2009年9月 2日

映画>20世紀少年(2)

『20世紀少年~最後の希望』および『20世紀少年~もう一つの第2章』

というわけで、20世紀少年の第2章を映画版とテレビ版の両方、観てしまった。どうもまともに巻き込まれてしまっているのだが、もともと原作コミックすら知らなかった私が、なぜ、どうやって巻き込まれているのか、よくわからない。まあ、T.REXのことはあるにしても。

私がこうなるくらいだから、世間では相当ブームになっているはずなので詳細は省く。ざっといえば、第1章のモチーフになっていた昭和40年代へのノスタルジーが、第2章ではやや狂気の方に傾いていって、全体に暗く、重たい方向になっている。まあ、それも、しんどくなる手前で踏みとどまってはいる。

で、主人公のケンジ、オッチョ、ヨシツネらが、私とまったく同年代であることを知った。1959年4月~1960年3月に生まれた組である。だから、たとえばヨシツネが運転するクジラのクラウンに対する、われわれの世代の感覚や、あの万博の騒ぎが、妙にリアルに蘇ったりする。

三丁目の夕日シリーズで描かれた昭和30年代へのノスタルジー。それをそのまま40年代に持ってこれないのは、高度成長の先にあるものへの、なにがしかの予感が時代を覆っていたこともある。

行き詰まりつつあった学生運動や、ひどくなるばかりの公害、なし崩し的に延長された70年安保なんてキーワードをすぐ思いつくわけだけれど、時代の底の方で、不気味な何かがうごめきつつある感じはあった。自分自身のことをいえば、あさま山荘事件の様子をテレビで見た日から、世の中の様子がちがって見えてきたことを思い出す。あれは、おそらく子供時代が終わった日だったのかもしれない。

この映画が私に与えた影響として、例の「ともだち」の声がある。「ぼくだよ。ぼくが、圓生だよ」などといいつつ、運転中の交差点で笑い転げたりしている。

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コメント

「20世紀少年」は、私もテレビで放送された第一章を見て、なんだか不思議な感じの映画だと思い、それから原作コミックを読みました。

コミックもあちこちとシーンが飛ぶので連結するのが難しいのですが、それが効果を醸し出しています。

逆によくぞ、このコミックを映画化してるもんだと思います。
第二章および、今公開されている第三章はまだ見てませんが、ちょっと映画館に行こうとは思ってます。

「ともだち」ってのが、どうも「麻原彰晃」とか「大川隆法」とリンクして見えてしょうがないのですが。

まあ、オウムの後に連載開始ですから、そういうこともあるのでしょうね。これ、原作を読んでないので、あれですけど、テーマって何なのだろうなと。作者としては、連載中に「ともだち」の謎解きに話題が集中するのが、ちょっと不本意だったそうですが。

ちなみに私の秘密基地1号は竹やぶの中にあり、2号は建設現場の足場(当時は板でした)で作ったので、それは立派なものができたのですが、ある日、きれいに解体されておりました。

私の秘密基地1号は、まさに20世紀少年同様の河原の藪の中でした。ほとんどコミックのまま。

2号は杉林の中に近くの竹を持ち込み、中空基地を作ろうとしたのですが、手間暇と技量の問題で途中断念でした。

マンガ本とか、持ち込んで見たりしてましたね。だいたいメンバーも4~5名で。

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