十日えびす
宮崎市中村町のえびす神社には、一年に一度だけお参りに行く。露店がぱらぱらと並ぶくらいの、こじんまりとした十日えびす。社の隣の、一口百円の富くじをのぞけば、人出というほどのこともないし、宮崎市の南の中心地としてそれなりに栄えた中村町も、かつて観光宮崎のシンボルだった宮崎交通本社ビルがきれいさっぱりなくなったりして、さびしいといえばさびしいのだけれど、地元の人にとっては芯のある祭りではある。
宮崎市に越してきて、たまたま住んだ家が近所だったので、まだ三歳にもならない長女の手を引いて出かけて以来、「商売繁盛、笹持ってこい」とカセットの音が流れる冬の夜には、小さな思い出が少しずつある。
独立というのか、フリーというのか、世間の荒波の中を、しかしやはり世間様のお世話になることで生きていくしかない身であってみれば、サラリーマンだった頃には想像もできなかった切実さも、ちょっとはある。
あわただしく年を越し、年が明け、さて今年を展望してみると、先行きがなにも見えないという年も何度かあり、そういう時のなんともいえない気分は、人生の甘みに奥行きを与えてくれるゼンザイの塩味のようなものだったかもしれない。と、今にして思う。富くじで千両箱が当ることを本気で願ったこともあった。これで流れが変わってくれないものかと。
人の行く末を決めるのは、たぶん運がすべてだろうと思う。ぼくは自分の才能のある部分が絶頂期だった数年間に(若さと経験の両方が、それなりに整うことでなしえることがある、あの時代)、それを存分に発揮する仕事をなしてきたとはいえないかもしれないけれど、おかげで怪我をしなかったともいえる。また、その雌伏の時が力をためてくれたともいえる。
そして、総体でいうと望みもしなかったような仕事に恵まれ、人に恵まれてもきた。そんな、いろんな運がないまぜになった中を、一年一年、やりすごしながら生きてきて、子供たちも大きくなった。
神前に立った時、毎年、さまざまなことを願いはするけれど、実は心は感謝で満たされていたりする。小さな子供たちが、露店の前を通るたびに片端からおねだりをするのを、しかることもできずに、ただにこにこと、他愛もないものを山のように買い与えている。
そのことが、とても幸福に思う。