2008年7月14日

伊佐美のこと

鹿児島の大口市に伊佐美という焼酎がある。第一次焼酎ブームが起こった昭和50年前後のどこかの時点で、これが日本最初の「幻の焼酎」となった。

ことの起こりは、博多である。昭和40年代、高度成長とともに九州の商業集積は北九州から博多へシフトしていって、企業の九州支店もどんどん福岡市へ移ってきた。あるいは、新しく窓口を開いた。

そこへ鹿児島の「白波」がやってきた。この博多と白波の出会いこそが、南九州の地酒だった焼酎が全国区になったきっかけであって、やがて九州支店から東京へ帰っていったサラリーマンたちが、九州時代に飲んだ焼酎が忘れられず、少しずつ関東圏でも焼酎が飲まれるようになったものと思われる。同じ頃、宮崎のそば焼酎「雲海」も、関東で飲まれ始めていた。

そうしてなんとなく、本格焼酎が東京で浸透し始めた頃、伊佐美というたいそううまい焼酎があるらしいという話が広がった。広がった時点でそれは「幻」となる。非常に小さな蔵だったからだ。

今では移転して洒落た建物になっているけれど、伊佐美の蔵元の甲斐商店というのは、数年前まで、焼酎蔵というよりはほんとに小さな田舎の酒屋だった。間口二間ほどの木の枠のはまったガラスの引き戸を、がらがらと開けて入ると土間になっていて、カウンターの奥の棚に申し訳程度に酒が並んでいた。そこにはなぜか「清酒大関」などもあったりした。

その脇に、奥へ通じる通り抜けがあり、焼酎はそこで造っていた。最近、同じような作りの焼酎蔵を見た。日之影町の姫泉酒造というところ。ここも、社長含めて三人という蔵だけれど、御幣というとてつもなくうまい焼酎を造っている。幸い、まだ幻ではない。

大体、小さな蔵で手作りをすると焼酎はうまいものができる。というより、南九州では各町内にひとつか二つは蔵があったもので、飲み手も町内限定だから必然的に規模は小さく、手作りになる。伊佐美もまた、そういうどこにでもある「町内の蔵」であり、それは当然ブームというものにはそぐわないものだった。

「幻」になってからも、甲斐商店の店頭では近隣の取り決めのもとに、地元産の焼酎二本との抱き合わせであれば、定価で買うことができた。一本二千円もしない。この抱き合わせ焼酎の、たとえば伊佐錦であるとか、伊佐大泉であったりとかも、いつでも「幻」になりうるほどの逸品であって、宮崎市からわざわざ大口市まで買い出しに行っても、豊かな気持ちで帰ってくることができた。

そのつもりで、昨年、甲斐商店まで出かけてみたのだけれど、「申し訳ないけれど店頭販売はしていない」ということだった。少しく落胆していたら、店員さんは「ちょっと待ってて」といって奥へ走っていき、「一本ありましたよ」と言って持ってきてくれた。予約、予約で造るはなから出てしまい、ほんとうに在庫がない様子だったのだけれど、そのまま帰すに忍びなかったのだろうと思う。

こういう「小さな店」らしさが残っているかぎり、伊佐美は大丈夫なんだろうと思う。なんだかあたたかな気持ちになり、その伊佐美は天草オフに持ち込んで仲間と飲んだ。釣れたての羊角湾のミズイカが、いい肴になってくれたのだった。

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コメント

熊本にも良い酒はあるが、私が好きなのは、日本最南端で作られる亀萬酒造の「まんぼう」という有機栽培米で作られる清酒だ。

なかなかフルーティーで、分かりやすい味がする。

http://www.kameman.co.jp/cgi/shop/shop.cgi?order=&class=&keyword=&FF=6&price_sort=2&pic_only=&mode=p_wide&id=7&superkey=1

そのほか焼酎では、手前味噌ながら私がウェブ作っている松の泉酒造の「水鏡無私」がお気に入りだ。

http://www.matsunoizumi.co.jp/

浅川君

ところで君の名字は、「あさかわ」なのか「あさがわ」なのか。どうもremiちゃんとその点で見解の相違があるようなのだが、そこ、どうなのか教えてほしいわけです。

松橋に一人、甲佐に一人、とても仲良くしてもらっている釣り友だちがいて、時々、天草で会っているので、君も一度、気が向いたら訪ねてください。雅兄。じゃなかった、サケもって遊びにきてよね。

あ。多分、あさかわだ。考えてみたことも無かったな。

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