2007年11月28日

久留米のこと

久留米を離れてから15年くらい経つけれど、時々、20歳頃から5年ほど住んでいたアパートに自分がいる夢を見ることがある。それは久留米市千本杉というところにある国道沿いの小さな鉄筋のビルで、1階は焼鳥屋、2階から4階がワンフロアに1Kの部屋が二つずつあるという、小さな小さなアパートだった。

ぼくの住んでいた部屋は、元はなんとか株式会社の久留米出張所というものだったらしくて、ドアには事務所によくあるように曇りガラスが張ってあり、入居したばかりの頃は、その曇りガラスに「なんとか株式会社」というシールが残っていた。そのコンクリの床に、板を張り、カーペットを敷き、内装も適当にやり変えて「さあ、お住みなさい」というようなものだった。

国道沿いだから、ぶんぶん車が走り、通りの向こう側は消防署なので、毎日正午になると破壊的な音響でサイレンが鳴る。どんなに夜更かしをしていても、正午になるとその音で飛び起きねばならなかった。これも恐ろしいもので、やがて慣れてしまったけれど。

その部屋にいる夢の中のぼくは、そこがすでに他人の部屋であることはわかっていて、まじいなあ、誰か帰ってきたら、どうしようかなあ。なんてことを考えていたりする。そのあてどなさや不安は、部屋のアルジとして暮していた頃も似たようなものだった。

大体、すぐに電気が止る。次にガスが止る。最終的には水道が止る。久留米市水道局はなかなか人道的な組織であって、多少、入金が遅れたくらいでは水を止めたりしないのだけど、やはり限度というものがあって、ある日、部屋に帰ってくると水が出なくなっている。

こちらは、そのくらいでは驚かない。そもそも、水が止るということは、すでに経済的にはとっくに破綻しているわけであって、世の中、親切な人が多いから水くらいは、もらいに行けば分けてももらえる。困るのは電気で、これは分けてくれないし、家に持って帰ることもできない。

生活が傾き始めて、ある日、ふと電気が止るとどうなるか。昼間はなんということもないのだが、日が落ちて夜ともなると、本も読めないので、すぐに寝なくてはならない。電気のない夜は、とてつもなく長い。ガスや水道が止らなくても、電気が止った時点で、暮らしがなんだか野外でキャンプをしているような雰囲気になってくる。

煙草を喫っても、お酒を飲んでも、面白くもなんともない。ギターを弾いて歌など歌ったところで、真っ暗なのだから、まあ、ばかみたいなものなのだ。そんな夜を、どのように過ごしていたのか、もうぼくには記憶がない。さほどコタエていなかったということなのだろう。あの頃は、そういう意味では強かった。

そんな七転八倒の青春時代を過ごした千本杉のアパートの、すぐ脇の交差点で、今夜、暴力団の抗争事件があり、二人が死んだ。宮崎でこんなことがあれば、あっと驚くのだけど、久留米のことであれば、それほどでもない。久留米時代、友だちが乗っていたバスに拳銃の流れ弾が当ったことがあったし、時々、買い物に行っていたスーパーや、なじみのパチンコ屋で銃撃事件や刺殺事件もあった。知り合いの喫茶店に、シャブ中男が籠城して、マスターが殴られたこともある。

ぼく自身にしても、会社から深夜に帰ってきて、アパートの階段を昇ろうとしたところで、頭のおかしな見知らぬ男に追っかけられ、いきなり殴られたことがある。これは暴力団とは関係ないのだろうけど、おかしいといえばおかしな話だ。

久留米という町は、豊かな筑後平野が広がり、商業も早くから発展して、一時は軍都でもあり、昔から豊かなところだった。画家の人口密度は日本一ではないかというほど画家が多く、いわば、田舎にしては、それほどまっとうでない稼ぎ方で生きる者をも許容する深さもある。その流れで、芸能人も多い。そして商いをやろうとすると、日本一むずかしいといわれるえげつなさもある。

どこか、やはり普通とはちがう町なのだ。今日、テレビで陣内孝則と坂口憲二が語っているシーンを見て、久留米のことを思い出した。二人ともきれいな標準語だったけれど、その気になれば、筑後弁で盛り上がりもするのだろう。

ぼくは、なんとなく、あのアパートのことを思っている。

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