橋本真也とコリノ
TVではハッスルもゼロワンもなかなか観られないので、ここ数年、橋本の試合はあまり記憶になかった。その中で、強く印象に残っているのは、2001年10月、フロリダ州のどこやらの町でスティーブ・コリノとか称する細身のお兄ちゃんが保持していたNWA世界ヘビー級タイトルに挑戦した試合。
なんか北沢タウンホールより大きいか、小さいか、といったくらいの田舎の小会場で、すでにその時点で十分にうさんくさいタイトルだったNWAチャンピオンとして、スティーブ・コリノが登場してきた。もうTVで見ているだけで、「うちの町にプロレスが来ただ」といった大相撲の巡業的果てしなく弛緩した空気、幸福感といっていい会場の空気
を感じられた。
ところが、その多幸感に満ちた近所の縁日的空間を、橋本が壊してしまうわけである。ブックもアングルもへったくれもない。というか、あるんだろうけど、それがあったにしてもプロレスはプロレスとしてすさまじいことが起こり得る、といった試合だった。試合開始から「おら!」というかけ声とともに、橋本の重爆キックがどかどか炸裂する。倒れたら倒れたで、昔のプロレス用語でいえば『非情なストンピング』の嵐。これだけ体格差があると、ストンピングがまともに効いてしまう。
とにかく、殴って蹴って、殴って蹴って、殴って蹴って、コリノはコメカミから大流血。レフェリーストップで終わらせないとどうにもならない、という試合だった。
最初は、気楽なエンタテイメントとしてのアメリカンプロレス、といったものを楽しむつもりで会場にやってきていた観客たちも、試合が進むごとにざわめき始め、やがて沈黙が支配してきた。むごい。あんまりだ。そこまでやらなくても。という反応。ぼくもTVで見ていて同じように思っていた。アウエーでやるなら、向こうの「わが町のヒーロー」をつぶしてしまわなくてもいいじゃないか。コリノにだって人生もあれば友人も恋人もいるはずじゃないか。その町で「次」の展開が見えない中で、ただつぶすだけのようなことをやらなくてもいいじゃないかと。
その後、NWA会長を含めた古典的田舎芝居的展開がしばらく続いた後、コリノは橋本が主宰するゼロワンの常連ガイジンとして来日を重ね、それなりにリングを彩りを添える、いい味をもったレスラーとして日本でも愛されるようになった。
そうなってみると、ふと思うわけである。コリノはあの日、タイトルを失うというブックを飲むだけでなく、あのヘビー級というにはあまりに薄い胸板で(当時のコリノは、ほんとにそこらを歩いてる普通の人くらいの体格だった)、橋本の重爆キックをとことん受けてやろうじゃないのさと決意し、橋本の前に五体を差し出したんじゃないかと。
そして橋本は、そんなコリノに十分なお返しをする気になった。お前、日本に来いや。NWAとゼロワンで絡むから出番を作ってやるからよ。会長とはおれが話しておくから。なんて話ではなかったのかと。いやもう、プロレス的にはそれ以外にないのだけど、たしかにコリノはあの日、男を上げた。そして、日本でのささやかなサクセスストーリーにつながっていく。
こういう展開には、橋本真也というのはよく似合う男だったことをあらためて思う。小川直也との友情がいつどこで芽生えたのかという謎とともに、小川との第三戦が、なぜあのように凄惨な展開にならなくてはならなかったのかというプロレス史上最大といっていい謎も残して、橋本は去ってしまった。
トンパチ一筋に見えた橋本だったけれど、その残した足跡は案外と深い。コリノの喪失感も大きなものがあるんだろうと思う。
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