映画>マスター・アンド・コマンダー
『マスター・アンド・コマンダー(ピーター・ウィアー監督 2003)』。ホーンブロワー禁断症になっている時に、オクサンがタイミングよく借りてきてくれたので、すぐに観た。次に読もうと思っていた『ジャック・オーブリー・シリーズ』の映画化だ。
19世紀初頭、ナポレオン率いる世界最強のフランス陸軍と、世界最強のイギリス海軍が対立していた時代。ちょうどホーンブロワーが活躍していた頃の、それもフリゲート艦同士の戦いを描くわけだから、まともにかぶる。
船内のしつらえ、点鐘の響き、複雑な帆関係、士官と水兵たち。想像をふくらませながら読み進めていたホーンブロワーのディテールが、かなり細かく描き込まれているだけでも観る価値があった。やっぱり映画はディテールなんだ。
マスター・アンド・コマンダーとは、ホーンブロワーの受け売りでいえばマスター(航海長)を兼ねるコマンダー(海尉艦長)のことで、勅任艦長(キャプテン)とは分けられる。ただ、座乗艦がフリゲート艦だし、航海長もちゃんといたから、ちょっと違うんじゃないか。単純に英国国王、ナポレオン、あるいは神と一人の艦長、という意をかけているのかもしれない。
ミズン・トプスルだとか、裏帆を打たせろ、だとか、ホーンブロワーでおなじみのフレーズはほとんど出てこない。帆船の場合、船を操ることそのものがひとつの戦いであるところまでは、十分に描ききれなかったのかもしれない。そう考えると、操船だけでスペクタクルを提示してしまうフォレスターはすごい。
それから、艦長という絶対権力者が妙にフランクに描かれていたのも、ちょっと気になった。その分、艦長の孤独感が薄れてしまうからで、ホーンブロワーのひとつの主題も、一人の男の孤独感にあることにも気づく。まあ、艦長によって艦の雰囲気がちがうといえばそれまで。
それにしても士官候補生たち、若かったのだな。まだ声変わりもしていないような少年が、いっぱしに命を張る。ヤング・ジェントルメンか。士分にある者がやせ我慢をするのは、日本と同じだな。ぼくとしては、大変面白い映画でした。
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