猫がきた
二人の小さな娘が、それぞれ子猫を二匹ずつ抱えて、わが家の玄関先に立っていたとしたら、たいていの親はたちくらみがするにちがいない。
その4匹の子猫は、最初は5匹で近くの道路脇に捨てられていたのだが、情け深い一人の男の子が「なんとかしてみる」といって一匹を抱いて帰った。
残りの4匹をわが家の二人を含めた4人の女の子で抱いてきたのだが、時も夕暮れとなる頃には、ふと現実に立ち返ったものか「うちは無理みたいだから。じゃね」ということで、うちの子がそれぞれ両脇に二匹を抱いて玄関先に立っていたと、そういうわけである。
子供ながらに途方に暮れているのがわかるし、しかしもしかすると希望もあるかもしれないという顔もしているわけで、こういう時、親というのは実にさまざまなことをいっぺんに考える。
まず、「うちに入れてはいけないよ」という、その理由を考えた。うちには野良から成り上がった猫がすでに一匹いる。来客も多い家なので、うちを猫屋敷にするわけにはいかない。いや、しかし、そんな理由が子供に通用するのだろうか。病気をもってるかもしれないから、というのもかわいそうだ。
5匹のうち、1匹は助かりそうだから、まあ自然界の勘定としては合う。「生き物はね、生まれても全部は生きられないんだよ。そうでないと、世の中猫だらけになるでしょう。1匹もらっていかれたから、まあいいよね」と言ってはみたものの、態度としては卑怯である。責任をとる気がないやつにかぎって、一般論でごまかそうとするものだ。つまり、この場合、おれのことだ。
それにしても、どこの馬鹿がこんなことをするのだ。という怒りもわき上がってきた。猫を捨てるようなやつは、子供や親だって捨てるだろう。道路脇や釣り場にゴミを捨てるのも、きっとこんなやつなのだ。ここで人間には二種類いることに気づく。親と子供と猫とゴミを捨てる人間と、そうでない人間だ。
うちの子をそんな人間にしてはいけない。同じ大人がやったことだから、口でいろいろ理屈をつけてないで、前向きな行動というものを示してなんとかフォローしておかないと、大人を信じない子供になるのではないか。
やっかいごとというのは、こうやって突如として起きるのだ。
まったくやっかいなことが持ち上がってしまった。
実は2か月ほど前、いつもの朝風呂に入っていたら、「下の娘が猫を一匹拾ってくる」というイメージがわいてきたので、その旨、オクサンには伝えてあった。「たぶん、そのうち拾ってくるぜ」と。ぼくには、時々このような天の啓示があるのだが、まさか4匹も拾ってくるとは思わなかった。
あたりはすっかり暗くなり、自室でパソコンに向かっていたら、階下で子供の泣き声がした。オクサンが「もとのところに返してきなさい」と伝える汚れ仕事を引き受けてくれていたのだ。
しばらくして帰ってきた気配があったので、そっと様子をうかがってみると(まったくわれながら卑怯な態度だ)、顔に涙のあとはあるものの、わりあい平気な顔をしてテレビを観ている。
よしよし。
というわけにはいかないことに気づく。このまま、水も餌も与えられずに生後1月ほどの子猫が、夜露の段ボールの中でもつのだろうか。今日はもつとして、明日の夜はたぶん雨になる。あさっての朝には、おそらく全員はかなくなっちまってるにちがいない。
それを知った時、子供は何を思うのだろうかと考えた。考えた時には決めていた。もう仕方がない。
「1匹飼ってやる。うちに連れてきなさい」と号令を発し、喜びいさんで子供たちが現場に向かうのを見ながら、カメラマンの深澤猛志君に電話する。
「すまないが、猫いらないか。」
「なんです」
「近所に5匹捨ててあって、今4匹だ。1匹はうちで飼おうと思う。君、1匹なんとかならないか」
「残りはどうするんです」
「......。」
「とりあえず、全部連れて帰って玄関にでも置いといてください。すぐ行きますから」
「飼ってくれるのか」
「一応、一人立ちできるくらいまでにはしますから。あとは餌だけはやるようにします」
男の器量というのは、こういう時に出るものだ。この即断と即決は、よほどのことでないと備わるものではない。男は、いざという時だけがんばればいいのではない。子猫をどうするか、などという場合にこそ、本質がのぞいてしまうのだ。
どの猫を飼うかという段になって二人の娘の意見が割れ、結局、二匹を飼ってみることにした。おそらく長男として生まれた黒白のやつと、おそらく次女として生まれた三毛だ。こいつは、後頭部が黒と茶のツートンになっているところが、先任の野良上がり猫と生き写しであったことから、何かの縁ということで選ばれた。猫も何が幸いするかわからない。
深澤君は、残りの二匹を連れて帰り、今頃はようやくよちよち歩きをするくらいでしかないそいつらに、ミルクでも与えているのだろう。1か月か2か月は、そうやって目の離せない日々が続くにちがいない。
しかし、子供たちはいつか知るだろう。ほんとうにだめな大人がどんなやつで、ほんとうに立派な大人が、どんな人であるのかを。
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