2009年12月 6日

バダ・ハリの革命

今年のK1-GPは、まれに見る面白い大会となった。準々決勝4試合、準決勝2試合、決勝1試合の計7試合のうち、実に6試合が1RKOで決まるというのは、あきらかにファイターたちの戦い方や意識が変わったということだろう。

戦略的にはトーナメントだから、なるべくダメージを残さずに勝ち上がるために早期決着を望んだということもいえるのだろうけれど、それだけではない。アリスター・オーフレイムや川尻達也といった総合の選手がK1ファイターを倒した、あの最初からエンジン全開の戦い方が下敷きになった、あるいはひとつの方向性を示したように思える。

それは、よりリスクを負うようになったともいうことで、実際、決勝で負けはしたものの、この大会はバダ・ハリの大会として記憶されることになるはずだ。彼は、ほかの誰よりもリスクをとり、KO勝ちかKO負けかという勝負を全試合でゴングが鳴った瞬間から仕掛けていった。また、その空気が大会前から他の選手たちに感染していったように思えた。

超不人気のセーム・シュルトがV4を達成したことで(そのシュルトにバダ・ハリが倒されたことで)、興業としては大団円とはならなかったものの、K1の意識改革の象徴としてバダ・ハリは今後、K1の中心であり続けていくことと思う。

その意味では、アリスターがいうように、K1は簡単な競技になったのかもしれない。簡単というよりも、倒すか倒されるかの誰にでもわかりやすい競技。だから戦略的な深みには欠けるかもしれないけれど、再び多くの人をひきつけるものになっていく可能性がある。

ここ7~8年の王者であるレミー・ボンヤスキーやセーム・シュルトは、その対極にあるような、負けない試合をする選手たちだったが、セームは負けを重ねたことでむしろ選手として見どころが増し(彼の面白い試合は負けた試合だけだというのは皮肉だが)、ボンヤスキーも、ファンが何を求めているかという今年のトレンドを無視することはできないと思う。

しかし、そうなると「強さ」とは一体なんだろうということになる。バダ・ハリVSルスラン・カラエフの試合が象徴的だったが、結果は結果として、どちらが倒し、倒されてもおかしくない試合だった。それは試合として面白いことは確かだけれど、全員がリスクをとってフルスイングで殴り合いを始めれば、そこには運の要素が入り込みすぎはしないだろうか。

一瞬の間に、何発ものパンチが錯綜し、その一発がかすっただけでも、そのままダウンにつながるとすれば、またシュルトの左ストレートのように、ジャブかと思ったものが、ほんの少し鋭く伸びたことで、大会の華であったハリをたちまち戦闘不能の状態に追い込んでしまうとすれば、観ている側は、そのパンチの意味を汲み取ることもできない。

一発のパンチや蹴りという、わずかな瞬間に起こる出来事を多くの人が注視し、そこに何らかの意味を見いだそうとするのが格闘技というイベントなのだから、倒したという結果、勝ったという結果だけ提示されても、困ってしまうのだ。

アーツやホーストのように、勝ち続けながら、なおかつ強さも示し、かつ試合が面白く、人気も高かった選手たちと、現代のシュルト、ハリ、レミーの間にある差は、そう簡単に埋まることはなさそうに思う。それでも、ここ数年のつまらなさにバダ・ハリが革命を起こした大会だったとはいえるけれど。

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