師走でごわす
文章を書くということが、どこか体のリズムと同期するものであるのだとすれば、ここ数ヶ月、このブログを書けずにいたことは不思議でもなんでもないのだろうと思う。
もはや体のことは書きたくもない。良くはないが、悪くもなっていない。いや、ここ2週間ほど、じわじわと回復してきており、今日も朝から夕方までシンキクサイWEBページの更新作業に耐えることができた。偉大な回復というべきである。
実に偉大な回復なのだが、友人たちはすっかりぼくのことを病人と思っており、回復してるんだといってもなかなか信じようとしない。ここで何を書いても、だめである。彼らの前に現れて、大酒でも飲んで女でも口説いてみせないことには、信じてくれそうもない。
ここのところ、丸山先生のことをぼんやり考えていた。久留米の詩人・丸山豊先生で、ぼくは自称最後の弟子なのである。
初めて先生にお会いした時、ぼくは24歳だった。できたてほやほやの広告マンで、わけもわからず久留米市諏訪野町の丸山医院を訪ねていた。その時のこと。
人間というのはね、一人で生まれて、一人で歩いていく。そして、一人で死んでいく。だだっぴろい、何にもない荒野を一人で歩いていくとね、ずーっと向うから誰かが歩いてくるのが見える。お互いに一人で、お互いに孤独。徹底的に孤独。人間というのは、一人で荒野を歩く人みたいに、徹底的に一人で孤独であるという覚悟が、まず大事なんだろう。
その覚悟があって初めて、愛が生まれる。向うから歩いてくる人に、おーいと手を振る。無限の親しみをこめて、手を振る。そんな愛がいいと思う。相手によりかかるようなものじゃない。自分は一人で、どうしようもなく孤独であると覚悟できる強さがあって、ようやくほんとうに人を愛することができる。孤独のないところに、愛は生まれない。最近、ぼくはそんなことを考えているんだが、あんたはどげん思うね。
そんな話だったと思う。
なぜ、こんなことを思い出すのか、わからない。
コメント
「書くことで救われる」ことってありますね。
書くことで、人を救うことは難しいけど、喜ばせる事は出来ますよ。
久しぶりにJUNさんが書いたものを読んで、ほっと喜ぶ。
僕なんかも、その一人です(^_^)
Posted by 安藤 博士 at 2008年12月 4日 19:41
安藤さん
こないだの旧家村は、どうもでした。あの2日目くらいから、なんだか体が楽になってきたような感覚があって、どうにかそのままの調子できております。
近いうちに、熊本か天草か人吉で飲みましょう。なんか、夜のイルミネーションがきれいなところがあるそうで。
Posted by JUN at 2008年12月 4日 22:58
ここはもういっちょひとつ、楽しいことやっちゃいましょ!
時間があれば東京にも出てきてくださいな。
僕も旧家村で、どこか心のオリが落ちたようなところがあって、
釣りにも出かけたり、写真も撮りに行ったりもしてます。
リフレッシュとはこのことなんだなあと思う今日この頃です。
それもJUNさんはじめ、みなさんあってのことです。
つらいときは、お互いによりかかっちゃいましょ!
Posted by ひろすけ at 2008年12月 5日 01:15
ひろすけさん
ぼくらもそろそろ、いいトシになってきたこともあり、ちょっと無理してでも休みをとって、旧家村みたいなこと、年に2回くらいやってもいいね。九州組は、今年の初夏に天草オフをやったけど。
東京は、ユッケ君やむらにぃと、ちとゆっくり話したいこともあるので、突発的に出かけるかもしれません。しかし、男子三日会わざれば刮目して見よというけれど、むらにぃはこの一年くらいの間に、ずいぶんいい男になってきたと思ったな。
上京したら、何をしようかな。上野で午前中からモツ焼きつついて、ビールでも飲みます?
Posted by JUN at 2008年12月 5日 02:31
再春館ヒルトップですね。
http://www.saishunkan.co.jp/news/20071117.html
ウチからは30分。人吉、天草からだと2時間くらい。
場所がここに移ってからは、見に行ったことありません。
一緒に行く相手がまだ見つかりません(^^;
で、「天草ほいと組」で繰り出します?
Posted by 安藤 博士 at 2008年12月 5日 08:38
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