2005年8月15日

郵政民営化

大変お世話になっている方に郵政関係の方も多く、親しい国会議員に反対派もおられて心苦しいのだけれど、今回選挙は生まれて初めて義理人情なしで自民党支持とした。

理由はひとつ。民主党では郵政民営化はできそうにないからということ。もともと、この大改革は民主党こそ賛成に回るべきで、それが支持団体の全逓の存在を無視できずに反対に回ってしまうのなら、同じく支持団体の特定郵便局長会の存在を押し切ってしまった自民党の勝ちだろうともいえる。腹のすわり方がちがうということ。

300兆円を超す郵貯や簡保が、国家保証によって集められ、それが財政投融資に回る。目先のことをいえば、宮崎のような地方では、例の高速道路の切り捨ての時と同じように、地方ばかりが遅れた状況を押しつけられるように見えるし、もちろん郵便サービスの低下、弱い立場(といわれる)人たちの預金保護、財政投融資による公共事業の確保などの点で、郵政民営化は逆目ばかりのようにみえる。

たしかに短期的にはいいことはひとつもない。まして、先の高速道路の恨みもある。いったい、この時代に高速道路の恩恵を受けられない地域が、県土の半分もある県がどこかにあるのだろうか。宮崎市から延岡市まで2時間以上も下道を走り、そこから大分市まで、また3時間もかかるなどといって、誰が信じるだろう。こちらの県庁所在地から、隣県の県庁所在地まで5時間もかかるのだ。1950年代なら普通のことだっただろう。だが、今は2005年だ。

国鉄民営化も同様で、JRになって効率化を追求した結果、延岡=佐伯間の普通列車は日に2本しかない。つまり特急が停車しない沿線の住民に与えられた鉄道の便は、午前6時代と午後4時代の2本だけということだ。こういう生活基盤整備において、人のよい宮崎県民は、これまで置き去りにされてきた。

だが、一方で、民間はこの15年近く、金融をはじめ全産業でリストラに耐えてきた。それは何のためだったのか。ここまで財政赤字がふくらみ、国民への借金を抱えている以上、この300兆円のお金から派生する権益を手放して、金融の流れを公正に、スムーズにするのは国に奉じる者の義務だろうと思う。日本は社会主義国家ではないのだ。

焦点は郵便サービスの低下とか、公務員を減らすとか減らさないとかいうことではない。また、田中角栄VS福田赳夫の怨念というようなゴシップの話でもない。この300兆円のお金の流れをどうするかなのだ。これによって民へお金が流れ、金融が立ち直り、設備投資が増え、地価が上がり、企業は含み益が向上し、株価も上がり、資金にゆとりが出て雇用も改善する。国は野放図な国債発行や財政投融資に歯止めをかけ、官政癒着を脱して小さな政府を実現する、というシナリオに向かわなくてはならない。そのために、これまで民間は耐えてきたのだから。

自民党内の反対派は、いわゆる「政局」だろうから、それなりに説明もつくが(この法案を政局にしてしまうことが腹立たしいことにはちがいないにしても)、野党の反対理由、特に民主党のそれはまるでわからない。政権交代は一度は必要と考えているところだが、今回のような対応をしてしまっては民主党が何をやろうとしているのか見えてこない。郵政改革以上の抜本的な改革があるのだろうか。是々非々という言葉は、こういう時のためにあるのではなかったのか。

財政投融資の財源に手を突っ込むというのは、命がいくつあっても足らない勇断だった。民主党は、この法案だけはノーサイドとして、民営化後の国家構想の部分で自民党としのぎを削る展開もあっただろう。組織選挙と調整主義で成り立っている自民党は小泉退陣後、次の政治モデルが見えてくるまでしばらく迷走は必至。その先のチャンスはいくらでもあったはずなのだが。

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