2011年11月 9日

北杜夫について

この人が死んじゃったからには、何か書いておかなくては仕方ない。と思う。

15歳の頃に書き始めた日記には、あちこちのページに、手塚治虫のヒョウタンツギの絵が描いてある。

こんなのである。

HYOTAN.jpg

たぶん、小6の時に読んだ「どくとるマンボウ航海記」に、「ヒョウタンツギに祈りを捧げる」というフレーズが出てきていたことに由来するのであって、その日記の中には、信仰の対象として「ヒョウタンツギ大明神」というものも登場している。

いや、実のところ、今でもヒョウタンツギのキーホルダーを持っている。北杜夫の甚大な影響なのだった。

70年代までに出版された主な著書は、つまり私が10代の頃までにということになるのだけど、ほとんど読んでいると思う。マンボウシリーズでいうと、『航海記』『青春記』『昆虫記』は何度も何度も繰り返し読んだ。『楡家の人々』では、長編を読むことの楽しさを知り、ついでに下敷きになったというトーマス・マンの『ブッデンブロオク家の人々』も読んだ。『少年』『幽霊』『牧神の午後』なんていう初期の純文学も好きだった。

マンの『トニオ・クレーゲル』も、もちろん『魔の山』も、北杜夫がいなければ、たぶん読んでいない。ついでにいうと辻邦生も。

高校1年生の頃、初めて原稿用紙にエッセイを書いてみた。それを友人のお母さんが読んで、面白いと言ってくれたのが、要するに現在にいたる勘違い人生の始まりなのだが、今でも、その原稿の半分くらいは覚えている。明らかに北杜夫な15歳の文体だった。

高校2年の時、当時の生徒会長で、小学校・中学校も一緒だった男が死んだ。正義感が強く、もの静かではあったけれど、やはりどこか男の中の男というところのあるやつだった。

あんまり学校にも行かないで、本を読んだり音楽を聴いたりばかりしていた私は、ある日の午後に、廊下で『魔の山』を読んでいた。それが2回目か3回目かの『魔の山』だったと思う。

そこへ男の中の男のそいつが寄ってきて「えらいもん読んでるんだな」と言った。その一言で、その男との子供の頃からの、いろんなことがよみがえったのだったが、そいつは、それから半年もしないうちに死んでしまった。

長女が中学時代に『楡家の人々』を読み始めた時、だから私はうれしかった。「よかった。おれの子はバカではない」と喜んだ。だが、ケシカラヌことにこの娘は、あの名作の(上)だけでよしてしまったのである。今からでもいいから読むべきである。長編というのは、若いうちに読まないのであれば、よほどのことがないかぎり、たぶん一生読まない。それが純文学なら、なおさらである。

男は、おそらく15歳を永遠に生きていくのだと思う。

私の15歳の中心にあったのは、北杜夫、開高健、ポール・サイモン、安岡章太郎、遠藤周作、ピンクフロイド、コッキーポップ(順不同)だった。中心ではないにしても、心に確かに分布していたものどもは、もっともっとたくさんあるのだけど、心の芯になるものは、たぶんずっと変わらないのだろうと思う。

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