2007年10月10日

亀田は好き?

亀田二兄弟(三男はまだアマチュアだ)の試合が近づくたびに、飲み屋のカウンターだの打ち合わせの合間だのに「亀田は好き?どう思う?」と話しかけられることが多い。

「好きでも嫌いでもないけど」と、ほんとうのことを言っても納得してもらえない。問いかける人は、ほぼ間違いなくアンチ亀田だから、「あんなやつ大嫌い」という答を期待しており、生半可な日和見などは許してくれないのだ。

そうなると仕方ないので、時々、相手の反応を見ながら、持論を述べることはある。なんだか、身内の不始末を弁護しているみたいで心持ちはよくないのだけど、別に身内ではない。また、友だちを不愉快にしてまでも、述べるほどのことでもないわけで。

好きでも嫌いでもないけど、たいしたやつだとは思う。特に長男の興毅は、天才でもなんでもないのに、ただ自分の努力と度胸だけで、まがりなりにも世界王者になり、十代のうちから三階級制覇をぶちあげて、着々とその道を進んでいる、まことにたいしたやつだと思う。

あの肉体を見るだけで、それがわかる。普通、トレーニング期間中のボクサーの体は、それほど絞りこまれているわけではない。365日、何年にもわたって、明日にも試合ができる状態を維持し続けてきたというのは、それだけで偉業といってもいい。

ランダエタ戦の時の亀田バッシングについては、叩く方が無知であるか感情的になっていたかのどちらかであると思う。こちらでも書いたけれど、あの試合の判定が不可解というのなら、ボクシングの試合は成立しない。

敬語を使わない、相手への過剰な挑発など、世間だけでなくボクシング界をも敵にまわした言動は、もって生まれたものではなく、多分に戦略的なものであることは、誰にもわかると思うけれど、あの親子はそれを徹底して貫き、そのおかげで世界王者になる前から日本中の耳目を引きつけた。そしてテレビ局とのタイアップにより、タイトルをとる前から、すでに数千万円のファイトマネーを稼ぐボクサーになった。

大阪の西成に生まれ育ち、中学を出てすぐにボクサーになった男の戦略としては見事というしかない。また、それを貫く意志の強さと、おのれの肉体に打ち勝つ意志の強さと、日本中を敵にまわしても平然としている意志の強さもまた、見事なものだと思う。

おかげで、ボクシングという、プロとアマチュアの境界線が実ははっきりしないプロスポーツが(日本王者では生活ができないジャンルをプロといえるだろうか)、輪島・具志堅以来という勢いで生き返った。それは亀田の強さに対する注目ではなく、亀田というひとつの現象についての注目であって、こうした領域が生まれてきたこと自体が、プロスポーツとしてのボクシングにとって大きな収穫ではなかっただろうか。強ければいいというのは、実はアマチュアの発想だろう。

さらに加えると、昨今のプロレスがそうであるように、そのジャンルのファンだけを相手にしていては、ジャンルそのものがすたれてしまう。後楽園ホールに通いつめる、ほんとうのボクシングファンだけを相手にしていては、ボクシングに未来はない。その意味で、これだけボクシングも何にも知らない、実は興味もない人たちを巻き込んだ功績は、とてつもなく大きい。飲み屋で現役ボクサーの話になるなど、少なくともぼくは一度も経験したことがなかった。

そんなボクサーは70年代なら輪島・具志堅、60年代だと原田、藤、海老原、80年代になるともういない。90年代はK-1だけど、たとえばアンディ・フグやアーネスト・ホーストの知名度は、現役時代の具志堅用高の半分もない。亀田一家は、それに匹敵するか、あるいは(露出の高さもあって)上回る。ボクシング界にとっては、亀田興毅がボクサーとしてどうか、なんてマニアな議論は実はどうでもいいことなのだ。また、そうでなくてはいけない。

日本人は、ほんとうは悪たれが好きだ。そして悪たれでありながら、実は憎めないというキャラクターが好きだ。しかし、亀田興毅は容易に、しかも本気で憎むことができる。嫌いになることができる。亀田興毅の憎まれっ子エンタテイナーとしての存在感は、日本史上希有のものであるともいえる。こんな戦略的で勇気のある嫌われ者の日本人は、見たことがない。

彼は自分の戦略によって追い込まれた自分の立場に、立派に耐えている。ほんまはしんどいや、なんて言い訳も聞いたことがない。ひとつの生き方、仕事のしかたとして、まことに見事だと思う。

明日は、次男大毅と内藤大助の世界戦がある。王者内藤にとっては、首尾良くおいしい相手(他の挑戦者との試合とではファイトマネーは数倍ちがいそうだ)と対戦することができて、勝てば一躍ヒーローになろう。プロ入り2年目の十代の挑戦者の方が、負けた時に失うものは大きいという珍しい図式になっている。彼は、「亀田」という現象の意味と価値のすべてをかけて、リングに上がらなくてはならない。

裏話めくが、この試合の広告の集まりが悪いという。視聴率は十分に期待できるのに、スポンサーには敬遠されるソフトになりつつある。亀田一家の態度があらたまるとすれば、実はこれが理由になるかもしれない。

そして、もしそうなれば、彼らはうまくそれをやるだろう。日本中を一気に味方につけるような戦略転換。要するに、彼らは最初から世間など信じていないのだ。それはプロボクサーとして、ひとつのまっとうな態度のような気がする。

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