2005年5月27日

映画について

人は生きていくさなかに、いろんな方面に根っこや枝葉を伸ばしていくものだけれど、ぼくの場合、美術と映画がまったく抜け落ちているのは、早くから自覚していた。

美術は、もうしょうがない。以前、ネコを描いたらワニになってしまい、この方面の才能がまったくないことに気づいた。久留米時代、現代美術の作家たちに何人か知り合いができて、「どうもぼくの空間の感覚は変なんですよねえ」と相談したら、「それは単にちゃんと観てないからじゃない」といわれたのだが、そうじゃない。目と手が別人28号なのだ。方向音痴とも関係があるにちがいない。

映画は、18歳までに観て、そこそこ記憶しているのは20作もないと思う。映画館に観に行ったのは、それまでの人生で4作だけだ。これは覚えている。『101匹わんちゃん大行進』『サイボーグ009』『1941』『太陽を盗んだ男』で、これがすべてだ。珍しいほどに映画を観ないまま、育ってしまった。

最初に入った会社の編集長はものすごい映画マニアで、試写会などもどんどん開き、そのおかげで吉永小百合さんとか、石橋凌さんとかにも会えた。でも、先輩が映画に詳しいとなると、こちらは何か別の得意技を身につけなければならない。後追いをしていては置いていかれる業界なのだ。だものでよけいに、映画のことは考えないまま今日まできてしまったわけである。レンタルビデオで名作のつまみ食いくらいはするにしても、だからどう、とか、それが何、というものでもない。

たぶん、若き日に読んだ植草甚一さんの『映画だけしか頭になかった』という本のせいもあると思う。植草さんという人を、ぼくは『話の特集』などでよく読んでいて、生きているスタンスは好きな人だったけど、マニアな映画の話にはまったくついていけなかった。「うへえ」てなもんなのだった。

そのぼくが、最近、映画の本を読みあさっている。先日訪ねたやまさき十三さんと、赤塚不二夫さんの対談を読んでからだ。ちょっと目が開いてしまったわけです。秋には、D5パネルを搭載した次世代液晶プロジェクターも出そうだし、もうオーディオはできない体になったことでもあるし、これからはVAだ、映画も観るぞ、と。

年末にDVDで観た『幕末太陽伝』にひっくり返ったのも、ひとつのきっかけかもしれませんな。フランキー堺、すごかったですぞ。

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