OOO-28ECを買うこと
マーチンを買った。
マーティンではなくマーチンと表記するあたりに、ぼくの幼稚な得意ぶりと、幾分かの羞恥がわかっていただければと思う。
今頃になってようやく、なのである。ギターを始めた15の歳から、いつかは弾くものと思っていた。初めてカントリーブルースというものを雑誌付録のソノシートで聴いた時に、その1950年代製D-18の甘やかな音にふれ、たぶん買うならD-18。それも50年代ものだと思い込んでいたのだが、クラプトンが余計なことをするものだから、古いマーチンの価格は異常なまでに騰貴してしまい、とても手が届かないものになってしまっていた。
だもので、新品のレギュラーものでもいいかと思い、何度か現金を握りしめて楽器屋へ出向き、「良いものがあれば即日持って帰るぞ」と気合を込めて東京や大阪でも試奏してみたのだが、だめだった。胸打つ楽器に出会うことはなく、齢40を数えるまでになったのである。
少年老い易くマーチンなお遠し。
ぼくらの世代にとってマーチンのギターを持つというのは、生涯に一度は支払わなければならない税金のようなものなのだが、当のマーチンが、昔憧れたほどのこともないのなら是非もない。
ところが最近、1934年製のD-18に近づけるべく、特別の材で作ったD-18GE(GOLDEN ERA)というものが、ごく少量生産されていることを知った。525000円だそうである。高いものではない。ぼくが15の時、すでにマーチンは40万以上していたのだから。これを買うことに決めて近くの楽器屋に頼み、取り寄せてもらったわけである。
「来たよ」と連絡を受けて、店へ向かう道すがら、いかにわが胸は高鳴ったことだろう。破顔一笑という言葉があるが、それを1時間も続けているとしたら、どこか変だ。変だろうがなんだろうが、破顔一笑のまま車を運転し、破顔一笑、店に入った。
ギターを選ぶというのは、理屈や理性ではない。持った瞬間の感触というものが必ずある。ここ6年ほど弾き続けてきたVGのギターは、小さくて、低音が出なくて、音的にも、もともと好みではなかったはずなのだが、店頭で抱いた瞬間、「買ってください買ってください」と訴えてきた。つい情にほだされて買ったのだが、やはり良いギターであった。6年を経て、音が枯れ、ますます良いギターになってきている。
そういう「向こうで弾いてもらおう、こちらで弾いてやろう」という出会いの一瞬に起こる楽器との心のやりとりのようなものが、最良の選択をしたはずのD-18GEには起こらなかった。どこか他人行儀であり、ぼくも感触を確かめながら試奏しつつ、その言葉を待っていたのだが、ついに何も語りかけてこない。音はマーチンらしい深みがあり、演奏性も良く、きっと生涯かけて弾きこむだけの価値のある楽器なのだという確信はあったのだが、女性と同じである。惚れなければ何も始まらない。
愕然としつつ、店の人に詫びを言い、ふとかたわらにあったOOO-28ECを手にとってみた。
OOO(トリプルオー)というのは、1910年代くらいからラインナップされている古いシリーズなのだが、クラプトンがMTVで余計なことをするまでは、ほとんど顧みられることはなかったギターだ。フィンガーピッキング系の、たとえばステファン・グロスマンなんかが弾いていた。グロスマンなんてマニア以外は知らないから、OOOもマニアだけのものだったのだが、クラプトンのおかげで、今や売れに売れているという。
70年代からカントリーブルースに傾倒しているマニアとしては、腹立たしいことである。しかもOOO-28ECのECとはエリック・クラプトンで、ネックにサインまで入っているのだ。これは、軽薄にもクラプトンモデルなのである。
腹立たしい上に、こっぱずかしいことである。こんなギターを試奏するというだけで、ちと恥じ入る気持ちすらした。
ぼくはクラプトンのファンでもなんでもない。クラプトンが憧れたアイドルたちが、ぼくのアイドルであり、それも映画「クロスロード」のはるか以前からそうなのであり、いってみれば、ぼくとクラプトンは同じもんが好きというだけの関係なのだ。
まあ、向こうは、好きというだけではなくてそれをロックに取り入れてしまった偉大なギタリストではあるけどさ。偉大さは認めるけれどそれはエレキの話であって、アコギで指弾きをしているかぎりは、ぼくと同じで一人のブルースファンであり、偉くもなんともないのである。
アコギの指弾きでの偉さでいえば、ポール・サイモンの方がよほどえらい。名を冠したマーチンを買うならば、OM-42PSポール・サイモンモデルを買う。クラプトンモデルなんか買ってしまったら、いかにもMTVでギターに目覚めたお父さんが、おねいちゃんをだまくらかすために、ただいまTEAS IN HEAVEN の特訓中、みたいではないか。そんな恥ずかしい真似ができるものか。
そういうことを考えながら、OOO-28ECを弾いてみた。音は、若いせいもあるのだろうが、まだ眠い。特に高音の伸びはまったくなく、もどかしいほどだった。こいつはだめだなあと思ったのだが、このギターが口をきいてきた。「お役に立ちまっせ。そのうち良くなりまっせ。あなたの家に幸福を呼びまっせ」だと。
定価は50万で、その3割引き。御茶ノ水価格だと、もっとずっと安い。D-18GEに比べると割高感すらあったのだが、またもや情にほだされてしまった。
「こいつをもらって帰るよ」
そして、ぼくのマーチンライフが始まってしまったのだった。
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