荒野の七人

『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督/1960)。

ご存じ、黒澤明の『七人の侍』にほれこんだユル・ブリンナーが、製作権を買い取って作った集団抗争西部劇。冒頭、悪漢の集団におそわれた村人が困ったあげく「長老に相談するべえ」というシーンが出てきたところから、こりゃもう、徹底的に『七人の侍』をやるつもりなんだなと覚悟する。

クロサワだと、もう生きてるんだか死んでるんだかわからないような、ぼろぼろの長老が出てきて「やるべし」と、後に赤塚不二男のベシを生んだ台詞を言うわけだけど、本作ではなんだか仲代達矢似の妙に時代がかった顔をした老人が出てきて、「fight」という。

しかも、この人はクロサワ版と同じく、村はずれに住んでいたりもする。さらに自ら語るところによると、農民でもないらしい。傍観者というか、狂言回しのような役割を与えられていたのだろう。

主演のユル・ブリンナーの役どころは、志村喬のそれであって、冷静で大局が見渡せ、人望もある。ただやはり、サムライとガンマンはイコールではないわけで、どうしても家族も家もない放浪のアウトローとして描くことにはなる。

6週間20ドルで命をかけるという割の合わない話に、なぜ七人もの男がのってきたか。この話は、どうしてもこの点を解決しなくてはならなくて、さまざまなシーンでその理由を示唆するのだけれど、こればっかしはどうしようもなかった。結局、説明しきれていないので、見終った後に、霧がどこか晴れきっていない感じはある。設定から入っているので仕方がない。ニホンと西部、サムライとガンマン、ユル・ブリンナーと志村喬のちがいもある。

悪党のボス、カルヴェラにしても、子分どもを連れて三日もモノを食べてなければ、そりゃなんかしないと格好もつかない。徹底的に悪いやつに描かれていたわけでもなかったので、この男が死んだ時のカタルシスも、どこか中途半端でもある。しかも最後の言葉が「なぜこんなとこに帰ってきた」だ。そりゃ、こっちが聞きたい。

というような話はおいといて。冒頭、テーマが流れて画面が走り始めた時に、ものすごくわくわくした。これから、楽しい映画が始まるんだぜーという感じが強くあった。それがあれば、映画というのは十分なんじゃないかと思う。

脇を固めるのが若き日のチャールズ・ブロンソン、スティーブ・マクィーン、ジェームス・コバーンら。クロサワ版と比較すると、いろいろ気づくところはあるのだけれど、これはこれで相当な映画だと思う。