2009年7月 7日

われはハルの子

鹿児島から宮崎にかけての南九州には、原と書いてハルと呼ぶ地名がある。鹿児島市の住宅地になっている紫原や、宮崎では国内最大規模の古墳群がある西都原、あるいは高原(タカハル)町といった具合に、それはたいてい台地状の地形をした場所だ。

南九州特有の台地であるハルは、約2万5千年前の姶良カルデラの大爆発の火山灰が降り積もってできたものだ。そこにあった起伏に富んだ地形も、池も、川も、動物も、植物も、とにかく一切合切を火山灰の下に埋め込んで、頂上を平らにならしてしまった。

標高は鹿児島市で100m前後、西都市周辺で70m前後といったところで、そこに生まれ育ったものとしては、あまりにも当たり前の風景であるため、特に意識することもない。

先日、宮崎市の天神山という小さな山の、人が一人で世界を眺めるほどのスペースしかない小さな展望台にのぼってみたら、遠くにこのハルが見えて、ガクゼンとした。ここにあるとは思わなかった。あの山の上に地平線があるような風景が、不意討ちのように胸をうつ感じがした。

宮崎に移り住んできて18年もの時間がたち、ここに家を建て、宮崎のことをあれこれ調べ、記事にする媒体を三つも創刊しておきながら、ぼくは宮崎のことがちっとも好きではない。正確にいうと、その風土や県民性というものにシンパシーを感じるよりも、そこはかとない違和感を抱いてきた。

それは、流れ歩いてきた旅人が、いよいよある土地になじもうした時に、たいてい感じるような違和感であり、多くの場合、それはしばらくすると、共感や愛着に変わるものでもあるのだろうけれど、ぼくにはそれが、訪れないでいた。

宮崎のいいところは、おそらくたいていの宮崎人よりもたくさん知っているし、感じてもいるのだが、結局、それがそこに住むことの誇りにつながってこないのだろう。

その理由のひとつは、山にある。宮崎市には山がない。県内を見渡せば山ばかりなのだが、その山もたいていは長く放置された杉山の幾何学的なパターンに覆われていて、春も夏も秋も冬も、ほとんど同じ風景だから、目が休まるということがない。宮崎が自然が豊かだというのは、これだけも嘘であることがわかる。遂行しきれなかった人為の、荒れた姿があるだけなのだ。これは時に、都会の荒廃よりも悲しい姿に映る。

市街地の背後に豊かな山が見える風景には、潤いやゆとりや色気を感じるものだが、それが希薄であると、町の空気自体も、どこかよるべないものになってくる。大陸に住むというのは、こういうことなのだろうかと、鹿児島市というせせこましい地形で育った者としては思ったりする。

そんな違和感の中で、なぜ自分は宮崎にいるのか。宮崎から離れられないのかというのは、ずっと自問自答してきたことなのだが、ハルを見た瞬間に、何かが、心のどこかでほぐれていく感覚があった。

ここにもハルがあった。標高70mの地平線は、自分の心の山の稜線であったのかもしれない。

おれは、ハルの子だったのだと。

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コメント

今年は3月の解禁から新潟・富山県境の小河川で釣りを続けています。
近くには天地人で有名になった観光地があり、この夏の新潟イベント「水と土の芸術際」
http://www.mizu-tsuchi.jp/
相変わらずの企画ですが・・・。

小河川沿いの美味しい豆腐屋も囮も売っている雑貨屋も当然洩れています。
よかった。

秋山さん

いいなあ。お気に入りの川ができたようですね。夏は川で遊ばんといかんですね、やっぱり。

宮崎は週間天気予報をみると、雨など降りそうもなく、どうもこのまま梅雨明けではないかと思われます。昨日、ひさしぶりに入道雲を見ました。

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