190cm、100kgと同じように精進するんだから、
強いはずですけど…。

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