2006年9月21日

事故のこと

自転車で散歩中に転倒したのは8月9日のこと。事故の状況について、いろんな人に何度も問われたのだが、ただ滑ったというしかなくて、自分でもよくわからない。15分ほど走って、脚があたたまってきたので、さあそろそろ帰ろうかと、ぐっと踏み出して3、4回漕いだところで体が宙に浮いた。メニエールのめまいが出た可能性もあるのだが、わからない。感覚としては、滑ったとしかいいようがない。

立つこともできないので、道ばたまでにじり寄り、かんかん照りのアスファルトに座り込んで携帯で妻に電話。救急車を呼んでもらい、近くの病院へ。レントゲンの結果、鎖骨の骨折、肋骨にたぶんひび。頭部MRIも撮ることになったのだが、ベッドに横たわることができず(これができるようになるまで2週間ほどかかった。今でも右に寝返りはうてない)、MRIは見送り。

この善仁会病院は、なかなか患者を入院させないので有名な病院らしく、そのまま家に帰されたのだが、肋骨がひどい痛みで寝ることも起き上がることもできず、布団を積み上げておいて、そこにもたれてうなっていた。これではいかんと介護用の電動ベッドをレンタル。1時間寝ては痛みで起き、数分間うなることの繰り返し。汗と涙がにじむほどの痛み。それが朝から晩まで続く。晩から朝までも続く。

病院へは一日おいて行くことになっていたのだが、あまりの痛みに翌日、県立病院へ。そこでのレントゲンでは、鎖骨骨折、肋骨には2本ひび、さらに腸骨にも変形が見られ、骨折といっていい状態とのこと。入院するなら、すぐに部屋を準備するといわれたのだが、次の日に善仁会病院に予約があったのでいったん帰宅。

翌日、病院の待合室にいると、急に寒気がして20分ほどの間に、みるみる手足が冷たくなり、ふるえ始める。毛布を2枚持ってきてもらってくるまっていると、看護婦がきて検温。40度あった。そして右手が肩から指先までドラえもんのようにむくんで腫れている。手のひらのしわも見えない。

診断は肺炎。胸を打った時に肺が傷ついたのかもしれないとのこと。全身の兆候から、脂肪塞栓の可能性ありということで胸部MRI。胸が痛くてわめきつつMRIのベッドに横たわる。聞けば、外傷の際に希に血管に脂肪のかたまりができ、それがめぐって脳梗塞や心筋梗塞を起こすことがあるとかで、そういう感じがあると脅かされる。えらいことになってきた。そのまま入院。

入院時にもらったペーパーには、「外傷性のため全身状態が急変する可能性あり」とか「疼痛コントロールに努める」とか、ぶっそうなことが書いてあった。とにかく肺炎を治さないとということで、最初の主治医は内科医。24時間の点滴と酸素吸入が始まる。腸骨のせいか右足もうまく動かないことがわかったので、院内の移動は車椅子。

肺炎は痰を出すのが患者のツトメなのだが、咳をするたびに「ぎゃおー」と叫ぶほど胸が痛い。肋骨が折れているのに、咳が出るのだからたまらないのだが、幸い、熱も下がってきて肺炎は8日目には治癒。しかし、その1週間の痛みは未経験のものだった。夜、起きて苦しむものだから、妻は病室の床に泊まり込んでいた。

仕事の段取りその他、いろいろ勘案した結果、鎖骨は手術することに決める。鎖骨は原則、手術しなくてもよいという考えの医者も多いそうなのだが、ぼくの場合、折れた骨同士がものすごく離れており、「このくらいなら手術してもいいかな」とのこと。怪我の後、2週間が手術のタイムリミットということで、ぎりぎり間に合った。

8月24日、手術。前夜、深刻な顔をした麻酔医が部屋へやってきて、翌日の麻酔の説明をする。痛みがなるべく少ないように全身麻酔と神経ブロックを併用するとのこと。全身麻酔だと覚めてからいきなり痛いが、神経ブロックを併用すると覚醒後も数時間は効いているらしい。どっちにしても痛いんじゃないか。

午前9時すぎ、ベッドに乗せられて部屋を出て手術室へ。なんか薄緑色の部屋に、人がわらわらいる。名前と生年月日を問われて、麻酔のマスク。右肩の神経にさわる処置をごそごそする感覚があって、気づいたら猛烈な痛みと息苦しさの中にいた。もう自分の部屋だ。これから手術します、くらいのことは言ってくれ。覚悟もないままに意識を失ったじゃないか。

息苦しいので酸素マスクをとれと何度も要求する。しまいに自分でとる。看護婦がまたつける。また自分でとって「酸素は鼻からにしてくれ」と言い、その通りにしてもらう。痛い。5分か10分かわからないけど、目の前が白くなるような痛み。「術後24時間は痛い」と聞いていたが、これが24時間続くのなら殺してくれという人もいるにちがいない。ぼくも覚醒状態で痛みの真ん中に24時間いたら、もたないかもしれない。

幸い、そのまま気を失うように眠りに入る。夕方まで寝ていた。福山さんが来られたという声が、はるか遠くからするのだが、目をあけることもできなかった。まだ麻酔が効いていたのだろう。そしてすぐにまた眠りに入り、午後9時頃起きると、またもや深刻な顔をした麻酔医が来て「少しは眠れましたか」という。ずっと寝ていた。「それはよかった。鎖骨は特に痛いですから」。聞いてないぞ。

術後のめちゃくちゃな痛みの中で、わが痛みについて考えていた。「これは、激痛などという言葉ではだめだ。もっと何か適切な言葉が必要だ」。そこで、『ぎゃお痛(いた)』という言葉を発明する。ぎゃおーとわめくほど痛い。ぎゃおいた貞雄だ。ぎゃおいたさんの採点では、というやつだ。おかしいのだが、胸が痛くて笑えない。

それから、数度、痛みで起きる程度で、また朝まで寝ていた。一番痛いという「術後24時間」のほとんどを、眠って過ごしていられたのはラッキーだった。目覚めて看護婦に『ぎゃおいた』を説明するが、あまり受けなかった。

今回、いろいろとラッキーなことが重なった。まず、あれだけ強く全身を打っていながら、頭部をさほど強打していなかった。胸や肩を打った勢いで頭を打っていたら、どうなっていたのだろう。それから、入院した病院が自宅のすぐそばで、しかも巨大ショッピングモールに隣接しており、妻らの負担が最小限であったこと。幸い、個室があいていたこと。体の回復と仕事の締切りが(1週間遅れはしたものの)、ぎりぎり間に合ったこと。心配された脂肪塞栓が大丈夫だったこと。それに何より、こんな目にあったのが自分であったこと。自分だから気は楽だ。家の、ほかの者だったりしたら、たまらなかった。ついていた。

皆さま。何かとご心配をおかけしました。わざわざお見舞いをいただきながら、息が切れて病室ではろくに話もできずに申し訳ありませんでした。

Special Thanks.

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fishing-forum.org/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/974

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)