発作的ソウル旅(1)
3月25日~27日はソウルにいた。
一応、日記なので日付を戻して書いてみる。
大体、この年度末の忙しい時に旅行に行くなどというのはどうかしているのだが、定期媒体の送りと納品、来年度の生活にもろ直結するコンペへの参加、確定申告、長女の高校受験の発表、末娘の卒園式、などなど、などなど、などなど、あまりの忙しさに、ぼくはキレ加減になり、その結果マーチンがわが家に来たというのは、先に書いた通りである。
だが、マーチンくらいでは、心の平穏を取り戻せないのだ。
ここはひとつ、旅であるのだ。
日活映画の昔から、男は、話がややこしくなってくると旅に出るものなのだ。
ということで、めちゃくちゃ苦労をかけている相棒のデザイナーの慰労を兼ねて出かけてみた。
メンバーは男3人に、なぜかわが家のヨメまでついてきた。
昨年9月に初めて訪れたソウルは、いいところだった。食べるものはすべてうまい。何を食べても幸せな街である。ジョッパル、メウンタン、カルククスにソルロンタン。辛い辛いテナガダコのビビンバ。
サナギなどは鯉釣りの餌として子供の時分からなじみ深かったのだが、韓国では女の子たちのおやつだった。これも好きになった。
あんまりうまいうまいと何でも食べるものだから、
向こうで世話してくれた地元の人々が、
「あなたは韓国人だ。顔は香港人だけど」と、喜びあきれてくれたほどなのだ。
食べ物が合うということは、話が合うということである。
だから友情とは、まず互いに同じものを腹いっぱい食うことから始まる。
わが国の、数々の歴史問題は常に避けがたく横たわっているわけだが、
一緒にものを食べている間は、韓国人も日本人もないのだ。
いや、このカタコトの韓国語もしゃべれない上に、文部省検定済み教科書と
異文化のほぼまったく存在しない環境で育った腐れ頭の日本人としては、
食うことくらいでしか、思いを表現できる手段がないのだともいえる。
前回、李舜臣生家の公園を訪ねた時、
どう考えても文禄・慶長の役は歴史の汚点だと思えた。
その前には、神功皇后の出兵があり、維新は維新で征韓論などがあり、
先の進駐は、朝鮮半島からみれば侵略以外のなにものでもない。
そういう歴史的大事件でなくても、深刻な話は多い。
どうも日本人というのは、隙があればわが地へやってきて、国土と国民をふみにじる、
とんでもないやつらだと思っているに決まっているわけで、ぼくだってそう思う。
それをいまだに侵略だの進出だのと議論して、何が始まるというのか。
朝鮮半島が日本に対して「おあいこ」を求めるとすれば、どれほどのことになるのか。
指を折って数えてみるまでもないのだが、幸い、そこまでに至らない韓国の度量にこそ
感じるべきだろうと思う。
天孫降臨伝説にいう天孫族もそうなのだろうが、
たぶん、おそらく、ぼくの先祖も朝鮮半島からきたに決まっている。
そっくりなやつ、ソウルにいたもの。
今回も両国民の友情のためにひたすら食う覚悟だからな。
ヨメもデザイナーも友人Aも、そのつもりでつきあうように。
と、宣言して飛行機に乗る。
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