発作的ソウル旅(4)
宮崎県中央部の方言で、「てげ、ひんだれた」というと、
「非常に疲れた」という意味になる。
「てげ」は大概であって、英語のVERYのように使い、
「だれた」は疲れたということで、それに強意の接頭語としての
「ひん」がつくという具合に、文法としてもきれいに説明がつく。
ところが、韓国で「テゲヒンダレッタ」というと、
これがそのまま、同じ意味で通じてしまうのだ。
これは一体、どういうことなのだ。
きれいに説明できた文法はどうなったのだ。
宮崎は九州内に隔離された韓国の飛び地だったのか。
もともと、ある時期、朝鮮と九州は同じ言語圏だったという説があるが、
こういう例に行き当たってしまうと、そうでなきゃおかしいよなと思ってしまう。
中央政府が確立する以前は、国家というものもなく、ただそれぞれに地方があり、
せいぜい、小さなクニがいくつかあった程度で、海には国境も警備隊も
なかったろうから、玄界灘のこちらと向こうを、自由に行き来していたのだろう。
まして宮崎は天孫降臨のクニである。
天孫族というのは、中国南部なり朝鮮なりから船に乗ってやってきた
稲作民族と考えて間違いはなさそうだから、何かのはずみで
古代以前に存在した朝鮮・九州語が、溶けきらずに残ってしまった
天ぷら粉の「だま」のように、今に伝わっていてもおかしくはない。
いや、探せばきっと、他にもぼろぼろ出てくるにちがいないのだ。
うかつにも韓流ブームの真っ只中に初めて韓国を訪れて、
その食い物のすべてが、まるでわが血管にはトンチミが流れているかのように
体にしみじみとなじむことを知り、驚き喜んでいたわけなのだが、
韓国の山河の風景が、まるで日本と同じなのだから、それも当然なのだろう。
まして、テゲヒンダレッタの国なのである。
竹島もキムチもない。同じ言葉と文化を共有した相手なのだ。
こうなると国なんてつまらないから、この先は日本人ではなく
九州人なり宮崎人なりの地方人として、わが足元を見つめつつ、
隣国の人々のことを考えた方がいいかもなあと思っている。
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