Kathy's Song
写真家の黒木一明さんより電話。
「こないだのキャシーの歌だけどさ。なんだか、25年ぶりに熱くなってきた。ギターを買うから世話してくれ。教えてくれ。何、カメラにはまってる。それはぼくが教える」
そうなのだ。ある仕事のスタッフたちと飲んだ時、2次会で小さなライブハウスになだれこんで、サイモン&ガーファンクルをやり倒したのだった。その時、黒木さんがポール・サイモンフリークであったことを知る。それも「キャシーの歌」とか「木の葉は緑」とか「アメリカの歌」とか、ほんとに好きな人が体の芯からいかれてしまうような歌が好きなのだった。
こんな歌を好きになった10代の黒木一明という人は、とても素直で感覚の豊かな少年だったのにちがいない。ぼくがそうだった(笑)。たぶん、長淵さんもそうだったのだろう。あのG add C というコードは長淵さんもお得意だ。ぼくにとっても、青春のコードでもある。
「キャシーの歌 Kathy's Song 」は、ぼくが初めて英語の美しさを知った詩だったと思う。また、ポール・サイモンも、20歳そこそこでないと書けない曲でもあっただろう。青く、若く、純粋で、恥ずかしく、そして美しいこの歌を、2003年のライブで60歳を越えた二人が、「これはぼくにとって特別な曲。ポールが作った最高に美しいラブソングだ」というアートのコメントとともに歌った。その誠実さに涙ボウダであった。
世界中のファンと同じように、そしておそらく黒木さんもそうであったように、この歌に思いを込めた人がぼくにもいた。いや、ある時代の感情や風景がそのまま込められている曲だ。流れさる歳月の中で、時が行き、人が行く。その根っこで、嘘のように変わらずにそこにあり続けるもの。キャシーの歌は、もうそんなものまでまといはじめているのかもしれない。
若くして単身アメリカへ渡り、ロスアンゼルス、シアトルと事務所をもちつつ、「世界中、景色のいいところへ行って、プロが撮ればそれはいい写真になるに決まっている。それだけの写真家にはなりたくない。ぼくは世界を撮るというテーマなら、半分は宮崎の写真を入れたい。ほんとは、宮崎だけで世界を表現したいくらいだ。ぼくの胸に響く光景があるから」と、いまだに突っぱりに突っぱっている黒木一明という人の胸に、キャシーの歌が何十年も流れていた。やはり純情な写真家なのだなあと思う。
現在、キャノンタワーで「水平線の色」という写真展が開催されている。ぼくもあさってから上京するので、ちょっとのぞいてみようかと思う。
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