2005年9月 7日

台風14号その後

今日は例によって台風一過の晴れとなった。ただし午後からは曇り空。

どうもいやな予感がすると書いたけれど、やはり洒落にならない台風だった。このくらいの被害だったことが信じられないほど猛烈な雨で、宮崎市の降り始めからの雨量が約600ミリ。南郷村では1300ミリというから、現実の話とは思えない。

今現在も、県内で約35000戸が停電しており、道路は大小問わず片端から寸断され、山間部では集落が孤立し、宮崎市でも水没した浄水場が復旧するのに1か月かかるという。それまではかなりの地域が給水に頼らなくてはならない。

それにしても、この程度の被害だったことが信じられない。

うちに出た避難指示は、大淀川の氾濫のおそれからだったわけだけれど、その大淀川は危険水位をとっくに超えて、これを超えるとあふれますよという計画高水位まで、あと数十センチだった。その数十センチを越してしまえば、最悪の場合市内の1万戸が浸水し、そのうち5000戸が床上浸水となっただろう。ハザードマップを見ると、水深5m以上に達するところも1000戸くらいあったかもしれない。そうなるともう古代同様、あたり一面泥の海であり、経済地盤の弱い宮崎では、復旧がどうのという話ではなくなってしまう。

5日の深夜、近所の町内会役員からの電話で避難勧告を知った時には、すでに家族は寝ており、これを起こして一家揃って避難することに躊躇した。やがて避難勧告は避難指示に変わり、地元の消防団が巡回してそれを知らせてくれた時も、避難の決心はつかなかった。そのうち、近くの避難所がすでに満杯であるという情報が入った時には、とにかく明るくなるまで様子を見ようと考えた。

大淀川があふれれば、いずれにしても孤立する。地形から考えて、最悪でも1階の浸水くらいで済むだろうから、そのまましばらくしのげばよい。小さな子供を抱えて避難したはいいけれど、避難所が満杯で帰るに帰れなくなるくらいなら、家にいた方が利口だろうという判断だったのだが、単に問題を先送りにしただけだったかもしれない。少なくとも、避難所がすべて満杯だということはなかったことは、あとになってわかった。やはり、こういう時は判断力もいつも通りではないのだろう。

結果からいえば、家族にしんどい思いをさせずに済んだのだが、ちょっと釈然としないものが残った。ほんとにあれでよかったのかなと。一家のアルジとしては、だらしないもんだと思う。

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