2005年7月13日

プロレスを壊すもの

「プロレスとジャズには大きな共通点がある。観客がいないと成立しないということだ」と、かつて山下洋輔は喝破した。まさに慧眼というべきである。つまり、見世物だということ以上に、観客とプレーヤーの相互作用によってもたらされる「一回きりのその場性」について指摘しているわけだ。

加えて、「相手の良さを引き出しながら、なおかつ自分が上回ろうとする」「予定調和に向かいながらも、疾走するようなスイング感をめざさなくてはならない」「それができない者はイモである」というようなことを山下は言っているわけだけれど、ジャズ用語における「イモ」は、プロレス用語の「しょっぱい」に当たる。ともに、面と向かってその言葉を口に出す時には、流血を覚悟しなくてはならないというのも同じだ。

しょっぱさにも、基本的な技術に欠けるとか、プロレスの呼吸を身につけられないとか、どうしてもセンスが悪いとか、いろいろあるわけだが、観客側の反応はひとつしかない。もちろん、ほんとにしょっぱい者にブーイングなどは与えられない。客の方は、あまりの間の悪さに、果てしない恥ずかしさの中で身もだえするだけなのだ。金返せこのやろうなのである。

知るかぎり、ここ10年くらいでしょっぱいといって思い出すレスラーは、鈴木健三と志賀堅太郎を双璧とする。ほかにも柳澤龍志とか安田忠夫とかいるのだが、彼らはついにプロレスラーですらなかった。鈴木と志賀の場合は、あふれる素質を備えながら、なぜか観客が身もだえしてしまう何かを先天的に持っているとしか思えない。ここまでくると個性として評価してもいいのではないかとすら思えてくるわけである。

「プロレスを壊すもの」について上記のような個人の資質とは別に、それをやってはいかんよということが、最近、いくつかある。

まず、永田裕志は蹴りを封印すべきだろうと思う。もともとアマレスの一流選手であった永田が、キックの道場に通って技術を身につけたわけだが、あの蹴りはそれだけでプロレスを壊す。相手が逆水平の構えでいるところに、思い切り胸板にキックを叩き込んだところで、観客は何も得られないのだ。永田が一人でうれしがっているようにしか見えない。

ミルコの打撃に何の対応もできないまま、しかも「目をつぶった状態で」ハイキックを受けて秒殺された時点で、彼の打撃は無価値になったということもある。むしろレガースを脱いで、グラップラーとなった永田裕志が見てみたい。年齢的にもそれが正解だろう。ついでにいえば、あの軽すぎるエクスプロイダーもやめるべきだ。さらにいうと、ナガタロックもやめた方がいい。この三つの技をつなぐことで彼の試合は成り立っているわけだが、それをすべて捨てても永田はプロレスができると思う。

それから、「対角コーナーに振る」はすべての団体でやめるべきだと思う。あの遠い対角コーナーまで、緊迫感とリアリティをもってすっ飛んでいけるレスラーはそう多くはない。型としてしょうがないから、よろよろ走っていってコーナーを背に相手の攻撃を待つ時の、観客の間の悪さを考えてほしい。まして6人タッグで、相手の一人を対角に振り、こちらの3人がかわるがわる攻撃をする、などというのは、観客は4回も間の悪さに耐えなくてはならないのだ。そこに安田や柳澤などがからんでしまうと、もう目をつぶってふるえるしかない。

もうひとつ、「雪崩式」もフランケンシュタイナーをのぞいて全面禁止だ。せいぜい一晩に一回だ。やりたい者はクジで決めればよい。とにかく間がもたない。高高度からマットにドスンと落ちる時の音は、確かに現場で聴くとすさまじいものがあるけれど、そこにいたる過程が間延びしているのでは、落とされた方も骨折り損というものだ。

意味のない蹴り、対角コーナー、雪崩式。この3つをマットから追放するだけで、プロレスは蘇生に近づく。新日本が戦いを失ったというのは、こういう安易さと観客の視線への不感症を許してきたことのトガメだ。

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