2009年2月28日

映画>艦長ホレーショ

『艦長ホレーショ』(ラウール・ウォルシュ監督/1951)。

だいぶ体調も元に戻り、仕事も一山越したので、映画を観てみようと思った。いや、そう思ってから、かれこれ2か月くらいたつ思う。なかなか、その気力が湧かなかった。

コップについだ水があふれるくらいの、なにがしかの臨界点というのがあって、要するに映画を観る状態にチャージされるまで、半年くらいかかっている。これがテレビだったら、もっと早くに観れていたはずなのだが、プロジェクター視聴となるとなかなかそうはいかない。

で、C.S.フォレスターのホーンブロワーの映画化作品。これは、『パナマの死闘』、『燃える戦列艦』、『勇者の帰還』の初期三部作(この作品は12巻まである)をまとめたもので、艦内の様子、水兵たちの姿など、細かなディテールはちゃんとしていて、期待感いっぱいに始まる。

なのだけれど、三冊の物語をひとつの映画にするわけで、それもかなりストーリーに忠実になぞってあるので、内容としてはダイジェストもダイジェスト。原作を読んでいない人が見たら、「なんじゃこりゃ」となりはしないかと、ちと心配になる。

そもそも、ホーンブロワー役のグレゴリー・ペックという人は、この人が画面に出てくるだけで、必ずすべてのことはうまくいく、というような雰囲気が漂い、したがってスペクタクルというものにつながってこない。いかに危機的な状況であっても、あの長身と完璧な容姿で、端然とそこらを歩いていたりすると、もう絶対に悪いことは起こらない感が充満する。

そしてまた、ラストシーンは絵に描いたようなハッピーエンドで、とうとう最後にきて、げらげらと笑いだしてしまった。

世間の評価はどうなのか知らないけれど、こういう映画をB級作品というのではないかと思う。いや、もともとは超A級の大河ドラマとして企画され(何しろイギリスの『太閤記』とか『徳川家康』のような原作だ)、そのつもりで作ったものが、50年の時間の流れの中で、いつのまにかB級の味わいを醸し出して、その味わいのゆえに残ったというべきか。

ここでいうB級とは、監督が作家性にこだわらずに、客を楽しませることを目的に作った映画、というほどの意味。何かのテーマやメッセージを伝えることなど、ハナから考えていないから、終わってしまえばなーんにも残らない軽みをたたえている。

ポップコーンのようにかるい映画。こういう映画は、むしろ好きなのだけれど、これはちょっと脚本が弱かったかもしれない。この三作を、一巻ずつ映画にしてくれる人はいないだろうか。

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コメント

わはは。げらげら。ばかうけ。
空気読めよ、グレゴリー・ペック(^^)。
本人に罪がないのがまた可笑しいですね。
「花見の仇討ち」の浪人みたいでげらげら!

そうそう。ホーンブロワー自体が、不可能を可能にするスーパーヒーローのくせに、人間的には繊細で迷いの多い内省的な人物なので、その点では、ペックというのは適役なのですが、ちょっとあまりにも良すぎて緊張感がないというか。

ホーンブロワーの、追い込まれたあげくに無窮の知恵が湧き出てくる、というところを、ひとつでも描いてくれれば良かったのですけど。

この原作シリーズ、おすすめです。

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