清武川で遊ぶこと
子供を連れて隣町を流れる清武川へ。ここも、さほど大きからぬ川に上流には発電所とダムがあり、途中、2箇所も堰堤があり、ここ10年であっけないほど浅くもなり、瀬のいいところがコンクリで埋められと、ひどい暴力にさいなまれている川なのだけれど、ピンポイント的に生きている部分もある。そういうところを探して遊ぶしかない。水質は、まあ顔くらい洗ってもいいかなという感じで、悪くはない。
川原は、人の頭からこぶしくらいの石が並ぶが、川の中は砂地が多い。もちろんダムのせいである。手前が浅く、対岸に向かって少しずつ深くなり、へちはちょっと落ち込んで青い。ところどころに石が固まっているところがあり、これはと思ってのぞきこむが、どうもアユが食んでいそうな形跡はない。それなりの川だと思うし、稚鮎は間違いなく遡っているはずなのだが、アユの姿は確認できなかった。堰堤のせいなのか、もっと別の理由なのかはわからない。
子供は、ぬるい水がたまっている岸辺近くで網を振り回して、ごく微小な魚を採ってはバケツに放り込み、どんどん死なす。たぶんハエかなんかの子供だろう。かわいそうだが、仕方がない。こういうものだ。
ぼくは、お魚キラーという物騒な名前の籠網に、コマセ団子と石をつめ、半ズボンのすそをたくし上げながら沖へ進み、長年の経験によって割り出したベストポイントへそいつを沈める。こうやって川に入るのはいつ以来だったろう。楽しい。アユ釣りって、ただ川に入って楽しいからやってたんだと思う。もちろん清くて健全な川に。
足元に見るみるハエが寄ってきた。大半は小さくて、数も驚くほどではないにしても、やはりうれしい。川がどうにか生きている。釣ってみてやろうかなという気にもなる。無理して遠くへ行ってアユ釣りを試み、この魚を取り巻く悲惨な状況に重たい気分になって帰ってくるくらいなら、この川でハエと遊んで暮らした方が幸せかもしれないと思う。
下流の方には、ハエの毛鉤釣りをしている人と、ウナギポッポを持ってうろうろしている人がいた。なるほど、この川のウナギはうまいだろう。25万円の竿、タイツにオトリ缶、曳き舟、10m4500円の糸。一夏10000円の入漁料。やれ背鉤、それイナズマ、大きいの、小さいの、チャラだのトロだの激流だのといったこだわり。そして仕事も何も放って駆けつけた夏の川。そうしたものたちが、何か終わった恋のように霧の彼方へまぎれてしまっていることに気づく。
梅雨明け十日。この鮎師にとってもっとも美しい季節に。
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